ep.29 札場の風、問いの棚
札場の扉をくぐると、空気が変わった。 外の風よりも、少しだけ湿り気を帯びた、静かな風。 それは、問いを抱えた札たちの気配だった。
足音が、木の床にやさしく響く。 棚の奥から、香りがふわりと流れてきた。 よもぎの香り。さっきまで手の中にあった団子の、あのやさしい匂い。
「おかえりなさーい」 受付の奥から、明るい声がした。
咲姫が、しっぽをふりふりしながら顔を出す。 「札、持ってきたのですか? 団子の香りがするのです!」
「うん。届けに来た」 そう言って、手の中の札をそっと差し出す。
咲姫は、札を受け取ると、くんくんと鼻を鳴らした。 「これは……よもぎなのです! ちょっとだけ苦くて、でも甘いのです!」
「問いは、ほどけてる?」 「うん、ちゃんと整ってるのです。香りがまっすぐで、風が乱れてないのです」
咲姫は、札を両手で抱えると、札場の奥――“問いの棚”へと向かった。
棚は、静かに札を迎え入れた。 札がひとつ、またひつと並ぶたびに、札場の空気が少しずつ変わっていく。
問いの香りが重なり、風が層をなしていく。 それは、まるで誰かの記憶が、そっと積み重なっていくようだった。
「問いって、消えるわけじゃないんだな」 思わず、そんな言葉がこぼれた。
咲姫が、くるりと振り返る。 「問いは、風になるのです。風は、また誰かに届くのです。だから、札場は“風の交差点”なのです!」
「交差点、か……」
札場の天井を見上げると、高い梁のあいだから、やわらかな光が差し込んでいた。 その光の中を、細い風がすり抜けていく。
「ねえ」 咲姫が、ふと声をひそめた。 「この札、誰の問いだったのですか?」
「さあ……わからない」 そう答えながら、ふと、よもぎ団子の香りを思い出す。
あの香り。あの問い。どうして、あの子は、よもぎ団子だけを残したのか。
「でも、なんとなく……わかる気がする」 その言葉に、咲姫はにっこりと笑った。
「じゃあ、きっとその風は、届いたのです!」
札場を出ると、風が変わっていた。 さっきよりも、少しだけ甘くて、少しだけ苦い。 よもぎの香りが、まだ袖に残っていた。
問いは、ほどけた。けれど、風はまだ、何かを語りたがっている。
札場の棚に、問いがひとつ、そっと重なった。
――袖に残ったよもぎの香りを、ユウマはそっと吸い込んだ。 問いは風になり、風は団子の香りにも宿る。 その余韻を胸に抱きながら、彼は仲間の待つ店へと歩き出した。
最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。 ご感想やリアクションのひとつひとつが、 物語の奥にある問いを照らす光となります。 ゆるやかな歩みではございますが、これからも見守っていただけましたら幸いです。




