カルテ579 牡牛の刑(後編) その30
しかしケルガーが喚いている間にも死の衣は容赦なく近づき、ついには絶望の指先をミノタウロスの鼻先に接触させた。
「グエエエエエエッ!」
途端にかつてないめまいと吐き気が生じ、彼は盛大に地面に吐瀉した。
「ゲオオオオオオッ! ひっでえなこりゃ! てめえのクソ汚い童貞汁を吸っちまったじゃねえかよ」
「「「童貞汁言うなーっ!」」」
どうやら激昂した時は波長が合うらしく、魔獣が一斉にがなり立てる。
「このヤリチン野郎が! 童貞だって生きてんだぞ! 性病にかかって死ね!」
「クックックックッ、だがついに吸ったな貴様! まあ、少量ならば死にはしないかもしれないが、体内にどんどん蓄積されていくと、どうなるかな? さぞや不味い牛肝が出来上がりそうだな」
「……おしっこしたい」
「……」
三者三様の戯言も耳に入らないケルガーは懊悩する。もはや一刻の猶予もない。
(何か……きっと何か打つ手はあるはずだ。いくら必殺の毒霧とはいえ、攻略不能の無敵の攻撃方法なんてやつが存在するはずがねえ。例えば突風の護符でも持っていたならば、こんなちんけな霧なんざ詠唱一発で一掃出来るんだが……って、突風?)
命の燃え尽きんとするまさに瀬戸際で閃いた闘士は、肺の中に残された貴重な空気を総動員して頬を膨らませ、自らも相対するケルベロスのように口先をすぼませると笛のような音を立てて一気に噴き出した。見ると眼前に垂れこめた紫の厚い幕が心なしか薄れ、風の通り道がかすかに出現していた。彼の心に希望の灯が宿った。
「これだ! 風を起こせば霧は払える! 息の他に何かいい手は……ってあるじゃねえか! バッカだな俺!」
ケルガーは手にしたままだった獣の死骸入りの平たい大岩に気づき、口角を上げてにんまりとした。
「いっくぞおおおおおおおお!」
彼は両腕の筋肉を最大限にバンプアップさせると、重たい大岩をまるで扇のようにフルスピードでバタバタと扇いだ。たちどころに周囲の霧は千切れ飛び、光が差し込んだ。




