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綺麗な妖精にはトゲがある  作者: 水無月夜行
第三章 「二人」
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覚悟


 それから夜行は逃げる事をやめた。真っ向から受け止める。何度も自分に言い聞かせた。自分は一人じゃないんだと。

 最初は少しずつだった。言葉の暴力を受けている時にもう一人の自分が無理だと判断したら入れ替わった。

 最初は三十秒と持たなかった。これはある種のトラウマになるだろう。それを克服する。わずか六歳に夜行にとってはとても過酷なものだった。

 それでも夜行は逃げなかった。もう一人の自分ばかりに辛い思いはさせたくないと心に決めたからだ。

 それを聞いたもう一人の夜行は嬉しい様な悲しい様な曖昧な顔をする。嬉しいのは自分の事を想っていてくれる事。悲しいのは自分のせいで夜行が多少なりとも傷つく事。

 そんな想いに板挟みにされながらも少年は主人格の望みに応える事を決意した。

「……大変だね」

 夜行はうつむきため息をつく。それにもう一人の夜行が声をかける。

「あぁ大変だ。でも乗り越えたいんだろ?」

 それに夜行は無言で頷く。

「俺が思うに守ってばかりじゃ要領が悪いと思うんだが」

 今の二人は相手から攻撃を防御している状況だ。つまり守りの戦い。

「どう言う事?」

 少年の言葉が理解出来ずに聞き返す。

「そろそろ攻めてもいいと思うぞ」

「それは……やり返すって事?」

 少年は「そうだ」と一言で返した。

「でもそれは……」

 夜行が思っている事は、相手は言葉を使い攻めて来る。だからこちらも対応するのであれば、それと同様に言葉で攻めるのがセオリーだろう。

 しかし夜行は喋れない。

「俺は喋れる」

「え? 君は喋れるの?」

「あぁ」

 自分の身体なのに少年が表に出ている時は喋れるらしい。なんだか矛盾している。

 少年は続ける。

「しかし俺が言葉で言い返してもいいが、それではお前が嘘をついていたことになる。それは避けたい」

 周りは夜行にもう一人の人格が存在する事を知らない。そもそも教えるつもりもない。それがバレるのは極力さけたい。

 もし少年が表に出ている時に声を出し喋ってしまえば、その存在を知らない者はやはり夜行は喋れるのに嘘をついて黙っていた事になってしまう。

 だから少年が表に出た時に喋る事は出来ないのだ。

「うん。僕もそれは止めてほしいかな……。ならどうするの?」

「お前にも出来る行為を俺がする」

 少年は唇を吊り上げた。確信は言わない。遠まわしな言葉で相手に気づかせる。それがこの少年の性格なのだろう。

「それは……力づく……って事?」

「そうだ」

 少年は悪びれる様子もなく答えた。

「う~ん……あまり賛成は出来ない」

 その答えに少年は反論する。

「なぜ? 相手に慈悲をかける必要はこれっぽちもないんだぞ? あいつらが今までしてきた事は俺が考えている事よりも遥かに罪だ。ああいう奴は言葉で言っても聞かない。恐怖を与えてねじ込むしかないんだ」

 夜行は少年の言う事は理解できる。それでもその行為はためらってしまう。出来ることならしたくはない。それがどんなに嫌いな相手でもだ。

「……お前は優しすぎる。お前の考えている事が手に取る様に分かる。しかしこれだけは分かってくれ。俺にとっての最優先事項はお前だ。今後あいつらが手を出してこないとは限らない。もし出して来たらその時は目には目を歯には歯をだ。それを了承してくれ」

 夜行は少し何かを考えながらも一言「分かった」と言った。

 確かにあの子供が今まで通り言葉だけで終わるとは限らない。人間は物事に慣れてくと必ずエスカレートするのだ。

 最初が言葉だったら次は力で来る可能性が限りなく高い。それは夜行も分かっている。でもできるだけコトを穏便に済ませたい。それはただの綺麗事だとは分かっているが、それでもそう願ってしまう。

 そしてその願いは無情にも破られる事になる。



 またあの子供がやって来た。

 毎度毎度、同じ事を繰り返して飽きはしないのだろうかと夜行は思う。

 そんな事を思っていると言う事は、少なからず心に余裕が出来てきたのかもしれないと思った。

 だってもう自分は独りではないのだ。誰よりも頼れる信頼できる人物がいつも心の中で見守っていてくれている。そう思うだけで不思議と力が湧いてくる。

 しかし今回はいつもと違った。

 痺れを切らしたかのように、その子供はいつも無言の夜行に言葉ではなく力を使ってきたのだ。それは他愛のないものだったが、最初の一回ができてしまえばそれはどんどんエスカレートしていく。

 その子供は夜行の左肩を右手でドンっと押した。

 ついに言葉の壁は音も立てずに崩れ落ち、次の段階へと進んだのだ。その子供はその一回を行い、その場を後にした。実際にそれなりの勇気がいったのだろう。それを実行に移し、その後、何も影響がないと判断されればあとは激流の如く力の暴力が始まる。

 これは非常にマズイ。まだ夜行の言葉の暴力に対する訓練も終わっていなのに早すぎる。

 早急に何か手を考えなければならないと、もう一人の夜行は焦りを隠せないでいた。最悪こちらも同じ力で対抗するしかない。

 大人は頼れない。今までの事に全く気がついてはいないのだ。それを期待出来るはずがなかった。自分たちで何とかするしかない。そう二人は強く思った。

 しかし不思議と負ける気がしなかった。それは相手は一人でこちらは二人だからだ。こんなにも心強い事はない。

 一人では出来なくても二人なら出来る気がする。変われる気がする。いや違う。変わるんだと強く強く夜行は思ったのだった。

 予想通りの展開だった。

 普通、予想は当たれば嬉しいのだが今回はそうもいかない。予想は悪い方にばかり当たる。言葉の暴力から力の暴力へと変えた子供はそれに一切の抵抗や罪悪感はないらしい。六歳の子供に罪悪感などと言う言葉はもはや皆無だ。その言葉自体も知らないだろう。

 それが行動に拍車をかける。

 最初は一瞬触れる程度だったものが徐々に触れる時間が長くなっていった。つまり押すという行為から掴むという行為に発展したのだ。

 段々と入れる力も強くなっていく。

「夜行、そろそろ限界だ。これではその内、怪我をする危険が出てくる」

 もう一人の夜行が言うことは正論だ。行為はどんどんエスカレートしていき止まる様子など一欠片もない。

「……なんとかならないかな」

「あれを止めるにはやり返すしかない。一度痛い目をみればこの仕打ちも終わる」

 それでも夜行は中々首を縦には振れなかった。

「僕はまた逃げているね。相手を傷つけるという行為から」

「それはお前が痛みを知っているからだ。痛みを知らない人間は平気で相手に痛みを与えようとする。それを俺が……いや、お前があいつに教えてやるんだ」

 その言葉にようやく決心がついた。

「うん。そうだね。やってみるよ」

 もう一人の夜行は満足気に頷いた。

「でもどのタイミングでやればいいのかな?」

 さすがにいきなり殴ってしまえば悪いのはこちらだ。あくまで正当防衛になる様にしないといけない。

「俺が表に出ていてあいつが俺を殴った後すぐにお前に変わる。そこを殴れ」

「でも君が……」

「俺の事は構うな。相手を殴るという覚悟だけを決めろ」

「覚悟……」

 夜行は呟き自分の握った拳を見つめる。

「そうだ。覚悟だ。これは単にムカつくから殴るという行為ではない」

 これは相手に痛みを教え、それを分からせて夜行への暴力をやめさせようとする行為だ。

「出来るかな……」

 夜行は不安気に呟いた。

「出来る。お前はもう独りじゃないだろう?」

 今までは独りだった。それが二人になった。その存在は夜行にとってとても心強い存在だ。もう一人の自分がいれば百人力だと自分に言い聞かせ深呼吸をする。

「うん。任せて」

 力強く言葉を返し、今日と言う日が始まるのだった。




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