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カルテ321 牡牛の刑(前編) その14

 極北の地に被さった蓋の如き灰色の天から、はらりと純白の欠片が舞い落ちて来た。雪だ。やがてこの荒れ果てた瓦礫の山も白く覆われるに違いない。


 大気中の粉雪を震わせるほどのミノタウロスことケルガー・ラステットの呵々大笑を、ケルベロスことホーネル・マイロターグは三つ首揃えて苦々しく聞いていたが、その漆黒の頬はどれも徐々に彼の堪忍袋の如く膨らみつつあった。きっと必殺の武器たる毒汁を静かに溜め込んでいるのだろう。ケルガーの傍らにひっそりと立つエリザスは目ざとくそれに気づいた。


「お願いケルガー、馬鹿笑いしながらでいいから私の話を聞いてちょうだい!」


 吹き抜ける風に紛れさせながら彼女は仮面越しにそっと毛深い牛の耳に囁きかけるも、笑い声に邪魔されて彼の鼓膜まで嘆願が届かない。そうこうするうちにも、地獄の番犬の口元が再び黒イチジクの如く先細り、劇物放出のカウントダウンに入る。エリザスは決心を固めた。


「ケルガー、伏せなさい! でないとあんたの大好きなママが永久に悲しむことになるわよ!」


 次の瞬間、エリザスは大声を張り上げながらミノタウロスの前に飛び出すと、鉄仮面のわずかな隙間から、ケルベロスの口腔から解き放たれた毒液の矢をはっしと凝視した。


 人間とは構造が異なる魔獣の瞳……しかもその中でも「魔眼」とまで称される彼女の赤瞳は、極限まで集中すれば尋常ならざる正確さで視野に映るもの全てを捉え、しかも須臾の間もなく脳の視覚野に情報を伝達・再構築する。身体能力には特に秀でない代わりに彼女が得たもの、それはまさに全てに勝る「眼」だった。


(信じろ……自分を信じろ!)


 彼女は脳をフル回転し、非常に精密な視野の映像から三次元的に判断すると、ごくわずかに頭の位置を左にずらした。刹那、ジュッという音と共に鉄の腐食する血の臭いにも似た刺激臭が生じ、エリザスは鉄仮面に受けた衝撃で後ろにひっくり返りそうになるも、ここを先途とばかりに踏ん張って、何とか持ちこたえた。


(うぐっ!)


 耐えたのはいいが、息も出来ないような腐食ガスがフルヘルメットの中に立ち上り、思わずむせ込みかける。自慢の魔眼が更に充血し、鼻がひん曲がり、いよいよ我慢の限界に達するかと思われた時、今度はバキッという音がして、卵の殻が割れるが如く、鉄仮面が大きく開き、煙が盛大に解き放たれた。

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