第138話 兄妹
「…………それで?」
不満げな態度を隠そうともせず、僕を問い詰めるミサキ。
いや、そう言われても、僕にも何だか……。
少女を連れて土竜族の拠点を脱出、ウササ族の集落に戻ってきたまでは良い。
だが、その間で何故か少女に懐かれてしまい、その後も僕の腕に縋りついて離れようとしない。
強引に振りほどこうとすると少女が涙目になるのでそれも出来ずにいた。
正面から来る圧力に耐えつつ、どうしたものかと思案する。
「ミサキ。それよりも先ずはこの子の話を聞かなきゃ」
さすがミウ、見事なタイミングでの助け舟だ。
後で撫で撫でしてあげよう。
「……仕方ない」
渋々といった感じでミサキが引き下がる。
重かった空気からの開放を感じながら、僕は隣の少女に声をかけた。
「それで、君は何であんな場所に?」
「サヤです」
「えっ!?」
「『君』じゃなくて『サヤ』。私の名前です」
僕の目を見て白いツインテールの髪を縦に揺らす。
肌の色と合わせて白で統一されたような儚い雰囲気の中で、その黒い瞳だけが力強く主張していた。
僕は少女の意をくんで、改めて名前を呼んで聞き直す。
「それで、サヤちゃん……じゃなくてサヤ。何故あの場所に?」
途中言い換えたのは少女が首を振り呼び方を否定したためだ。
どうやら『ちゃん』付けはお気に召さないらしい。
そして、サヤは漸く僕の腕を振りほどき、真剣な表情で語り始めた。
「私は――この世界の人間ではありません」
唐突な事を話し始めるサヤ。
僕たちは彼女の次の言葉を待つ。
「私は兄と2人でこのフィクションさながらの世界に迷い込みました。理由は何故だかわかりません。ただ今はこれが現実であるとはっきり認識しています」
真剣に聞き入る僕らと目を合わせ、彼女は続ける。
「気がついたら草原に立っていました。何が起こったのかわからず私も兄も途方に暮れていた時、3人の男に偶然出会ったのです。その人間の男たちは私を見るなり唐突に襲い掛かってきました。私を守ろうと兄も懸命に闘ってくれましたが相手は大人であり多勢、敵うはずがありません。それを見た私は死を覚悟しました」
僕は心の中でサヤの性格分析を修正した。
初めに受けた印象とは違い、かなり大人びた少女のようだ。
「――その時だったと思います。兄の雰囲気に変化が起きました。いえ、それは私がそう感じただけかもしれません。ただ、兄は突然この世で魔法と呼ばれるものを駆使して、その3人を打ち倒したのです。そしてそれ以来、兄は変わっていきました」
サヤの回想は続く。
「まるで力試しでもするかのように魔法を振るい、近くにあった一つの村を滅ぼしました。その様子はとても楽しげでした。無人の村から食料を奪って私に差し出しましたが、私にはとても食べることは出来ません。そして、次第に兄の私への態度も疎遠なものへと変わってきました。兄が力で従えた土竜族に腫物でも触るかのように軟禁されていた私は、そこから逃げ出す決意をしました。何が出来るとかそう言うことでは無くて、何もせずにはいられなかった。このままでは更なる悪い方向に進んでいく気がしてならなかったんです」
「その時に僕たちに出会ったんだね」
「はい。その通りです」
そして彼女の兄があの少年なのだろう。
去り際の彼のセリフ、『無理ゲー』という言葉が思い出された。
この世界にそんな用語は無い筈だ。
「……それで、貴方は何が望みなの?」
ミサキの核心をつく言葉にサヤは答える。
「お願いします! 兄の暴走を止めて下さい! そして出来れば元の兄に……」
初めの凛とした口調とは打って変わって、その語尾は消え入りそうなくらい小さかった。
部屋の中には自然と沈黙が訪れる。
「難しいの」
その沈黙を最初に破ったのはアリアだ。
「この森に入った仲間で同じ症状だった人がいたの。――元に戻らなかったの」
申し訳無さそうな顔で遠慮がちに言葉を並べるアリア。
すると、この森に何か原因があるのか。
「でも、色々やってみるだけなら良いんじゃない。始めから諦めてたら何も生まれないよ!」
そんなセリフが言えるとはミウも成長したものだ。
こんな場面で無かったら抱き上げてもふもふを思い切り撫でてあげるのに……。
「……そうね。……でも、無理は禁物」
「ポンポは頑張るです〜」
「――ということだから、出来る範囲のことはさせて貰うよ」
僕はサヤに向き直り微笑んだ。
「皆さん、ありがとうございます!」
サヤは目に涙を浮かべ、僕たちに向かって頭を下げたのだった。
※
その頃、土竜族の拠点の一室で少年の怒声が響き渡っていた。
「逃がしただって! 何をやってるんだよ!」
少年の目の前にはその夜警備をしていた土竜族が神妙な面持ちでその怒りを受け止めている。
「大して何も出来ないんだからさぁ。少しは俺の役に立ってよ」
「まあまあ、雷帝様。高々少女の足で逃げられる範囲など決まっております。時期に吉報を入れますので――」
揉み手をするかのように割り込んだのは、土竜族の権力を掌握するゴドーである。
前リーダーの突然の失踪から半月、雷帝という少年と弟の力でのし上がった頭脳派だ。
だが、人心までは掌握しきれていない様子。
彼のあからさまに卑屈な態度を見て、土竜族の一部から侮蔑の表情が浮かんでいる。
「ならいいんだけどさ」
ゴドーの言葉に少年は矛を収める。
「ところで、雷帝様。ウササ族の件ですが……」
「何だよ! 次はうまくやるぞ! 前回は相手の戦力を見誤っただけだ!」
ゴドーの言葉に少年は不満げに言い訳をする。
それに対しゴドーは、顔色を窺いつつおべんちゃらを並べる。
「はい、それは勿論です。全く、雷帝様に逆らおうなどと、先見の明が見抜けぬ奴らですな」
「ああ、全くだよ」
少年の機嫌が直ったのを見計らい、ゴドーは言葉を続ける。
「それはそれとして、引き続き降伏勧告も行いたいと思います。彼らに対する要求は以前と同じく――」
「ああ、任せるよ」
「ありがとうございます」
ゴドーは下げた頭の下で口角を吊り上げる。
その表情は醜く歪んでいたが、それに気づく者はいない。
「それよりもサヤだ。一応俺の妹なんだから頼むぞ」
『――怒れ。裏切り者には制裁を――』
「はい。もちろんでございます」
『――怒れ。裏切り者には死を――』
「……いや、ちょっと待て」
その場を下がろうとしたゴドーを少年は引き留める。
どこか虚ろな目をした少年は、事務的な口調でゴドーに命令する。
「抵抗するようだったら力ずくで連れて来い」
「かしこまりました。では、そのように――」
ゴドーは再度一礼して引き下がる。
その一部始終を黙って後方で見守っていた巨漢の土竜族。
彼の表情からは誰もその心の内を読むことは出来なかった。




