カルテ232 伝説の魔女と辛子の魔竜(後編) その13
「ふぅ~、これで何とか全員診終わりましたかねー、いやー、疲れた疲れた」
白衣のモジャモジャ頭の本多医師は大きく息を吐くと、拳で額の汗をぬぐった。
「誠に申し訳ございません、村長さん。わざわざ部屋を提供していただいて」
赤毛の看護師ことセレネースが、患者の足に包帯をてきぱきと巻きつけながら、無作法な医師の代わりにローガンに謝意を述べる。
「いえいえ、他ならぬ村の皆さんのためですし、このポノテオ村で一番広い家といったら、差し出がましいですが、うちだと思いますので」
せっせと食堂の棚を動かして場所を作りながらも、ローガンがはにかんで答える。持病の腰痛があるとのことだが、特に問題なさそうだ。ここ村長宅の食堂は、現在二十床程度の藁敷きの寝床が設えられ、症状の重い者たちが寝かされており、つまりは急ごしらえの野戦病棟と化していた。エナデールはといえば、足の踏み場もない室内を縦横無尽に駆け回り、他の三人の手伝いに励んでいた。
ある時は皮膚の水ぶくれが潰れて痛がり、全身を掻きむしろうとする不穏老人の両腕を押さえつけて、医師が患部にローションクリームを塗るのを手助けしたり、またある時は両眼がウサギの如く真っ赤に腫れ、涙が止まらない女性に、見よう見まねで眼軟膏を塗布したり、またまたある時は、焼けつくような喉の痛みを訴えコンコンと咳をする子供に、セレネースに教わってネブライザーなる奇妙な物を口に当てさせ吸引させたり、他にも酔っ払いのようにゲーゲー吐き続ける男性の元に慌ててタライを運んだり、口内炎がひどくて苦しむ老婆の口腔内を軟膏処置したり等々、細かい仕事は数え上げればきりがなく、目の回るような忙しさだった。
ただし、身体を必死に動かしている時だけは自分の犯した過ちのことを忘れることが出来たのは、勿怪の幸いだった。こういう罪の償い方もあるのだな、と元魔竜は雑巾でゲロまみれの板床を拭きながら、しみじみと理解した。もし、あのまま山奥に籠ったままだったら、悶々と悩み続けるだけで数百年の時を過ごしていたかもしれない。
「いやー、軍医じゃないんで毒ガス治療なんてのはさすがの僕も生まれて初めてでしたが、知り合いに軍事マニアの探偵がいたんで、いろいろ話を聞いてたおかげで助かりましたよー。世の中無駄な知識なんて一つもありませんねー」
診察業務が一段落した本多医師が、どっかりと床に腰をおろして村長と看護師相手に蘊蓄を語り出したので、エナデールはつい耳をそばだてた。
「で、このマスタードガスってのは非常に凶悪なびらん剤でして、無色ですがマスタード、つまり辛子や、ニンニクによく似た刺激臭がするのが特徴なんです」
「ああ、だからマスタードガスって名前なんですね!」
タイミングよくローガンが合いの手を入れたため、医師は絶好調となった。
「おおっ、さっすが村長さん、理解が早いですねー! 僕は意外と繊細なんで、このガスの話を聞いた時は、しばらくホットドッグはマスタード抜きで頼むようになっちゃいましたよー」
「先生、脱線はいいですから、早く続きを」
冷淡な看護師が、無駄話を遮って物申す。
「……はいはい、しーませんね、セレちゃん。んで、この恐るべき殺人兵器は御覧の通り広範囲に皮膚や粘膜を侵して紅斑、つまり真っ赤に腫れ上がらせたり水疱を作り、しかも激しい痛みを伴います。ごく少量でも身体に付着すると凄まじい効果を発揮し、毛穴からも簡単に体内に吸収されるし、遅効性なのでガス攻撃を食らった後もなかなか気づかず、後から症状が出てくるため、対処が後手後手に回ってしまいがちなのも大きな特徴です。ちなみに空気よりも重たいので、谷間にあるこの村には溜まりやすかったんでしょうねー、くわばらくわばら和真」
立て板に水の医師の語りは吟遊詩人の如しで、留まるところを知らなかった。
すいませんが、体調悪化が著しいため、しばらく更新を二週間に一度にさせていただきます。申し訳ありません…




