カルテ706 石剣のバレオン その7
「本当に元気だな、お前……蜂蜜でもパンにつけて毎日朝ごはんに食っているのか?」
バレオンはつい獣相手に軽口を叩いてしまう。熊だってこの荒れた天候には相当参っていると思うのだが、若いせいか、それとも体力があり余っているのかわからないが、全然こたえた様子が無く、元気にグルルル言っている。
とにかく獣相手には目を反らしたら駄目なので、不毛なにらめっこがずっと続いていた。熊の両の瞳は漆黒のビドロ玉のようで何の感情もうかがえないが、引くつもりは欠片も無さそうだ。両者ともに合い譲らず、息が詰まるような緊迫した時間が過ぎ去っていった。
とはいえいつまでもずっとこのままというわけにもいかない。いずれどちらかの体力が先に尽きて、無慈悲な白魔の腕に抱かれて涅槃へと至る羽目になるだろう。そしてそうなる可能性が高いのは、体長2メートル以上ある若いオス熊よりも、悔しいが中年の人間のバレオンの方だった。
「こうなりゃ先に仕掛けるか? あまり好きじゃないんだがな……」
後の先の戦法を得意とする彼としては、熊公に攻撃して欲しかったのだが、どうも希望通りにはいかないようだ。ならば嫌でもこちらから動くしかあるまい。余力のあるうちに最大の攻撃を最も効果的にしかけるのは闘いの基本である。
「しっかしタイミングがなあ……」
思わずため息を吐きそうになるくらい、敵には隙というものが見当たらない。彼が少しでも動けば、たちどころに大喜びで突進してくるだろう。あのナイフのような爪の餌食になるのはまっぴらごめんである。多分あれに触れただけで顔面の肉程度ならこそぎ落とされるであろう。うかつな攻撃は死に直結する。
だが、思わぬ偶然によって膠着状態が決壊することとなる。
にらみ合いのさなか、何の前触れもなく、突如側の木の梢から大きな雪の塊がバレオン目がけてどさりと落ちてきた。




