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カルテ283 眠れる海魔の島(後編) その12

 海面の揺れは先ほどよりはやや収まったものの、まだ常人なら吐き気を催すほどの上下運動を繰り返し、やぐらの残骸部の筏は即バラバラになってもおかしくない状況だった。だが、そんな足場の悪さにも関わらず、コキコキと長い手足の関節を器用に鳴らし、鼻歌混じりに準備体操を終えたイレッサは、瞳に炎を燃えたぎらせると沖を見つめて乾坤一擲の大勝負に出る決意を新たにした。


「よっしゃ、んじゃちょっくら行ってくるわよー! 晩ご飯までには帰るから待っててねー。今まで人生で喰ったことのないくらいでっかいタコの踊り食いを味わわせてあげるから、楽しみにしてるのよーん!」


「……いらんから早よ行け」


「あらーん、冷たいのねー。やっぱり既婚者って身体だけが目当てで事が済んだら豹変するって本当だったのねー」


「……」


 これまでだいぶ耐えてきたが、遂に堪忍袋の緒が音を立ててブチ切れたゼローダが、ゲンボイヤ以上に不快極まる腐れ海草頭を海の底に蹴り落とそうと心に決めようとしたその時である。


「……ゼローダーっ!」


 微かに鳴く小鳥のさえずりにも似た彼の名を呼ぶ声が、潮騒に混じって彼方から響いてきた。その声は天啓のようにゼローダの鼓膜を打ち震わせ、全ての思考を停止させた。


「そ、その声は……!?」


 思わず取り落としそうになった長銛を危ういところで握りしめると、ゼローダは手庇を作ってかつて浜辺が存在した辺りを眺めた。今や神の怒りの天変地異のごとき現象で大海に没した彼の家があったと思われる方角から、空よりも海よりも瑠璃よりも青い何かが木の葉のように波間に揺られている様が遠目に見える。更に目を凝らすと、その青い端切れの上には二つの点が乗っているように思われた。


「あああああ……」


 知らず知らずのうちに目頭が熱くなり、涙で視界が滲む。ゼローダは生まれて初めて運命神に感謝し、天空に輝く昼間の白い月に黙礼した。


「アラベルーっ! 今行くぞーっ!」


 我に返ったゼローダはやおら身長よりも長い銛を水中に突き刺すと、飛び込みの姿勢のまま固まったイレッサを乗せたまま全速力で漕ぎ出し、異形の浮遊物に向かって突き進んでいった。

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