111 男親たちの宴
バッシュが持ち帰ったグロマがモリーグ村中に配られ、ちょっとした祭りのような騒ぎになったが、さすがに夜も更けると静かになった。畑の世話をする村人たちの朝は早い。どれほど美味いご馳走が振舞われても、明日に備えて早々に床に就くのが習慣付いていた。根っから勤勉な者が多いのだ。
そんな静まり返った村の中、珍しくも領主館の一室にはドヤール家の男たちが集まり、酒を酌み交わしていた。
「どうしてサラナの婚約を許したのだ、セルト。まだ早い。まだ早すぎるだろう」
そう繰り返しているのはドヤール家の前当主、バッシュだ。元々酒に強い性質で、ワインを何本空にしても酔う事はないのだが、今は酔っ払いの様に同じ言葉を繰り返してた。
「ですからねぇ、義父上。早すぎるというほどでもないと思うのですよ。アルト会長はサラナを託すに相応しい青年ですし、さっさと婚約者を決めておかないと、社交デビューしたらサラナに今以上に縁談が舞い込むのは目に見えているでしょう?下手な輩にちょっかいを掛けられないためにも、婚約は抑止力になると」
セルトもバッシュのグラスに酒を注ぎながら、同じ台詞を何度も繰り返しているのだが、バッシュが納得するはずも無く。
「サラナに悪さする虫など、ワシが全て斬り捨ててやるわ! このワシを倒さぬ限りは、サラナの相手になど認めてやるものか!」
「いやいや、義父上に勝てる相手を待っていたら、サラナはあっという間にお婆ちゃんになってしまいますよ。あの子を一生独り身にさせるつもりですか?」
「そ、そんなつもりはないが! セルト、お前はサラナが嫁に行っても構わんのか?相手の男をねじ切ってやりたいと思わんのか?」
「そりゃあ、掌中の宝を奪われるのですから、いい気分ではありませんが。サラナの場合は婿取りですからねぇ。それほど寂しいという気持ちにはなりませんなぁ」
アルトとの話し合いで、アルトはラカロ男爵家に婿入りすることを了承してくれた。現在、アルトの生家であるサース男爵家はアルトの父親が当主であり、長兄が後を継ぐ事が決まっている。長兄が後を継げば、アルトはサース男爵家から離れ貴族籍から抜けることになるだろう。大商会の会長という今の立場的に、ラカロ子爵家当主という身分があったほうが、色々と有利になるだろう。
「アルト会長がラカロ子爵家を継いでくれたら、ヒューが当主を継いだ時に手助けをしてくれそうだな!」
自分同様に書類仕事が苦手な息子を心配していたジークが良い笑顔でグラスを飲み干したが、セルトは困ったように窘める。
「アルト会長には商会がありますからね。その上にドヤール家の執務もなんて無理ですよ。ヒュー様の代では今以上に文官が育っているから大丈夫でしょう。ルエンが良い人材を引き抜いて、鍛えてくれていますからねぇ」
セルトの言葉にしょぼんと落ち込んでいたジークだったが、ルエンの話を聞いて途端に顔を輝かせた。
「ルエンの人材を見抜く目は凄いからなぁ。ルエンが連れてきた文官たちがバリバリ働いてくれているから、俺の仕事も大分楽になった」
「そうですねぇ。事業も増えたというのに、若い文官たちが頑張ってくれるお陰で、大分楽になりましたねぇ」
書類仕事を溜めがちだったドヤール家が、王宮に支援を出せるまでになったのだ。ルエンという逸材を得た幸運は、なにものにも代え難い。
「ジーク様。ドヤール家にある余剰の爵位を分家の一つとしてルエンに与えませんか。今のままでも十分に有能ですが、将来的に彼はドヤール家の文官を束ねる立場になりましょう。そのためにもある程度の身分があったほうがいい。」
「お。いいぞ。俺が昔ヤザリク領でブラックホーンの群れを倒した時にもらったヤザリク男爵位なんかどうだ? 」
「ブラックホーン。ああ。あの角が生えた獰猛な馬みたいな、肉食の魔物ですよね。群れになって襲われたら、村一つ食い尽くされると聞きましたが。お一人で討伐したんですか、そうですか。ははは」
セルトは図鑑でしか見た事のないブラックホーンの生態を思い出し、引きつった笑いを上げる。『黒い悪夢』という別名を持つこの魔物の群れは、『遭遇したら成す術はない』という注釈がついていたような気がするが、記憶違いだろうか。
「あんな馬もどき。角を掴んでバサッとしたら簡単に倒せるぞ。今度ブラックホーンが出たら、セルト殿も一緒に討伐に行こう! アイツの肉は臭みは無くて美味いんだ」
角を掴んでバサッととはどうやるんだろうと思ったが、たぶん理解はできないだろうからセルトは敢えて詳しく聞かなかった。この義兄は、魔物に対峙すると人間とは思えない動きをするのだから。
「おいっ。あんな手応えのない馬もどきの話などどうでもいい! ジーク! お前はサラナが嫁に行ってもいいのか! お前だってサラナをあんなに可愛がっていただろう!」
「うん? 別にサラナが遠くに行くわけでもないのだから、いいんじゃないか?」
「なんだと? サラナがどこの馬の骨とも分らん男に取られるのだぞ? 悔しくはないのか?」
クドクドと言い募るバッシュに、ジークはにんまりと笑う。
「その台詞。カーナが嫁に行くと決めた時も同じことを言っていたなぁ」
「……っ! お前、それは」
珍しくも焦りの色を浮かべるバッシュに、ジークはにやにやと笑う。この場合の馬の骨は、目の前にいるセルトのことなのだ。さすがのバッシュもセルトをちらりと見て焦りの色を浮かべる。
「娘を攫う男など叩き斬ってやるとえらく息巻いていたよなぁ、親父。でもセルト殿に実際会ってみたら、『気に喰わん小僧だ』と言いながらも、結局カーナがゴルダ王国に嫁に行くことを許していたなぁ。それで、カーナが嫁入りしたら寂しいとか心配だとか毎晩メソメソと」
「黙らんかぁ! ジーク! 叩き斬るぞ!」
怒りを露わにするバッシュだが、残念なことにいつもの覇気は感じられなかった。顔が真っ赤になっているせいだろう。
「……それは。義父上には、心痛をお掛けしました。その挙句、国を捨てる羽目になり、ご厄介までお掛けして。『カーナを必ず幸せにする』などと言いながら、彼女を不幸に……」
しょんぼりとセルトは項垂れる。若い頃、この恐ろしい義父を前に啖呵を切った自分は、ただただ無謀なだけだった。だが義父はそんな未熟な自分を広い心で受け入れ、大事な娘を託してくれたというのに、国から逃げ出すという情けない結果に終わってしまったのだ。
「馬鹿を言え、セルト。お前はワシとの約束を違えたことなど一度もないわ。親の庇護から出て苦労するなど、当たり前のことだ。カーナはお前と結婚して、苦労はすれど不幸だったことなど一度もない。あの子の顔を見れば分かる」
セルトのグラスに酒をダバダバと注ぎ、バッシュはにやりと笑う。
「よくぞ娘を守り通した。お前を誇りに思うぞ、我が息子よ」
不覚にも、セルトの胸は痛いぐらいに締め付けられた。
娘を持つ身になって、あの頃のバッシュの気持ちが良く分かる。他国の貧乏貴族にしか過ぎない自分に大事な娘を託すなんて、どれほど心配だったであろうか。
それなのにこの義父は、国を捨てた不甲斐ない自分を二つ返事で受け入れただけでなく、こうして認めてまでくれるのだ。
「その心の広さを、アルト会長にも持てよ」
「煩いぞ、ジーク! それとこれは別だ!」
揶揄う実の息子を、バッシュは本気で怒鳴りつける。そう、それとこれは別なのだ。
「大体なぁ、なんで反対なんだよ。アルト会長はセルト殿にそっくりだから、反対する必要なんてないだろう?」
「え?」
ジークの言葉に、バッシュよりも先にセルトが反応した。
「そっくり……、ですか?」
意外な事を言われ、セルトは戸惑ったが。
「ええ? セルト殿、自覚がないのか? アルト会長とセルト殿は、驚くほど似ているぞ。頭がいいし、仕事が出来るし、懐が深いし。何より、あの怒ったら物凄く恐ろしいところなんて、そっくりじゃないか。俺はどんな魔物よりも、セルト殿とアルト会長を怒らせるほうが怖いぞ?」
「……ああ、そうだな。あれは怒らせると厄介だ。淡々と理詰めでこられると、こう、尻がむずむずするな」
「そう! あれが恐いって感覚なのだと、俺は初めて知ったぞ! 妻を怒らせた時とはまた違う恐ろしさだ」
バッシュが渋面で呟けば、ジークが得たり!と言わんばかりに追従する。ミシェルが聞いていたら笑顔で怒りそうだが、幸いにも彼女はカーナやサラナと共に婚約式のドレスについて打ち合わせをしているので、この場にはいない。
ちなみにジークがアルトを怒らせたのは、サラナを連れて王都に行く方法を揉めた時だ。馬で行った方が早いし楽だというジークの主張は、アルトによって悉く論破された。アルトもよく王都まで馬で往復している事もあって、彼の主張は実体験に基づいた非常に分かりやすい意見だった。その言葉の端々に、『本気で淑女にそんな過酷な行程を強いる気なのか』という強い怒りを感じた。普段は穏やかな分、怒らせてはいけない相手なのだと、ジークは瞬時に悟ったのだが後の祭りだった。こってりと絞られた。
「サラナはファザコンだからな。似た男を選んだのだろうよ」
笑うジークに、セルトは複雑な顔をする。喜んでいいのか、悲しんでいいのか微妙な所だ。
「それに。カーナもファザコンなんだよなぁ。親父とセルト殿も似ている。娘に甘い所と、無条件に信用して、やりたいようにさせるところは、そっくりだ。貴族としては珍しいだろう?」
今度はバッシュが複雑な顔をする。娘に甘いことは自覚をしているのだ。
息子ばかりのジークには、バッシュやセルトの気持ちは分からない。半端な男に可愛い姪をくれてやるつもりはないが、アルトが婿入りするのはむしろ歓迎している。大事な姪を守る手が増える事は良い事だと。それに。
「きっとサラナが娘を産んだら、同じ様にアルト会長もこうして愚痴りながら酒を飲むんだろうな。アルト会長が仲間に加わるのも、楽しみだ」
「「子どもなんて、まだ早い!!」」
ワハハと笑うジークに、2人の男親の悲鳴のような声が重なった。それを聞いて、ジークは増々大笑いをするのだった。
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