おまけ ※2章終了直後
私はフィンリー・キャスパー。
ヨークシャーにマナー・ハウスを構えるフレデリック・イングリス准男爵の従者だ。フレデリック様は年若くして家督を継がれたので、私よりも三つも年下の主人である。
整ったご容姿をされているのに、社交場がお嫌いであまり他人に関心をお持ちではない。上流階級では陰で変わり者と揶揄されてしまうこともある。
それでも、使用人たちにつらく当たることもなく、過度に偉ぶることもなく接してくださる。性根はまっすぐな方だ。
そんなフレデリック様はこの日、書斎の机に両肘を突いて項垂れておられた。
「…………」
ひたすらにため息を繰り返され、漂う空気は葬儀さながら。
フレデリック様がこのように感情をお出しになるのは、本来ならば非常に珍しいことだった。それが近頃はごく頻繁になってしまわれた。それは、とある一人の女性のせいに他ならない。
初めて会ったその日から、その女性がフレデリック様にとって特別であることは間違いなかった。
ずっと気にかけて来られたのは知っていたけれど、本人をこの屋敷に迎え入れてからというもの、溢れ出す感情に歯止めが利かないご様子だった。
こんな方だったかな、と思ってしまうほど無邪気に喜ぶ。そして、落ち込む。
声をかけず、そっとしておくという選択肢もあったが、そうするとこの状況が終わらない。
私は仕方なく声をおかけすることにした。
「どうなさいました、旦那様?」
ちらりとこちらに顔を向けられたフレデリック様の額には、押しつけていた手の跡が残っている。
そして、この世の終わりのような声を絞り出された。
「…………ちょっと、調子に乗りすぎたかもしれない」
「は?」
「いや、わかっている。明らかにやりすぎた。嫌われたらどうしよう……」
一体何をしたのだろう。
あの家庭教師は冗談の通じない娘かもしれないが、恩のあるフレデリック様に対して失礼な態度は取らないだろう。
嫌われても多分、普通に接してくれる。
ちょっとくらいは目が冷ややかになるかもしれないが。
――なんて心配は要らない。
多分彼女も、そんなフレデリック様の言動に泣いたり笑ったり落ち込んだりしているだけだから。
「きっと大丈夫ですよ」
それを口にすると、フレデリック様に睨まれた。
「簡単に気休めを言うのは止してくれ。大丈夫じゃなかったら? そっと目を逸らして距離を多めに取られた日には、僕はもう立ち直れない」
「……一体何をされたのでしょうか?」
そっと目を逸らして距離を取りたくなるようなことをしたと。
それもまた面白い――と言ってはいけない。
それにしても、フレデリック様は本気で気がついていないのだろうか。
彼女がフレデリック様を見つめる目に。
彼女が今、どんな想いを秘めているのかを。
「ロビンがとても清らかで、天使みたいに見えて、それで――」
言い訳じみたことをごにょごにょと言われた。
懺悔ならば教会ですべきだとは思う。
「次に顔を合わせた時にどんな顔をしたらいいんだ?」
「顔を合わせられないようなことをされたのですね」
「それは…………」
フレデリック様はまた机に突っ伏してしまわれた。
非常に面白いことになっているが、ご当人は真剣だ。
当分の間はあたたかく見守って差し上げましょう、と家政婦のブレア夫人からも言われている。
だから、ここは生温かく見守る。
「フィンリー、何を笑っている?」
「いえ、笑ってなどおりません」
「目が笑っている。お前と何年つき合っていると思っているんだ」
「生まれつき、こういう顔です」
フレデリック様はむくれていた。まるで少年に戻ったかのようだ。
こんな姿を見たら、彼女はなんと言うだろう。
それでも、悲しい幼少期を過ごされたフレデリック様がこんなにも感情を揺さぶられる今があってよかったとも思う。
願わくは、彼女がフレデリック様から目を逸らして距離を多めに取りませんように。
しかし、こんなにぐちぐちと女々しく悩んでいたくせに、実際に彼女と顔を合わせた時には何事もなかったかのように平然と振舞っていたのはさすがだった。
ただし、心音は激しく鳴り響き、とても手汗を掻いていたことだろう。
そんな二人を、もうしばらくは生温かく見守る。
それが私、従者の役目である。
フィンリー、ちゃんとフルネームで名前をつけたのに、そういえば本編で出てこなかったなと(笑)




