カルテ543 記憶の宮殿と琵琶法師(前編) その6
「くぅっ……」
文字通り焼けつくようにヒリヒリする左手を右手でさすりながら、オダインの瞳から人知れず熱いものが零れ落ちる。別に痛みで泣いているわけではない。いくら机にかじりついて勉強しても勉強しても中々呪文が覚えられず、試験で上手くいかずに毎回追試を繰りかえし、カド番の留年崖っぷちまで追い詰められ、もう後がないことへの絶望によって傷つけられた魂の流した血の雫だった。
ザイザル共和国の片田舎に住む貧乏貴族の両親が、毎年無理をして高い学費を払ってくれているというのに、その期待に応えられていないどころか一族の面汚しになっている不甲斐なさが、更に彼の心臓を揉みしだかんばかりに苦しめる。昔はすぐに読み書き算数を覚え、神童ともてはやされたというのに、今ではその神通力は欠片もなく、凡人以下の存在に成り下がっている。
そんな零落した彼に優しく手を差し伸べてくれる者など誰もおらず、せいぜい同じ追試仲間のリントンと飯を食べに行って傷口を舐め合うくらいだ。それはそれでありがたいのだが結局何の解決にもならずお互い泥沼の中でじゃれ合っているに過ぎない。
「疲れた……もういっそ、護符師の塔にでも駆け上って飛び降り、下の花壇の肥やしにでもなってやろうか……」
彼の脳裏をチラチラと、かつて先輩に聞かされた学院の大鐘楼に伝わる忌まわしい伝説がよぎる。あそこは歴代の自殺した留年生たちの亡霊が群れを成すという魔の名所だ。去年も追試に落ちて退学を宣告された哀れな学生がその直後にそこから身を投げてあたら若い命を自ら散らし、学生たちの間に衝撃が走ったばかりだった。
お気楽なリントンなんぞは、「ってことは今年の試験は少しは緩くなるんじゃねーか? 以前は自殺者が出た次の年はけっこう通ったこともあったらしいぞ。楽勝楽勝」と、どこから仕入れたのかわからない情報をまことしやかにだべっていたが、そんな恩赦は実際はまったく無さそうな様子で、大量の追試者たちが今夜も学寮内でうめき声を発していた。
誠に申し訳ありませんが、例の地震の後片付けやらなんやら色々ありまして、1月中は異世界医院の更新を週一回(火)にさせてください。作者は家の冷蔵庫に殺されかけたけど無事です!早く余震が鎮まると良いんですがね…本当にすみません。では!




