カルテ559 牡牛の刑(後編) その9
ケルガーがブツブツ文句をこぼしながらも小屋の周りに転がっている薪を拾い集めている頃、白狼の群れはトボトボと杉の木立の中を帰路へとついていた。完膚なきまでに襲撃に失敗したせいか、それとも怪力の魔獣の攻撃による傷痕が各々痛むのか、行きとは違って足取りは重く、耳も尻尾も心なしか垂れ気味だった。やがて杉林の奥に雪を被った岩山が見えて来た。その岩壁に開いた大きな洞窟が、彼らの住みかだった。
「グオッ!?」
だが、ねぐらに近づくにつれ、先頭のリーダーが不審な臭いを嗅ぎつけ、警戒の吠え声を発し後ろの部下たちに注意を促す。洞窟の中に今まで会ったことのないほどの邪悪な存在を感じ、彼は目を細め、牙を剝き出しにした。どうやら留守の間に何者かに母屋を乗っ取られたらしい。今夜はとことんついてないと人間だったらため息の一つもつきたくなるシーンだが、勇敢かつ獰猛なリーダにとっては、むしろ格好の憂さ晴らしだった。
彼は鼻先と目線で仲間たちに散開するよう合図を送り、洞窟の入り口を扇状に取り囲む。侵入者が顔を出した瞬間に袋叩きにする戦法だ。
「落ち着くがいい、畜生ども。お前たちと争うつもりはない。もっとも敢えて戦うというのならば、中の幼獣やメスたちは皆殺しにするが」
突然低く重量感のある人間の声が黒々とした闇の中から響いてきた。だが驚くべきことに、それは動物の唸り声にも似ており、獣である彼らの耳に意味として通じたのだ。もっとも人語よりはもっと簡略化された内容ではあったが、謎の存在の言いたいことは十全に群狼全てに伝わり、皆に動揺が走った。
「そこの一番前にいる屈強なお前がこの群れを仕切るボスか? その座を俺にあけ渡せ。そうすれば貴様らの無事と繁栄を約束してやろう。どうだ、悪い話ではあるまい?」
正体不明の人語と吠え声の中間のような音色がリーダーの冷え切った耳朶を打つ。彼は本能的に悟った。こいつに勝つことは恐らく出来ない、と。それは先ほどのミノタウロスとの戦いの時以上に明白な事実であり、この北の地を支配する弱肉強食の掟そのものだった。
「早く決めた方がいいぞ。俺は気が短いのでな。何なら見せしめに何匹か肉塊に変えてやろうか?」
声は徐々に禍々しさを増し、リーダーの決意表明を急かせる。彼には周囲に充満する死の臭いが一段と濃くなったように思われた。




