第144話 カナタ、事務をする
「そうでちゅか」
僕からの報告を受け、女神様は腕組みをしてうんうんと頷いている。
普通ならば貫禄が出そうな仕草ではあるのだが、口の周りについている何かが全てを台無しにしている。
いつもと変わらぬ女神様クオリティ。
奥でスラ坊がせっせと洗い物をしていることから、恐らくはいつもの様にお菓子を頬張りつつリビングで寛いでいたのだろう。
「……口元」
「む。ついてまちたか」
女神様がミサキからハンカチを受け取り口元を拭う。
そして誤魔化すように一回ほど咳払いをしてから、僕らに向かって自らの見解を述べた。
「恐らくはまた別の世界の神の仕業でちゅね。その2人にとっては災難でちたけど、神の中には退屈を紛らわす意味だけで悪戯にそういうことをするのがいるでちゅ」
何だよ、それ。
そうだとしたら凄い迷惑な話であり、あの2人がかわいそうだ。
そんな僕の不満を察したのか、女神様は言葉を補足する。
「もちろん許可なくそういうことをした神には罰則が待っているでちゅ。今回もその2人を調べればきっと何か手掛かりのようなものが残っている筈でちゅ」
その事については一任して欲しいとの女神様の願いに僕たちは頷いた。
どの道、その事に関して僕らが出来る事は何もない。
ただ――。
「あの2人はどうなるんですか?」
僕の問いに女神様は申し訳なさそうな表情で、
「この世界で暮らしてもらうしか無いでちゅね。生物の世界間移動は神にとっても規則的にそう簡単に行えるものでは無いでちゅ。カナタくんの時はあくまで例外的緊急措置で許可が下りたんでちゅ。その2人については申請しても許可が下りるのは恐らく百年後。事実上不可能でちゅ」
百年後って……。
人間の寿命を完全に無視しているな。
エルフとかなら兎も角、僕ら人間がそれを待つのは不可能だ。
「かわいそうです〜」
ポンポが嘆く。
「そうなんでちゅがね……。本人たちがここを気に入ってくれていることが不幸中の幸いでちゅ。出来る限りの便宜を図ってあげまちゅので、何かあったら言って欲しいでちゅ」
女神様の言う通り、あの2人(特にサヤの方)は帰還できるとしても帰らないという選択肢を選びそうな気がする。
ケンタは妹が右と言ったら右を向きそうな性格なので推して知るべしだ。
「さて、カナタくんたちも色々大変だったでちゅよね。暫くはゆっくりと休むと良いでちゅよ」
その時、ふと僕の頭の中に何かが過る。
そう言えば、キマウさんって休みを取っていたっけ……。
その事に気付いた僕は、会合が終わるとともに、すぐさまイデアロードへと飛んだのであった。
「えっ、休みですか? 休憩は適当に取っていますよ」
僕の質問の意図が良くわからないと言った顔で、キマウさんは質問に答えた。
僕はキマウさんに今まで休日をしっかりと与えていなかった事を説明、謝罪をする。
「なるほど、休日ですか。魚人にはそういう概念は無いので気にしていませんでした。そもそもそれは人間特有の文化ですよね」
なるほど、考えてみればそうかもしれない。
元来、『休日』という概念は、社会における仕組みの中の労働においてのみ発生するもので、一種族が自然の中で生活するための活動は得てして生存の為のものであり、休憩や休息なら兎も角、『休日』という考えが発生する筈も無い。
でも、キマウさんは今や社会の仕組みの中心にいるのだ。
ここはしっかりと休んで英気を養って貰わねばなるまい。
「じゃあキマウさん。明日1日休んでください。それ以降の休みについては相談しましょう」
「はぁ……」
あまり乗り気で無さそうなキマウさんを押し切るように納得させ、早速と引継ぎに入る。
それによると、明日は特別な予定も無く、書類関係の仕事のみとのこと。
さあ、明日1日しっかりと頑張ろう!
「――って、思っていた次期があったなぁ……」
「カナタ、それ昨日のことだから」
ミウにジト目でツッコまれる。
でもね、ミウ。
まさかこんなに仕事が多いとは……。
「カナタさん! こちらの書類もお願いします!」
そうこうしている間にも新たな書類が文官から運ばれ、容赦なく机に積み上げられていく。
「しかも何でこんなに大量なんだよ!」
「……仕方ない。……それだけ発展しているということ」
ソファーにゆったりと座り、紅茶を飲んでいるミサキが律儀に答えてくれた。
「いや、そういう説明を聞きたかった訳じゃあないんだけどね」
僕が今言いたい事。
たぶん予想がついていると思うけど、僕はあえてそれを口に出すことにする。
「ごめん、手伝って!」
僕は素直に皆に頭を下げたのであった。
「えっと、これは……」
「……カナタ。……それは保留。……現在の人員では無理」
「あ、うん。そうだよね」
「カナタ。これは?」
「うん、ミウ。これはね、えっと……」
「……それはすぐに手配した方が良い」
「うん、そうだよね(2回目)」
皆で書類の山に寄って集って、『緊急』と『一般』、『保留』、もしくは『不許可』に振り分けていく。
でも、何気に僕って役に立っていない気が……。
案の定、判断の役割が次第に僕からミサキへと移っていく。
「カナタ、向いてない?」
オブラートの存在を知らないミウが首を傾げて僕に問いかける。
「昔から机に向かうのは苦手だったから、この仕事も向いてないんだろうね」
「……何事も慣れ。……今日は良い機会」
ミサキさん、お手柔らかにお願いします。
時計の音のみが室内に響く。
数時間が経過し、現在手伝ってくれているのはミサキとアリアのみ。
ミウは飽きてしまったのか僕の膝の上でお昼寝、ポンポは椅子の上で床に着かない足をぷらぷらとさせながら差し入れのお菓子を頬張っている。
幼い2人なだけに、机にずっと向かっての仕事はやはり無理があったようだ。
いや、むしろ多少なりにも頑張って手伝ってくれたことに感謝をしている。
ただ、子供と言うポジションがこれ程羨ましいと思ったのは久しぶりだ。
「……カナタ、手が止まってる」
「ごめんなさい」
ミサキの指摘を受け、僕は再び机に向かう。
やってる仕事は主に決済のみなのだが、いちいち読み込まなければならないので時間がかかる。
これを何時もこなしているキマウさんの能力に改めて感心させられた。
「ふぅ……」
目の前の一山を処理し、僕は文字通り一息つく。
その時であった。
気分転換したいという僕の気持ちを察したかのように部屋のドアがノックされ、警備兵が1人顔を出す。
そして僕の顔を見るなり一礼し、用件を述べた。
「報告します。最近イデアロードに潜入したという情報が入っていた盗賊団なのですが、とうとうアジトが発見出来ました。現在警備兵で人目に付かないように包囲中。ゴラン隊長が突入の許可を求めています、というか今にも突入しそうであります。許可を頂けますでしょうか?」
おっ、荒事か。
不謹慎ながらも、この場を脱出出来ると喜んでいる僕がいた。
うん、これは非常時だし、仕方ないよね。
「わかった! 僕も向かうよ!」
僕は勢いよく椅子から立ち上がる。
無論、膝の上のミウは腕の中に抱え直している。
だが、僕の目の前には立ちはだかる大きな壁があった。
その壁の名はミサキ。
彼女は無情にも僕に死刑を宣告する。
「……カナタは留守番」
何故?
その言葉が僕の口から出る前に、ミサキは続けて理由を述べる。
「……留守を守る人が必要。……今のカナタの立ち位置がそう」
そして僕の腕の中でまだ寝ているミウを揺り起こした。
「う〜ん。ミサキ?」
ミウが寝ぼけ眼で問いかける。
「……私は出かける。……カナタを見張ってて」
ミウはおおよそ何のことかわかったらしく、
「うん、ミウに任せといてよ!」
ドンと胸を小さな手で叩く仕草で返答した。
こうして、僕の華麗なる?脱出計画は瞬時に潰えたのであった。
――そして翌日。
忙しさのあまり大して睡眠が取れなかった僕は、眠い眼を擦りながら出勤のキマウさんを出迎える。
「えっ! この量をほぼ一人でやったのですか!?」
キマウさんの第一声。
それを聞いた僕は膝から崩れ落ちそうになった。
「いや、だって次々に持ってくるから……」
「処理が早いに越した事は無いですが、1人が処理出来る量には限界がありますよ。私だって何人かで手分けしてやってるんです」
何それ、聞いてないよ〜!
そんな僕の抗議の視線を受け、おかしいといった風に首を傾げる。
「この際だから担当の皆も休んで良いと聞いていたのですが……、違うのですか?」
「誰から?」
「ミサキさんです」
僕はすぐさま後ろを振り向いてミサキを見る。
もちろん、どういう事か説明してくれとの意味を含めて――。
しかし、ミサキは悪びれること無く、
「……カナタは頑張った。……お蔭で皆はリフレッシュ、カナタのスキルもUP。……良いこと尽くめ」
その答えに僕は脱力のため息をつく。
「何にせよ、次から休みは交代制にしますね」
気の毒そうな眼差しで僕を見るキマウさんが気遣いの言葉をかけてくれる。
ええ、是非そうして下さい。
僕は黙ってそれに頷いた。
兎に角、もう書類の類は当分見たくない。
領主処理分も暫くはミサキに任せてしまおう。
その位の報酬があってもいいよね。




