110 お祖父様の帰還と説得
お祖父様が大量のグロマと共に帰ってきました。サラナ・キンジェです。ごきげんよう。
ええ。意味が分りませんわね。私もですわ。
でも、大量としか言いようがないのですもの。元々グロマは大きな魚だから1匹でもその存在感は凄いのだけど、荷車に山のように積まれているのは物凄く目立つわ。あ、鮮度を保つために全て氷漬けになっています。あしからず。
「サラナや。ちょっとシャンジャに行ってきた。これは土産だ」
お祖父様がなんだか怯えた?様にグロマの山を指し示しているけど。どうしたのかしら。いつもお土産を下さるときは、褒めて良いぞといわんばかりの得意げな顔をなさるのに。
「まぁ、お祖父様。随分と沢山のグロマですわね?」
「ん、うむ。お前が好きなグロマだからな」
歯切れの悪い言い方も、いつものお祖父様らしくないわ。どうしたのかしら。
それにしてもこんなにグロマを獲って、シャンジャは大丈夫かしら。グロマを獲り過ぎて絶滅していないわよね。
「シャンジャの深海にはグロマがうようよしているらしいから、大丈夫じゃないか? シャンジャにも、先代様が詫びとしてグロマを何匹か寄贈したから、文句はでないとおもうぞ」
お祖父様たちと一緒に帰って来たダッドさんがそんな事を仰ったのだけど。グロマは深海に棲む凶暴な魔物で、凶悪過ぎてなかなか獲れる人がおらず、それ故に希少なのであって、個体数は少なくないということは豆知識として知っているけど。以前、ついつい私がグロマが食べたいと口走ってしまったから、孫ラブなお祖父様がグロマの繁殖数を上回る勢いで狩り尽くしてしまうのではないかと、割と本気で心配です。
ええっと。それにしてもシャンジャに『詫びとして』って、なんのことでしょうか。
「な、なんでもないぞ、サラナよ。ほら、獲れたグロマの中でもとびきり旨そうな奴を持って帰って来たからな。好きなだけ食べるがよい。孤児院の童どもにも、食べさせてやるといいぞ」
まぁ確かに。これだけの量があれば、孤児院や村人たちにおすそ分けしても十分行き渡りそうだわ。
「ありがとうございます、お祖父様」
「うむ!」
なんとなく笑顔で押し切るお祖父様に誤魔化された気がしないでもないけれど。あとでシャンジのロータスさんに詳細を確認してみましょう。そうしましょう。
グロマの解凍やら解体やらはダッドさんとボリスさん、そして料理人さんたちにお任せして。
旅の汗を流したお祖父様へ改めて、アルト会長との婚約を報告したのだけど。
「こ、こ、こ、こ、婚約だと!」
案の定、お祖父様は大変ビックリされました。あ。お祖父様の持っていた紅茶のカップがぱりーんと握り潰されたわ。怪我していないか心配したけれど、厚手のグローブみたいなお祖父様の手に、陶器の破片ごときが勝てるはずがないわね。影のように控えていた侍女さんたちがそそくさと割れたカップを片付けていく。すごい黒子っぷりだわ。隠密みたい。
私と並んで座るアルト会長を射殺さんばかりに睨みつけるお祖父様。視線を向けられていない私ですら感じる恐ろしい圧を、アルト会長は涼しい顔で受けていらっしゃいます。
「はい。セルト様にお許しを頂きました」
昨夜、伯母様たちとのお話合いが終わった後。執務を終えられた伯父様やお父様も交えて、具体的に婚約の話を進めました。正式な婚約はデビュタントの後。婚約式なるものを開くそうです。えへへ。
「は、早すぎるだろう! サラナはまだ未成年だぞ! まだまだまだまだこんなに可愛くて幼いというのに、婚約など!」
「サラナ様は確かに成人前でいらっしゃいますがデビューも間近ですし、早すぎるというほどでもないかと……」
アルト会長が冷静にお祖父様に返している。凄いわ。怒れる鬼神モードのお祖父様に対峙しても、声一つ震えていない。なんて胆力かしら。
まあ、アルト会長の仰ることは何一つ間違っていませんからね。貴族ならば、小さい頃から婚約を結ぶことも珍しくはないし。デビュタントの後は大人として扱われるわけですし、一般的には成人前から学園卒業の間ぐらいの間に婚約を結ぶのが最も多いのではないかしら。
「だが、それにしても急すぎて、……おい、小僧。何故サラナと手を繋いでいるんだ。離さんか」
指摘されて気づきました。今日もエスコート代わりに手を繋いで歩いて、そのままだったわ。今日はお祖父様に婚約の報告をするからとそのまま横並びに座っていたから離す機会もなく、つい無意識に。
慌ててパッと手を離しました。あうあう、恥ずかしい。顔が熱い。アルト会長も気付いていなかったようで、顔を赤くしていらっしゃいます。愛い。
「ぬぬっ。だが、サラナはまだ若い。これからも色々な出会いがあるだろう。それなのにもう結婚相手を決めるなどと……」
お祖父様の言葉に、今まで出会った年齢的には結婚適齢期の男子を思い浮かべて、げんなりしました。浮気した元婚約者の王子殿下。力加減をしらない乱暴な王弟殿下。お祖父様を馬鹿にした傲慢な貴族令息。
男子に対して良い思い出がないのは気のせいかしら。ううん。気のせいじゃないと思うの。
お祖父様も私に関わった男子を思い出したのか、なんともいえない顔をしていらっしゃいます。
私のせいではないと、声を大にして言いたい。
「むうう。とにかく儂は反対だ! セルトが許そうとも、サラナが嫁に行くのはまだまだまだまだ早い! 婚約もまだまだまだまだ早い! ワシの傍から、サラナがいなくなるなど、考えたくもない!」
あ。お祖父様が泣きそう。そんな顔見てたら、絆されそうだわ。お嫁に行くのを躊躇っちゃう。
「ええっと? 結婚しても、サラナ様がバッシュ様のお側から離れる事は無いと思いますが?」
アルト会長が不思議そうに仰っています。
「婚約から結婚まで、暫く時間が掛かりますし。結婚後の住まいの事はまだ話し合っていませんが、私はモリーグ村を離れる予定はありませんよ?」
そう言えば昨日は婚約の時期や結婚式の時期などは話していたけど、結婚後はどこに住むかは話していなかったわね。アルト商会の本店が王都にあるので、漠然と王都に住むのかなーと考えていましたが。
「サラナ様の研究施設がここにあるなら、拠点はモリーグ村にした方が何かと都合がいいですし。私がお側を離れる時も、サラナ様を王都でお一人にするよりは、バッシュ様のお側に居て頂いた方が絶対に安心できますから」
「んむ? そ、それは、そうだろう。ワシ以上にサラナを守れる者などおらんからな」
アルト会長の言葉に、お祖父様の表情が和らぐ。
「サラナ様は魅力的なだけでなく、稀有な才能に恵まれていらっしゃいます。それを狙う者は数多くいるでしょう。勿論私も全力でサラナ様をお守りするつもりですが、やはりバッシュ様のお側の方が、サラナ様も心強いかと……」
それは確かに。王都は華やかな分、治安の悪い所もある。そんな所に近づくつもりはないけれど、やっぱり長閑なモリーグ村の方が落ち着くわ。研修施設や図書館のお陰で前より栄えているけれど、家畜と人口が未だに僅差ですからね。
まぁ、王都とは違ってモリーグ村は魔物という脅威があるのだけれど。お祖父様や伯父様、お兄様方がという守護神が4人もいるしねぇ。この4人だけで、王都の騎士団より強いのではないかしら。
最近、王都の学園にいるお兄様たちが、魔物相手の戦い方をお教えするために、騎士団に派遣されているのだけど。忖度なしにぼっこぼこに、いえ、厳しく鍛えていらっしゃるらしいです。騎士の皆様の更なる飛躍が期待できますね。
「でもアルト会長。本当に王都に住まなくても大丈夫ですか? お仕事に差し障りはありませんか?」
アルト会長はモリーグ村地元民なみに馴染んでいらっしゃいますけど、お仕事で王都に頻繁にお出かけになる。こうも頻繁に行き来するのは大変じゃないのかしら。
「行き来ぐらいは大した問題ありませんよ。慣れましたし。それより、貴女が安心して過ごされる方が大事です。王都ではずっと緊張なさっていましたから……」
あら。バレていたなんて恥ずかしいわ。いえ、王都から帰ってきてお祖父様の顔を見るなり泣いてしまったから、そりゃあバレているのでしょうけど。でもやっぱり、王都は気苦労が多いし、人の目が気になるし、アウェイ感が半端なかったものねぇ。私にはやっぱり、モリーグ村のスローライフが合っているのよ。スローライフかどうか疑問が残る点はともかく、のびのび出来るからね。
「小僧……。サラナをよく見ておるな。この子はしっかりしておるし、表には出さんようにしておるから、なかなか読み辛いというのに」
ポツリと、お祖父様が感心したように呟いている。ええ、アルト会長には何故か色々とバレてしまいますよ。ちょっと無理してお仕事していると、笑顔で執務室から強制退去させられますから。たぶんアルト会長は人の心が読めると思うの。
「ふんっ! だがワシだって、サラナが辛い思いをしていたらすぐに気付くぞ! それに原因だってすぐに粉砕してやるからな!」
お祖父様、原因は解消しましょう。腕力で粉砕はしてはいけませんよ。アルト会長、笑顔で頷かないで。
なんとなくお祖父様がアルト会長に懐柔、いえ、気を許してた雰囲気になったのだけど。お祖父様はふるふると頭を振り、キッとアルト会長を睨みつけた。
「うむぅぅぅうう。サラナがお前に惚れているのは周知の事実だが、そう易々と認めんぞ!」
お祖父様のこの世の苦難を全て背負ったような顔をなさっていますが。ちょっと待って。私がアルト会長の事を好きってこと、周知の事実なんですか? 周知って、どのへんまで? え? 少なくともモリーグ村中? なんてこと。
「必ず、一生、大事にすると誓います」
「そんなことは当たり前だ! このワシだとて、それぐらい造作ないわ!」
アルト会長の言葉にキュンとしていたら、お祖父様にまでキュンとさせられました。くぅぅ、油断していたわ。
「だがワシは、いずれはこの子を置いて死ぬ身だ。大事な孫娘を託すのだ。生半可な覚悟では許さんぞ」
先程までの子犬の様な可愛らしさが霧散して、お祖父様の雰囲気がガラリと冷たいものに変わる。音も無くスラリと剣を抜き、切っ先をアルト会長に向けた。冷ややかにアルト会長を見据え、斬りつける様な鋭さで告げる。
「誰よりもサラナを幸せにすると誓え。この子を愛し、裏切らず、その身でもって生涯守り抜くと。一つでも違えたら、ワシにその首を差し出せ」
動いたら即斬られそうな張り詰めた空気の中、アルト会長は嬉しそうに破顔した。
「サラナ様を幸せに出来る幸運を与えて下さることを感謝します、バッシュ様。ええ、一つでも違えたら、喜んでこの首を差し出しましょう」
望むところだといわんばかりのアルト会長に、お祖父様は呆気に取られていたけれど。舌打ちしながら剣をしまった。
「……ふんっ! 相変わらず、気に喰わん小僧だ!」
「ありがとうございます」
うん。お祖父様の『気に喰わん』は、『見どころがある』という変換になるわけですね。分かります。
そんなことを考えられるようになるぐらい、張り詰めていた空気が和らぎました。はぁぁぁ、怖かったぁ。
「しかしバッシュ様。このように剣を抜かれるのは今後、サラナ様の前ではお控えください。怖がっていらっしゃいましたよ」
「なにっ? そうなのか、サラナ」
そしてエスパーアルト会長は、今日も私の気持ちを即座に読んでいらっしゃいます。平常心を保っていたはずなのに、なんでバレているのかなぁ、って。ええっと。アルト会長、怒っていらっしゃいます?笑顔が怖いわ。
「す、すまない、サラナ。これはだな、本気ではなくて。いや、返答次第では、小僧を斬るつもりではいたが、覚悟を見極めるためには必要な事で」
「それをサラナ様の前でなさる必要はないと申し上げています。サラナ様は気丈に振舞っていらっしゃいますが、か弱きご令嬢です。武人すら怯えるバッシュ様の怒気に、ご令嬢が耐えられる筈がないでしょう」
「むぅ。すまん。ワシが軽率であった」
しどろもどろになるお祖父様を、容赦なくビシビシ追い詰めるアルト会長。
どこかで見た光景だわーと既視感を覚えていたら。うん、これ、まんまお父様に怒られる伯父様だわ。普段穏やかな人を怒らせてはいけない、典型的なパターンですね。
珍しい組み合わせではあるけれどある意味見慣れた光景に気を緩めた私は、侍女さんたちに新しいお茶を頼んだ。お祖父様のピリピリした怒気に怯えていた侍女さんたちも、すっかり平常運転でお茶を準備してくれる。立ち直りが早いわー。
アルト会長にこってり叱られたお祖父様が、デビュタントのダンスの順番について説明され。また悲鳴をあげていたけれど。
私が思っていた以上に早く承諾してくださったのは、アルト会長が怖いせいではないと思うの。たぶん。
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