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カルテ296 眠れる海魔の島(後編) その25

 ようやく周囲の濁流が澄んできたのだろう、海水の色がドブのような茶褐色から明るい紺碧へと移り行くさまは、あたかも嵐が通過した後の空のようだった。おかげで魔獣のあぎとに落ちかかっているイレッサにも、水面から差し込む午後の日光が薄っすらと見えた。


「まったく、何時まで寝ているつもりだったんだ、色ボケの海藻頭め! もう少しで手を離して見捨てるところだったぞ!」


 ゼローダの鬱憤は収まらない様子で、彼らを円形に取り巻く魔獣の鋭い歯列並みに凶悪な形相をしていた。どうやら実際のタコとは内部構造はかなり異なっている様子だ。


「あら~ん、そんなにカリカリしちゃ嫌よ~ん、ちょっとお昼寝してすっごい潮吹きの夢を見ていただけなのよ~、ごめんちゃ~い」


「また下ネタか! 貴様の淫夢の内容なんぞ聞きたくもないわ!」


「違うってばー、下ネタじゃなくってクジラさんの潮吹きだってば~。んも~、勝手に誤解しないでよね~」


「わかったわかった、わかったからとにかく早くなんとかしろ! もう手が持たんぞ!」


 ゼローダの日に焼けた顔が風邪でもひいたみたいに異常に紅潮し、汗が滝のごとく噴き出している。確かにそろそろ限界が近いのだろう。どんな極限状況下でも相手をおちょくることを忘れないイレッサも、これにはさすがに真顔にならざるを得なかった。


「了解よ! 今すぐこいつに一発でっかいのをぶち込んでやるわよ! ちょっとだけ待ってなさい!」


 言うが早いか空いている右の手掌を奈落のごとき下方に向けた。魔獣の喉の奥からは、魚の腐敗臭にも似た臭気を伴う生暖かい風が吹きつけるため、思わず鼻をつまみたくなる衝動に駆られるも、今はそれどころではないと全神経を詠唱に集中する。頬に刻まれた蔦の図柄の入れ墨が青白く輝き出し、魔獣の暗い口腔内をほのかに照らし出した。


「グランダキシン!」


 絶叫と同時に紅蓮の炎が突き出した掌底から出現した。火球は天から飛来した燃え盛る隕石のごとく周囲の軟部組織を焼きながら一直線に突き進み、大きく開いた魔獣の咽頭部へと転がり落ちて行った。


「ゲゴオオオオオオオオオオオッ!」


 刹那、大海を揺さぶる凄まじい雄叫びが轟くと、喉の奥から膨大な量の海水が噴出して劫火を瞬時に消し去ると同時に、口腔内の二人を吹き飛ばした。

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