第75話 変えられぬ過去
アルフォンスはその剣尖を見切ったかのように音も無く数歩後ろに下がる。
目の前を通り過ぎる剣の軌道を間近に見て、不敵に笑った。
「ふふっ、その程度じゃ僕に当たりませんよ。もう少し頑張っていただかないと……」
アルフォンスはどこからともなく杖を出現させ、詠唱を開始する。
「お返しです。受け取ってください」
ソフトボール大の真っ赤な球体が三つ、僕に向かって襲い掛かる。
「……させない」
後方から発射された炎の矢がその球体とぶつかり合う。
お互いにその勢いが相殺され、その場で激しく弾けた。
それを後ろに飛び退いて躱しながら、僕はミサキに礼を言う。
「助かった、ありがとう!」
「……無問題」
その間にもミウとアリアがそれぞれ攻撃を行うが、アルフォンスはゆらゆらとした足取りでそれらの直撃を避ける。
「……ふむ、邪魔ですね。貴方たちの相手もご用意しましょう」
不意にアルフォンスが右手を掲げる。
すると、後方の地面が盛り上がり、そこから何かが這い出てくる。
現れたのはアンデットが数十体、ご丁寧にオーガのそれも一匹混じっていた。
「ここは研究材料に事欠かない素晴らしい環境ですからね。足りなければお替りもありますので、遠慮せずに戦って下さい。――お前たち、相手をして差し上げなさい。ただし、あの女性には手を出さないで下さいね」
アルフォンスがアンデットたちに命令を下す。
その命を受け、アンデットはミウたちに狙いをつける。
自我が無いかと思われたアンデットたちも、しっかりアルフォンスの命令だけは効くようだ。
「――さて、お待たせいたしました。貴方の相手は私がしましょう。精々頑張ってマーラの期待を膨らませてください。それが大きければ大きい程、その後の反動が楽しみになりますから……」
仕切り直しといった風に僕を正面に見据え、アルフォンスは再度の開戦を宣言する。
ミウたちはアンデット相手で手一杯、僕一人でやるしかない。
「ああ、そうさせてもらうよ。でも、結末はお前の思った通りにはさせない!」
不気味なオーラを纏わせるリッチに対し、僕は正眼に剣を構えた。
見たことも無い術が僕の目の前で展開される。
その術が衣のようにアルフォンスを包み込むと、見る見るうちにその姿が変貌する。
髑髏だった顔には肉が付き、人間のそれと遜色ない見栄えになった。
「聖魔法で斬られては困りますからね。これはいわば肉の鎧、これでかすり傷程度でダメージを負うことはありませんね」
その顔は器用にも人間と同じ表情で笑う。
見た目だけなら二十代半ばの好青年だが、その笑顔にはどこか残忍さを含んでいた。
僕は懐に入るべく身を低くしてアルフォンスに迫る。
「甘いですよ!」
彼はそれをひらりと躱し、闇の魔法で応戦する。
その射出された矢を掻い潜る様にして、僕は再びアルフォンスに接近した。
横凪ぎに振るった剣がアルフォンスの胴体を浅く斬る。
しかし、そこからは本来出るべき血は流れず、瞬く間にその切り傷が修復される。
「やりますね。今度はこちらの番です」
アルフォンスが杖を正面に掲げるようにして何かを唱える。
異質な雰囲気を感じ取り、僕は立っていた場所から飛び退いた。
僕が元いた場所に魔法陣のような模様が発生し、そこから現れたのは巨大な魔物の口。
大きく伸びをするかのように上空に向かってかぶりつく。
しかし、その場には既に誰もいない。
その口は望んだ獲物がいないとわかると、何事も無かったかのようにその場から消滅した。
詠唱の隙をついて、僕は再びアルフォンスに近づく。
かち上げたように振るった剣は、彼の左腕を斬り落とした。
地面に落ちたそれは、何も残すことなくその場で掻き消えた。
「腕を落としたからといって、いい気にならないでください! これはお返しです」
杖を正面に掲げると、それを中心に魔法陣が発生、そこから出現した巨人の拳が僕に襲い掛かる。
咄嗟に黒曜剣で防御を試みるが、さすがにその力は強烈で、僕はそのまま後方に吹き飛ばされた。
「くっ!!」
後ろの壁まで勢いよく打ちつけられた僕は、追撃に備えて即座に立ち上がる。
念のため身に着けていたロザリオが音も無く崩れ去ったのがわかった。
「何っ!? あれだけのダメージを受けて無傷とは……」
続けざまに放たれた闇の矢を躱し、アルフォンスに再び接近。
白く輝く黒曜剣をその胴体目掛けて突き刺した。
「ぐおおっ!!」
手応えはあった!
後方に素早く移動したアルフォンスはその場で膝をつく。
つけた傷跡からは白煙が舞い上がる。
「まだだ! 受けてみるが良い!!」
最後の力を振り絞るかのように立ち上がったアルフォンスは、右手に持つ黒い杖を天に掲げる。
その身体から霧のようなものが吹き上がり、辺りを包んでいった。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
「あら、カナタくん。起きちゃったのね。もう少し寝ていても良かったのに……」
僕を撫でながら微笑んでいるおばさん。
「ここは……、あれ!?」
僕は辺りをきょろきょろと見回す。
見慣れたカレンダー、遊び道具である積木、……どうやら僕は昼寝をしていたようだ。
「あらあら、まだ寝ぼけているのね。もうそろそろおやつの時間だから顔を洗ってらっしゃい」
さとみさんが僕を洗面台の方へと促す。
周りの子たちもまだ眠そうな眼を擦りながら起きだしてきた。
「むぅ〜、おしっこ……」
最近連れられてきた一番年少の男の子がさとみさんに甘えるように寄りかかる。
名前は……、何だったっけか?
「あら、大変。早く行きましょう!」
さとみさんはその子を抱きかかえるようにしてトイレへと駆けこんでいった。
※
「「「「いただきます!!」」」」
お皿に乗ったドーナツを取り分け、口に頬張る。
ふと見ると、かなこの口の周りが砂糖だらけになっていた。
僕はハンカチでそれを優しく拭き取ってあげた。
「ありがとう、かなたお兄ちゃん!」
そう言うと、かなこはまた口の中にドーナツを頬張る。
また口の周りが汚れているが、どうやら拭くのは最後にした方がよさそうだ。
「慌てなくてもまだあるわよ。ゆっくりと食べなさい」
さとみさんのその言葉も、年少組には聞こえていない。
僕もその懐かしい味にいつの間にか四つ目を口に運んでいた。
――ん!?
――懐かしい?
いつも食べているのに何でだろう?
※
おやつを食べ終わって、僕ら年中組は年少組の面倒を見ながら一緒に遊ぶ。
年少組の面倒を見るのは僕らの仕事だ。
なぜなら、年長組のお兄さん、お姉さんたちは裏の畑の手伝いに出ているから――。
僕もあと二年したら年長、そちらの手伝いをしなければならない。
夕食も終わってお風呂へと順番に入る。
もちろん年少組の頭や身体を洗うのも僕らの仕事。
元気よく暴れる子たちをなだめたり、目がしみて痛いと泣く子をあやしたりと、いつもながらしっちゃかめっちゃかだ。
そしてあっという間に夜になる。
今日も一日が楽しく終わった。
年少組の子たちが剥いだ布団を掛け直してから、僕たちも布団に入る。
色々お世話は大変だけど、さとみさんは優しいし、いつまでもこの幸せが続けば良いなって思う。
――あれ?
――何でだろう?
この後に大変な事が起こる気がする。
※
うるさい鐘の音が辺りに響いている。
「う〜ん! うるさいな!」
僕はたまらず目を覚ます。
――周りは赤くなっていた。
パチパチッて音がしている。
何だろう? とても暑い。
これって――
「カナタくん!! 大丈夫!?」
僕の目の前にはさとみさんがいた。
「あれ? さとみさん?」
「カナタくん、早く逃げましょう!」
僕ともう二人、隣で寝ていた子たちの手を引くさとみさん。
何だか煙たいけど、我慢して僕たちは表に出る。
そこには真っ赤な車が止まっていた。
確かミニカーの中にあった! カッコいい!
「これ以上は危険です! 下がって下さい!」
「いえ、まだ子供達がいるんです!」
銀色のかっぱを被った人たちが、さとみさんとケンカをしていた。
バケツの水を被ったさとみさんが、その人たちを振り切って燃えている家へ戻ろうとしている。
――あれ!?
――止めなきゃいけない気がする。
何でだろう?
「さとみさん!!」
僕は思わず大声を出した。
でも、さとみさんは振り向いてくれない。
どうして――
「……タ!!」
微かに声が聞こえた。
気のせいかな?
「……ナタ!!」
気のせいじゃない。
その声は次第に大きくなる。
「カナタ!!」
どこかで聞き覚えのある声。
どこで聞いたのだろう。
「だれ?」
その声に向かって、僕は呟いた。
「カナタ! ミウだよ! しっかりして!」
いつの間にか目の前には、薄ぼんやりと光る可愛い動物がいた。
何で僕の名前を知ってるの?
「思い出して、カナタ! これは現実じゃないんだよ!」
現実じゃない?
ミウ……、ミウ? ……ミウ!!
「ミウ!!」
僕はその光る小動物に向かって叫んだ。
「カナタ! 良かった、思い出したんだね!」
そうだ。
僕は確かアルフォンスと対峙して……、そこからの記憶が無い。
「急いで戻るよ、カナタ! 間に合わなくなる!」
ミウの言葉に僕は頷いた。
「ああ、戻ろう。現実の世界へ」
最後に、僕は孤児院に飛び込もうとしている女性の方へと顔を向けた。
「さようなら、里美さん。幻でももう一度会えて嬉しかったです」
僕の身体は霞のようにその場から消えていった。
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