カルテ278 眠れる海魔の島(後編) その6
(うっわー、綺麗……何これ?)
ぬるま湯の如く温かい真夏の海水をかき分けながら、イレッサは恋する乙女のように、思いがけない風景にうっとりしていた。
宝石細工にも似た色とりどりのサンゴが枝を伸ばし、隙間なく海底を埋め尽くしている。その森の中を目の覚めるような青や黄色の原色の熱帯魚の群れが泳ぎ回っている様子は、まるで蜜を求めて春の花畑を優雅に舞う蝶の大群のようだった。
(素敵……持って帰ってあたいのおパンティやネグリジェの飾りにしたいわ……あーん、いつまでもここにいたいけど……)
イレッサは自分の目的もしばし忘れて天国もかくやという幻想的な楽園に魂を奪われ呆っとしていたが、いくら素潜りに長けたハイ・イーブルエルフとはいえ呼吸を我慢するのにも限りがあるため、後ろ髪というかモヒカンを曳かれる思いで沖に向かって泳いでいった。
美の饗宴ともいうべきサンゴの森は徐々に疎らになり、やがて海の色は濃さを増し、ゴツゴツした岩場が目立ってきた。
(あら……あれは……?)
遠目に巨大な尖った岩が海底からとげの様ににょっきりと突き出し、その先に何か大きな丸いものが括りつけられているような奇妙な姿が見えてきたため、彼は弛み切っていた気持ちを引き締めた。
(あれって何かしら……視界が海水で歪んだわけでもないようだけど……)
やや息が苦しくなってきたイレッサだったが、ここを先途とばかりに気合を込めて、平泳ぎのピッチを速め、距離を縮めていく。やがて全容が視界に飛び込んできたとき、その衝撃に水中にもかかわらず彼は口を開けて叫びそうになった。
(こ、これは……!)
なんと円錐状の岩の先端に胴体の直径が二十メートルはあろうかという超巨大なタコが赤黒くうねる自分の触手を絡めており、悪夢のような姿を曝していた。海流のためにゆらゆらと揺れ動く様子は、まるで柄の先に鉄球をぶらさげた打撃武器のモーニングスターの出来損ないのようだった。
よく見ると、奇妙なことに岩にへばりついている二本の触手の先端は人間の手指のように五本に枝分かれしており、他の六本の触手を三つ編みでも編むように巻き込み、あたかも自分で自分の動きを封じているかのようにも見えた。
(凄いわね……こいつが間違いなく眠れる海魔の大喰らいで怠け者のゲンボイヤちゃんってわけね……しかしこの後一体どうしたものかしら……ってあれは?)
伝説の存在に気を取られて考え込んだイレッサは、うっかりして自分を狙う存在に気づくのに遅れてしまった。




