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ななしのワーズワード  作者: 奈久遠
Ep.8 狐の嫁入り
111/143

Lycanthropes Liberation 21

 沈黙の馬車内。

 

「うわあ、うわああああんっ」

「うっく、ひどいよぅ」


 泣きじゃくるリストを同じくぽろぽろと涙を流すセスリナが、ぎゅっと抱きしめる。

 フェルナも固く拳を握りしめ、悲痛に耐えているように見える。

 

「街が一つ消えた。獣人解放を叫ぶアルムトスフィリアだけでなく、民と貴族すらアルカンエイクの前では等しく虫けらの生命だ。だが、それゆえに王の手による虐殺に民意は離れ犠牲者への同情が支持となり、アルムトスフィリアの活動に確固たる地盤をもたらすことになる。獣人奴隸制度の存続を望んでいた街も貴族も、自分たちが王と仰ぐ人物の本性を知り、どちらがより脅威であるか考えなおすことになる。敵も味方も関係ないのだ。もしアルムトスフィリアと対立する状況を作れば、自分の街が第二のラバックになる。常識を持つ人間であれば、そんな衝突を避けるために、こちらの要求を最大限受け入れるだろう。更にこの一件は法国に対する内政干渉の材料としてもこの上ない。これまで裏の支援に徹してもらっていた三国も動きやすくなる。人道的見地の大義名分のもと、全世界が法国の敵にまわる」


 あらゆる材料が一つの道筋を示していた。


「故に、『春を呼ぶ革命アルムトスフィリア』は成功する。犠牲はあったが、これで確実に全ての獣人が解放されるのだ。大局的に見れば、喜ぶべき報告だ」


 パン――ッ

 

 リストの平手が俺の頬を打った。

 眉を吊り上げて、強い怒りを見せる。

 

「なんでッ、なんでそんなこと言うんだよ! シーバサンが……たくさんの仲間が死んじゃったなんて、そんなの喜べるわけないじゃないか!」

「そうだよ。そんな言い方、冷たすぎる。シャルちゃんだって、きっと悲しむよ」

「……」


 俺は言い返すことなく、無言を貫く。

 その態度がまた癇に障ったのか、リストが更に言葉を強くする。


「信じられない! ワーズワードサンにとって、ボクらはどうでもいい存在だったんだ! アルムトスフィリアさえ成功すれば、あとはどうでもいいんだ! ボクの仲間が一人二人減っても、どうせ獣人なんだろうってッ!」

「……」

「そうじゃないなら、なにか……なにか言い返してみなよ!」

「……」

「この――ッ」


 それでも沈黙を通す俺に、リストは再び手を振り上げた。


「やめよ」


 その手を掴み、リストを制止したのはニアヴである。

 そしてゆっくりと口を開く。

 

「お主は知っておるはずじゃ。この者はそのような人間ではないということを」


 諌めるのではない。リストの悲しみを理解し、その上で諭すように言う。


「ここまでアルムトスフィリアを導いてきた者は誰じゃ。この者以外に、我らの同胞はらからのために立ち上がる者がおったか。妾たちが馬車の外を流れる景色を眺め、談笑し、飯を食っておる間、この者の腕に巻かれた水晶の玉が何度輝いたか覚えておるかや。その度、この者は妾たちには何一つ知らせぬまま、一人で全てを背負い込んできたのじゃ。途中行動を別にしたとはいえ、アルムトスフィリアに参加する皆を一番理解し、そして話をしてきたのはほかならぬワーズワードではないのか」

「ニアヴサマぁ……うわあああああんん」


 遠く離れた俺たちにはどうしようもなかった。それはリストも判然っている。

 それでも誰かを責めずにはいられない。

 だから俺は言い返すことをしない。今回の件、俺の判断ミスは間違いなく存在するのだから。

 

 ニアヴが俺を見る。

 責める視線ではない、それどころか――

 

「何事かが起きたことは話を聞く前に察しておった」

「……心のコエというやつか。便利な能力だな」

「やっと、お主がいうておったことがわかった。アルムトスフィリアの活動においてお主の名を隠す意味。そして、いざぶつかる段となれば、その名を表に出すということの意味」


 フェルナがうなずきを返す。


「私もたった今わかりました。本当の脅威は法国の貴族や軍隊などではない、アルカンエイク王ただ一人だったのですね」

「もしアルムトスフィリアの活動にワーズワードの名が出ておれば、アルカンエイクとやらは最初から全力でお主を潰しにきたことじゃろう。今のように広く拡大することのなかったはずじゃ」

「そして、こうしてアルムトスフィリアの活動が大きく広がり、ついに法国と武力でぶつかるという状況になった場合、今度はどこにアルカンエイク王が現れるか分からないという危機が発生します」

「その時にワーズワードの名前が表に出る。となれば、アルカンエイクとやらは必ずお主一人に狙いを付けてくる」

「そうなれば、他の皆さんの危険度は一気に下がります」

「その代わりにこやつ自身は危うくなろうがの」


 阿吽の呼吸で、理論を組み立ててゆくニアヴとフェルナ。


「つまり、お主は最初から力持たぬ同胞の安全を考え、発生する危険は自らが引き受けるべく行動しておった。そうなんじゃな」


 二人の話を聞いたリストが衝撃の表情を見せる。


「そう……だったんだ。そんなに深い考えを持って――」

「アタシもイッコわかったことがあるぜ」


 と、ここまで話に混ざってこなかった駄犬が発言した。

 

「何だ」

「リズロットの野郎が言ってただろ。テメェに『この国を救って見せろ』ってヤツだ」


『だからワーズワード、私に見せて――アルカンエイクを倒してこの国を救って見せて』


 リズロットは自分の目的をそう語ってみせた。


「アルカンエイクはこの国の王様だ。でもって、ここまで特に悪評らしい悪評も聞かなかった。もし、テメェが本気でアルカンエイクと対決する道を選んでも、そりゃテメェが『法国の敵』になるだけで英雄でもなけりゃこの国を救うことにもならねぇ」

「俺を英雄に仕立てあげたければ、その前にまずアルカンエイクの評価をどん底まで引きずり落とさなければならない。これもリズロットの暗躍の結果だと言いたいのか。そうであれば、リズロットは俺だけでなくアルカンエイクまで手玉にとって見せたことになる。お前の想像通りであれば、リズロットの脅威度はアルカンエイクを凌駕する」

「そうでもねェだろ。山を下りてから、ずっと、考えてた。んで気づいた。アイツのやり口は言ってみりゃ、『状況の加速』なんじゃねーのかって。獣人解放のアルムトスフィリアはただの一ヶ月で拡大した。アタシの予測も超えてな」

「なるほど、法国軍と獣人の衝突。放っておいてもやがて起こりうる状況の発生を意図的に早めたというわけか」


 的確な分析だと言わざるを得なかった。

 確かにその通りだ。アルムトスフィリアの拡大速度については、駄犬だけでなく俺の予測すらも超えていた。

 シーバの話から、リゼルが一ヶ月も前から暗躍を開始していたことが判然っている。シーバがそうであったように、他にもリゼルの手でアルムトスフィリアにいざわれたヤツが多くいるのだろう。

 うまくいっている状況を人は不思議に思わない。リゼルは自然にアルムトスフィリアの外周に溶け込んで、その拡大に力を注いでいたのだ。


「ってこたァ、アルカンエイクも同じなんじゃねェか。あの外道が王様だってのがそもそも笑い草だ。国に属さず、民族に属さず、宗教に属さず――ただテメェのやりたいように動くのが孤絶主義者アイソレーショニストだろうよ。リズロットが仕掛けなくても、ヤツはいつかこの国の奴らを巻き込む大破壊や大虐殺を引き起こしていた」

「その『いつか』が今日になったと。やがて起こるべき状況を加速する……『神は人間に無限の時間を与えない。有限のくびきの中でそこに到る道を見つけなければいけない』というやつか。まさにリズロットらしいやり口だといえるかもしれないな」

「なんだそりゃ、なんかの格言か」


 当然駄犬は聞いたことのない台詞だろう。


「格言と言って良ければ格言ではある。ただし、リズロット界隈でのみ通用する格言だ」

「あー、なんかのアニメの……」


 色々察した駄犬がジト目を作る。

 なんでそれを俺が知ってるんだという目だ。

 俺の国では大人だってアニメくらい見るのだ。エレミヤ外典ゲテンシノヅカ・クラインの台詞を俺が知っているくらいでそんな目をされても困る。原作小説も最新巻まで読破済みで何が悪い。

 

「どういう意味なのじゃ」

「言い換えれば『神ならぬ身の人の一生は短い。叶えたい夢があるならば待たず行動しろ』ということだな」


 当のシノヅカ・クラインはその言葉をもって、一〇〇年後に起こると予言された大破壊を現世に引き起こすべく暗躍していたわけなので、使いどころによっては格言でもなんでもないのだが。

 破滅を呼ぶシノヅカ・クラインは主人公トウマ・カノン以上の人気キャラだ。そういえば、あいつリズロットもシノヅカ・クライン派だった気がする。


「言葉としては良い教えじゃな」

「意味がわかった分最悪だぜ。あのクソガキ、自分の行動までそんなのアニメに毒されてンのかよ……」


 一人は深い納得を示し、一人は不快な納得を示す。ニアヴと駄犬の反応は対照的である。

 

「じゃが、アルムトスフィリアも同じじゃ。お主が行動を始めたからこそ今がある。あの時お主が始めなんだら、多くの同胞が協力しあう今はなかった」

「だが俺が始めなければ、今日の犠牲もなかった」

「それは違うよ」


 俺の言葉を否定したのはセスリナだった。

 その頬にはまだ涙の跡が見える。

 セスリナがすっと息を吸って歌の一節を口にする。


 闘おう 命のために


 闘おう 未来のために


 闘おう 誰かのために

 

 それができることが――

 

 そこで言葉を区切った。

 セスリナの目が俺を見る。

 

「シーバくんはあなたがやめろっていうのも聞かないで、街に残ったんだよね――シーバくんは闘ったんだよ。誰にも強制されない自分自身の意志で。そうやって、誰より最初に『本当の自由』を勝ち取ったの。犠牲なんかじゃないよ」


 そうして柔らかく微笑むと、また涙を溢れさせた。

 誰かの犠牲ではない。シーバは『本当の自由』を勝ち取ったのだというセスリナの言葉は、皆の心に大きく響いた。

 

「本当の自由かぁ、すごいや、シーバサン。うう、うにゃああああ……」

「くぅ」


 セスリナに誘発されるように、リストもまた涙を溢れさせ、フェルナもニアヴも目尻を潤ませる。

 そう、そうなんだな。みんな戦ったんだ。生命のために。未来のために。誰かのために――

 俺は静かに言葉を落とす。

 

「シーバだけじゃないぞ」

「え?」

「アルムトスフィリア第二隊には変わり種が多い。副長を務めるルシウスは怪力の持ち主だが、田舎の方言がいつまでも抜けないのを気にするような気の弱い奴だった。鼠族のラッソンは自分をみすぼらしいコソ泥と嘯くが、実際は悪徳奴隷商のみをターゲットにして、盗んだ金を弱者に分け与えるような義賊だった。人は見た目で判断できないという好例だろう。シーバはなぜかそういう奴らに好かれてな」


 他にもいくつもの名前をあげてゆく。いくつもいくつも。シーバのまめな報告には第二隊を構成する全員の情報が含まれていた。氏名・性別・年齢・種族くらいは必要情報だろうが、それ以上の本当にどうでもいいことまで本当に色々と報告してくるのである。

 

 セスリナが目を丸くして俺を見る。

 

「もしかして、シーバさんの部隊に入ってた人の名前全部言えるの?」

「いくらなんでも無理じゃろう。第二隊だけで一〇〇〇人以上。アルムトスフィリア全体で言えば、三〇〇〇に近い人数に――」

「言えるぞ。俺が別れて以降に参加した奴らについては名前だけになるが、全員を記憶している」

「お主、どんな記憶力をしておるのじゃ……」

「人の顔と名前を覚えるのは得意なんだ」

 

 天涯孤独という寄る辺なき身の上。誰の記憶にも残らない人生だと思った。

 だからせめて、俺だけはこれから出会う――俺なんかに関係してくれる――すべての人達のことを、忘れず覚えておきたいと思った。


 人の顔と名前の完全記憶。|BPM(ブレイン・バーソナライゼーション・メソッド)は本来そのために生み出された記憶術である。

 道を踏み外した今となっては片腹痛い感傷だがな。

 

「そっか。ワーズワードさんが全部覚えててくれてるんだ……」

「ワーズワードサンが、ボクたちのこと……みんなのこと、そんなに大切に考えてくれているなんて知らなかった。ごめんなさい! ううん、ありがとう」

「感極まっているところ悪いが、そういう話じゃないからな」

「この阿呆者、そこで否定するでない! いい話で終わればよかろうがッ」

「いや、怒られる意味も判然らないんだが……」


 全てを伝えた。

 それで納得できてもできなくても。

 俺たちは先に進まなければいけない。


「一つ言っておかなければいけないことがある」


 俺は対面に座るフェルナを見る。

 コクリと頷くフェルナ。

 以心伝心。魔法など使わなくとも心は伝わるのだ。


「また行き先を変更することになる」

「ライドー子爵領、ラバックの街ですね」

「そうだ」

「妹も同じことを言うでしょう。自分のことは後に回せと」


 シーバとの約束。

 リズロットに対する俺の回答。

 いつの間にか、多くのものを背負い込んでいる気がする。

 期待されているから応えるのではない。そういう自分は既に捨てている。

 これは『俺がやる』とそう自分で決めたからやることなのだ。

 

 馬車が止まった。今夜の宿泊地予定についたのだろう。

 最後にパレイドパグが呟く。


「にしても、アルカンエイクの野郎、敵も味方もお構いましかよ。そこまでブチ切れた野郎だったとはなあ」

「それは違う。タダの幻想嗜好とも思えるヤツの言動が、実はこの異世界の存在を示していたように、まるで無差別な暴虐に見える行動にも、必ずなんらかの意味――理由があるはずだ」

「街を一つ消すことに何の意味があんだ?」


 その質問については、俺は首を振る。

 判然らないものは答えようがない。


 だが、一つ――駄犬は俺とアルカンエイクが似ているといった。

 無意味や非効率は俺が最も嫌悪する対象だ。

 であれば、ヤツも同じだ。ヤツの行動に無意味や非効率は存在しない。


 馬車を降りる。

 色々なことがあった。たくさんの出来事が……

 俺は空に浮かぶ二つの月を見上げた。その丸い輝きの中に一人の少女の顔を思い描く。

 

「すまない、シャル。少しだけ待たせることになる」


 

 ◇◇◇



 『法国王都』・アルトハイデルベルヒの王城内


 軽やかなステップで幅の広い螺旋階段を下ってゆくリゼル。

 青い髪の少女シャル・ロー・フェルニはその後について、一段ずつ階段を下る。


「この先は、昔地下牢だった場所よ」

「はい。私はそこに繋がれるのでしょうか」

「まあ! そんなことはしないわ。あなたのことは丁重にってワーズワードに脅されているもの。地下牢だったのは昔の話。一度罪人が逃げ出す騒ぎがあったそうよ。その後、王城内に罪人を留めおくのは危険だということで移設されたらしいわ。結果、地下には他所よそに移動できない魔法結界の潜密鍵アーティファクトだけが残されたの」


 螺旋階段を下った先、そこはぼんやりとした灯りの灯る石の回廊であった。

 鉄格子こそ取り払われているが、それらしい凹みが回廊沿いにいくつも残されている光景は、もはや地下牢として使われていないのだと言われても、潜在的な恐怖を呼び起こすのになんら不足はなかった。

 

 カツンカツンと足音の響く回廊を少し進んだところで、リゼルの足がとまった。

 そこには扉のついた部屋があった。

 部屋の入口、扉の上の壁には青白い光を放つ宝玉が嵌めこまれている。

 

「あなたが自分から逃げ出すなんて考えていない。でも、ワーズワードなら外部からあなたの場所を探知したり、会話できたりしちゃうでしょう? 裏口バックドアからの侵入は彼の得意技ですもの。そういう裏ワザを使われるのは困るから、あなたには魔法の届かない特別な場所にいてもらわなくちゃいけないの。外に出してあげるわけにはいかないけど、ここ『封禍宮』の中でなら不自由はさせないわ」

「『封禍宮』ですか」


 扉の前でぎゅっと両手を握りしめるシャル。

 

「ワーズワードが助けにくると信じているのね」

「はい」


 リゼルがそんなシャルを『観察』する。


「依存ではなく信頼の精神。覚悟。運命受諾。反逆意志はなし。ふふ、やっぱりワーズワードは別格だわ。この世界の妖精さんとここまでの信頼で結ばれるなんて、他の『エネミーズ』にはきっと無理ですもの」

 

 シャルにはわからない幾つかの単語を呟いたのち、にこりと微笑んだ。

 その笑みだけを見れば悪い人ではなさそうだとも思えてしまう。そんな困惑がシャルの表情を難しいものに変える。


「暫くこの中で待っていてくれるかしら。あなたの部屋を準備しないと。もとからある魔法結界だけじゃ、ワーズワードに対しては少し心許ないのよね。私の方で補強してあげないと」


 そう言ってシャルに向かい小悪魔なウインクを一つ飛ばすと、回廊を奥へと消えていった。

 一人残されたシャルは、一瞬今きた道を振り返るが、すぐにぷるぷると首を振った。

 魔法というものを全く知らなかった昔ならともかく、ワーズワードやニアヴという超一流の魔法使いを知った今では、リゼルの姿が見えなくなったからと言って、ここから逃げ出せるなどという幻想は持ち得なかった。

 部屋の中で待てと言われた以上、そうするしかない。

 この先どのような責め苦があったとしても自分はワーズワードさんを信じて待つのだと、そうシャルは強く決意していた。

 言われたとおり、部屋へと向かうシャル。

 扉に鍵はかかっておらず、出入りは自由のようであった。


「失礼します」


 ただの習慣でそう声を掛けて室内に入った彼女は、思わずビクリと耳を立てて足を止めた。

 装飾の少ない室内。その中に人の気配があった。まさかこんな地下の部屋の中に先客がいるなんて、思っても見なかったのだ。

 その上、その人物は――

 

 後ろ姿のまま、室内の人物が声を発する。女性の声だった。

 

「何者か知りませんが出ておいきなさい。ここには誰も近づかないよう、言われているはずです」

「あ、あのっ、申し訳ありませんっ」


 室内には背もたれのない椅子が一脚あるのみ。室内の人物はそこに腰掛けていた。

 シャルの目にまず入ってきたのはなめらかな純白の羽根である。シャルは思わず、その美しさに見とれてしまった。

 初めて見る有翼種族の獣人。有翼種族は獣人の中でも希少であり、獣人の国、竜国ガーディアを除けば、『東の皇国ニ・ルーワス』にあるといわれる隠れ集落でしか見つけることができないと言われている。

 そして、シャルは気づいた。その獣人女性が身につけている衣服の特徴に。一枚の布を切らずに仕立てたと思われる詰め襟の着物。上は白で下は赤。その色合いの組み合わせは――

 一つの予感がシャルを貫いた。

 ドキドキと跳ねる心臓の鼓動を感じながら女性に話しかける。

 

「間違っていたらすみません。もしかして、濬獣ルーヴァのレニ様でしょうか。あの、ニアヴ様やパルメラ様と同じようなお召し物でしたので、そうではないかと」


 ニアヴ。パルメラ。その名を聞いた瞬間、女性がバサリと羽根を広げて立ち上がった。

 振り返り、驚きに満ちた瞳をシャルに向ける。

 

「どうしてその名を……あなたは何者ですか」


 間違いなかった。このような場所で想像もしていなかった人物との出会いにシャルもまた驚き、そして先ほどまであった悲壮に満ちた自分の考えを打ち消した。

 ぺこりと大きくお辞儀をした後、シャルは使命感をもって女性に話しかけた。


「私はシャル・ロー・フェルニといいます。ニアヴ様もパルメラ様もレニ様のことをとても心配されていました。私のこと、これまでのこと……少し長くなりますが、お話させてください」


 そうだ、ただ待つだけじゃない。私にもできることがある、と。



 ◇◇◇



 『ラバックの街』・西の高台

 

 そして、場面は運命の瞬間へ舞い戻る。

 

「おおッ、これはッ!?」


 黒衣の忍びが声を上げた。

 彼女の見つめる先、未だ火炎燻る瓦礫の街。

 そこに、光が生じたのだ。


「始まりました。御覧ください、ジャンジャックさん。アナタは今から深淵たるアーク、『伝承有俚論ナーサリーライマズ』、その一端を知ることになるのです!」


 アルカンエイクが叫ぶ。


 白く――

 赤く――

 青く――

 黄色く――

 そして緑色に輝く――光の粒。

 

 それはこの世界の人間には見えない、源素げんその光。

 光の粒は湧き上がるように生じ、そしてパッと弾けて拡散した。

 もとより空中に微量存在していた光量ではない。今まさにここで発生した光量だ。まるで一帯が小規模な濬獣自治区と化したような、光の密度である。


「まさか、魔法の源はこのように発生するのでござるか――」

 

 自らも大光量の源素を纏う――もっとも、それは『粉隠しの術』で己の体内座標位置に格納している――ジャンジャックは、その意味を察して、少し眉を潜めた。

 

「――死した人間が散らす光の粒が」

「そうです。ですから、私は初めからそう言っております。これは『妖精の粉フェアリー・パウダー』であると」


 死して砕けた『妖精』の……粉。


 ワーズワードが源素と呼ぶもの。アルカンエイクがフェアリー・パウダーと呼ぶもの。

 それはこうして生じるらしかった。


「この光は妖精の、人の魂だということでござるか」

「似ています。ですが、少し違います」


 両腕をリズミカルに振るうアルカンエイク。拡散したフェアリー・パウダーがその腕の動きにあやつられるように流動し、一筋に集められてゆく。

 それが高台の上に立つアルカンエイクに向かい流れてくる。

 これだけの遠距離・広範囲の拡散する大量のフェアリー・パウダーを制御する術をジャンジャックは知らない。

 

「おや、想定よりも数が少ないですね。その分『紫色』が二粒含まれていますか。であれば、成果としては十分としましょう。このような僻地にも一角の人物がいたのですねぇ」


 独り言を口にするアルカンエイクにジャンジャックが聞き返す。


「『伝承有俚論』とは。深淵のアークとは。拙者なにも理解しておらぬ。魂でなければ、これは何なのでござる」

「素直な質問です。よろしい、お教えしましょう。魂とは死と同時に失われるもの。コレは死してなお世界に残留もの」

「それはなんでござる!?」

「この光の名を『可能性』と言います」

「可能性……ッ」


 雷撃に貫かれたような衝撃がジャンジャックの脳内を貫く。

 それは魔法という超理の現象を見知ったジャンジャックをして、なお絶句させる常識外の理論だった。

 アルカンエイクの饒舌が続く。


「ヒトが生まれ、何者かになる『可能性』。何事かを成し遂げる『可能性』。知的生命が持つ『可能性』は無限にして個人に固有のものです。ヒトの『|遺伝子(DNA)』が親から子へ受け継がれるように、ヒトの持つ『可能性』もまた人から人へ受け継がれてゆく。それは死と同時に拡散し、次なる誰かの元へ引き寄せられる。この光こそ可能性の因子エッセンスなのです」

「魔法という超常の現象は即ち、『何にでもなりうる』可能性の発現の一つだということでござるか!」

「そのとおーり。炎となり燃え上がる可能性。水となり氷結する可能性。心を伝える可能性もあれば、次元を超える可能性もあーるでしょう。たった四種のDNAパターンが人体の様々な器官を生み出すように、六種の『可能性の因子フェアリー・パウダー』もまたその組み合わせ次第で、様々な『可能性』をキョの深淵からユウの現実世界へと浮かび上がらせるのです」


 ジャンジャックの脳裏に、虚無の海から光り輝く可能性を乗せた船が現実世界に浮かび上がってくるイメージが浮かぶ。

 まさしく、今目の前に見える光景そのもののように。


「深淵の『方舟アーク』――」


 意識することなく、ジャンジャックはそう呟いていた。

 アルカンエイクが満足気に頷く。

 

「もう一つお教えしておきましょう。拡散する『可能性』は若ければ若いほど質がよくなります。人が老衰のみで死にゆく平和な時代には大きな可能性の開花、人類的発展もありません。戦争により、多くの可能性を持った若者が死にゆく時代こそ、それらは多く拡散し、別なる誰かがその可能性を多く引き寄せ開花させる。それは人類進化に不可欠な要素であったのだと私は結論づけております」


 これまで見たことのないほどの光量のフェアリー・パウダーがアルカンエイクの元へ集められてゆく。

 それを正面にみながら、ジャンジャックが返す。


「戦争が人類を進化させるという理論でござるな。まさかそのようなアプローチからの新説を聞くことになるとは、拙者思わなかったでござるよ。……【メテオ・スウォーム/流星群落下】による街一つまるごとの無差別破壊は、良質なフェアリー・パウダーの蒐集が目的ということでござったか」

「理解が早くて助かります。どうせ必要なものなのですから、蒐集は効率的に、ですよ。ジャンジャックさん」


 アルカンエイクの行動に無意味や非効率は存在しない。そういうワーズワードの分析は実に正しかった。

 ただ、それはアルカンエイクにとって意味があるというだけで、例えばフィリーナが同じ話を聞かされたとしても、決して納得はしないだろう。

 

「拙者たちに見えるフェアリー・パウダーをこの世界の妖精は見ることができぬ。自分の持つ可能性は見ることができぬと言うのは道理でござる。同じく考えれば、地球出身の拙者の持つ可能性もまた目に見えないだけで、この光の粒のように拙者の周りに浮かんでござろうか」

「エエ。地球においては視認できないものを観測する術はいくらでもありますので。それらを観測し情報データ化する技術は私が既に完成させております。大規模な社会実験を通して、技術の完全性も確認しておりまして」

「それすなわち『ミーム』――というわけでござるか」

そうですイエス


 『ミーム』。

 人類のみが持つ個人識別が可能な『情報遺伝子』と言われるなにか。

 サー・エクシルト・ロンドベル教授の完成させた次世代型ヒト認識技術にして、情報公開されないブラックボックス・テクノロジー。

 世界銀行が採用し、今や世界中の人々が登録・利用している『ミーム認証』は彼の計画した検証実験だったというのだ。

 確かにそれを大規模に実験するには世に公表しなければいけない。だが、問題ない。どうせ誰も理解できはしない。

 そう高をくくった『ミーム認証』技術は一人の日本人にハックされ、今こうして自身を悩ます頭痛の種になっている。

 それは孤絶主義者にして完璧主義者たるアルカンエイクにとっては、痛恨の出来事であった。


「サテ、やることも終わりました。そろそろ城へ戻りますか。道を開いていただけますか、ジャンジャックさん」


 ワーズワード式源素光量測定法を適用すれば、三キロカンデラにもなろうかという大光量を小さなキューブ状に圧縮したアルカンエイクが、足元に控える忍者に指令を出す。

 光の消え去った虚空を見つめたままのジャンジャックが、ポツリと呟いた。


「若ければ若いほど良い。そうであれば……新生児などはさぞ良質の『可能性』を持っているのでござろうな」

「……」

「今、主君が集めた燦々たるフェアリー・パウダー。そうしてあつめた『人々の可能性』はこの後何に使われるのでござる?」

「……」

「可能性の光。フェアリー・パウダー。ミーム。このような超次元の理論を包括する『伝承有俚論ナーサリーライマズ』とは? その核心について、結局何も聞けておらぬでござるよ」

「……」


 アルカンエイクは答えない。

 ただ、薄く笑うように口を開いた。死神の鎌のように弧を描いて。

 

「アナタが知ることができるのはココまでです。深淵の、入口まで。――これ以上の好奇心はニンジャを殺しますよ」

「……かっか。それが全ての答えでござるな。アルカンエイクとワーズワードは似てござる……そう思っておった、拙者の考えを改めねばならぬ。両者は似ているようでまるで似てござらん。アルカンエイクこそ、まさしく『世界の敵』でござる」

「それはどうも。イヤハヤ、やっぱりそこは呼び捨てされるのですねぇ」

 

 ペチンと己の額を叩いてみせるアルカンエイク。恫喝したかと思えば、直後にはこのような道化た仕草。

 まさに、人を喰った振る舞いである。


 その後、空間跳躍の魔法光が輝き、高台の上から全ての気配が消えた。


 燃えるものを燃やし尽くし、そして全ての源素の輝きを失って暗闇に沈む街。

 だが、そんな暗闇でも、全ての生命が消え去ったわけではなかった。

 比較的被害の少なかった街の西側に広がる果樹林の中。

 聞こえてくる小さな声。泣き叫ぶ声。苦痛にあえぐ声。だが確かに生き残った者がいる。

 彼らは人間であろうと獣人であろうと関係なく肩を寄せ合い、互いに支え合いながら朝を待った。

 

 

 この出来事は後に『ラバックの惨劇』と呼ばれ、法国内のみならず世界中を激震させることになる。

 反乱勢力だけでなく、貴族と自国民をも巻き込む法王の虐殺劇。加えて、フィリーナ王女の幽閉という二大ニュースはすぐに国中を駆け巡り、法国富裕の名君とも呼ばれたアルカンエイクの名は、恐怖の代名詞として語られるようになった。

 一方の『春を呼ぶ革命アルムト・ス・フィーリア』は獣人解放に留まらぬ、法国解放の象徴としてその勢力を拡大してゆく。


 大きな事件を経て、変化してゆく世界。

 だが世界はまだ、ワーズワードの名を知らない。

 その名が世界に轟くには、彼が引き起こすもう一つの大事件を待つ必要があった。

 

 

 アルカンエイクの言により世界の秘密の一つが明かされた。

 人の『可能性』は死してなお世界に留まり、次なる誰かに受け継がれてゆく。

 何にでもなれる『可能性』の因子こそが、魔法の源であるという。


 魔法。強大すぎるオリジナル・マジックを前に、ワーズワードはその対抗策すら持ち得ない。

 【タイム・ストップ/時間停止】。

 【メテオ・スウォーム/流星群落下】。

 囚われのシャルを救うにはアルカンエイクの創りだしたそれら超魔法の数々を打ち破らなければならない。

 そのようなことが本当に可能なのだろうか。

 強大すぎる相手を前に、それでもなお前進しようとするならば、そこには必ず大きな試練が伴うだろう。


 そして、シャルとレニの予期せぬ邂逅が導くものは―― 


 次なる舞台には一体何が待ちかまえるのか。

 そして、ワーズワードの冒険は続く。




えぴ8終わり。

100話を超えての長期ご試読ありがとうございます。

それではまた、次の章でお会いしましょう。


※1

『ミーム』についてはあくまでこの物語の中での取り扱いになります。

一般的にwikiられている概念とは異なるものですのでご了承お願いします。


※2

アルカンエイクさんが何を言っているかわかンないという読者さんはご安心ください。作者にもわかりません。

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