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カルテ67 閑話休題 その7 人狼の秘湯と幻の月 その3

「さすがにインスリンで治るような感じじゃないよね……」


 テレミンはルセフィの髪から名残惜しそうに手を離すと、聞かずもがなのことを確認するように問いかける。


「それはもう必要ないと思うわ。あの時と症状が全然違うもの。一応注射器は、この黒い袋に入っているけどね」


 少女は今まで散々さばいてきた動物の内臓を思い出し、柳眉をしかめた。あのおぞましい作業をしなくてすむだけでも、吸血鬼に転生してよかったと心の底から思う。人間のかかる身体的疾患と永遠に無縁の身となったことは非常に喜ばしかった。しかし……。


「一体どうすればいいんだ?」


 独り言のようにつぶやく少年に対し、少女はやや紅くなった瞳を向けた。そう、それはまるで獲物を見つけた肉食獣のように、闇の中で怪しく輝いていた。


「もうわかっているんじゃなくって、テレミン・バルトレックス? 吸血鬼を癒すことができるものは、この世でただ一つよ」


「……人間の血?」


 そう答える少年の顔は、ルセフィほどではないが、やや青ざめていた。


「どうやら転生直後に、調子に乗って大魔法を唱えたのがいけなかったようね。伝説の魔女ビ・シフロール……もとい、お母様の作成した護符は、あなたのお父様や私自身をあっさりと死に至らしめたほど、どれも常識外れの膨大な魔力を必要とするものばかりよ。たとえ最上位の吸血鬼となって莫大な魔力をその身に宿したとしても、決して無尽蔵ではないし、あの時雷の護符を使ったせいで、底をついてしまったらしいわ」


「そうか、それで調子が悪かったんだね」


 テレミンはやっと現在の彼女の状態を理解した。あらゆる肉体の病いにかからない不死の一族とはいえ、魔力を極度に消耗すれば、それは身体にも影響を及ぼし弱体化させるとかつて本で読んだことがあるのを思い出した。そしてその本には、彼らが魔力を回復させる手段は、人間の血液を飲むことだけとも付記されていた。魔獣や魔物の研究家として有名なメイロン博士が記したとされる貴重な書で、作者自身、研究好きが嵩じて人外の存在と化したとも言われている。


 二人の、否、人間と吸血鬼の間に、重苦しい沈黙が室内の闇以上に黒々とわだかまっていた。息が出来ないくらいの緊張がチリチリと少年の肌を焼き、見えない腕が喉元に食い込むように感じられたほどだった。


「僕は……」


 無言に耐えられなくなったテレミンがようやく口火を切ると、「待って」とルセフィが、寝台から体を起こしながら制した。


「あなたの言いたいことはわかる。でも私は、あなたからの血の提供を望みはしないわ。そんな立派な立場じゃないもの。本当にあなたが心の奥底からそれを強く望み、一切後悔しないというのならば別だけど、それをすればどういう結果になるのか、賢いあなたならよくわかっているはずよね、テレミン・バルトレックス?」


「……」


 彼はただ黙ってうなずき、返答に代えた。そう、吸血鬼……至高の存在バンパイア・ロードに血を吸われた者はバンパイアに転生し、不死の代わりに主人に対し永遠の忠誠を誓うことになるのだ。それを回避する手立ては、少年にはあるのかどうかさえわからなかった。


「……少しだけ元気が出てきたから、ちょっと真夜中のお散歩に行ってくるわ。お日様を拝めない分、月の光を浴びたいしね。本当は、『外の空気を吸ってくる』って言いたいけれど、私って今呼吸してないような気もするので、ちょっと言いづらいのよ。言葉って厄介なものね」


 彼女は話題を変えるように軽い調子で話しかけると、立ち尽くすテレミンの側を通り抜け、戸の外へと出て行った。


「僕は……」


 誰もいなくなった虚無のような室内で、彼は独り言を繰り返す。自分は一体ルセフィのことをどう思っているのだろう? 初めて伯父の山荘で出会ってから、その可憐ながらも高潔な姿に仄かな恋心を抱いていたが、あの衝撃的な切り裂き魔の事件の中で彼女の辛く悲しい過去に触れ、例えルセフィが遺体の内臓を取り出したり、殺人を犯そうとしていたと知っても、彼女に寄せる想いは弱まるどころか益々深まった。そして、死んだと思った彼女が吸血鬼となって復活し、迫り来る亡霊騎士軍団を一瞬で殲滅した時、一生彼女について行こうと決心した。今でもその気持ちは変わっていない……もう二度と彼女を失いたくなかったから。


「でも……」


 彼女に血を捧げ、人間をやめて異形の下僕となった場合、自分の胸に秘めたこの想いは一体どうなってしまうのだろう?

すいませんが、またしばらく休ませてください。

それにしても温泉って良いですねw

では、また。

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