閑話 覆面の襲撃
少しだけ話に出た場面を閑話として挟んでみました。
ターラント子爵は不満を顔に出していた。
常に沈着冷静な彼にとってそれは珍しいことであり、彼の友人がその姿を見たならばさぞ驚いたことだろう。
だが、ここは草原のど真ん中であり、その顔を見ることが出来た者は彼の信頼する部下の他にはただ一人、目の前の男のみであった。
「まだ直らないのかね?」
「へい。もう少しでさあ」
訛りのある御者の返事にターラント子爵は大きくため息をついた。
そんな彼に、部下が近づき報告を入れる。
「このままだと本日中にベラーシに辿り着くのは無理かと思われます。途中で一泊する必要があるかと――」
「ふむ……。何処か良い場所はあるのか?」
「はい。この付近では整備された道の脇に一夜を過ごせる小屋のようなものがいくつか建てられております。ご不便だとは思いますが、そこを使うのが最良かと思われます」
「かまわん。野宿よりはましだ」
車輪の故障という不測の事態。
乗せている荷が荷だけに、この場に置いていくことも出来ない。
ターラント子爵一行はそれにより、長時間の停滞を余儀なくされていた。
車輪の故障した護送車の中では、グラシャス子爵とその一味が観念したかのように大人しく座っている。
彼らを王都まで護送する事、それが現在のターラント子爵の任務である。
しかし、ここはまだイデアロードからベラーシへと向かう途中の街道であり、王都まではまだまだ先である。
(一日遅れたからといっても、特に問題は無い筈。だが、何か嫌な予感がする……)
理由のない不安に駆られるターラント子爵だったが、頭を振ってその考えを打ち消す。
(私が不安になっては部下たちにも影響を及ぼす。しっかりしなければ……)
そして一瞬のうちに立ち直り、部下たちに今後について細かい指示を飛ばす。
その切り替えの早さと決断力こそ、彼が王都で重宝されている所以である。
時間だけが刻一刻と過ぎていく。
修理は御者に任せ、子爵の部下たちはその周りを囲み警戒態勢を取る。
決して油断など無い布陣、そう、無かった筈である。
「ぐあっ!」
その内の一人が悲鳴を上げ、地面へと前のめりに倒れる。
その首には長い針のようなものが刺さっていたが、突然の事で仲間たちは何が起こったのかまだ理解できていない。
続けざまに飛んでくる飛来物。
その内の一つが一人の男の足を掠めたことにより、子爵の部下たちは漸く現状を理解するに至る。
「て、敵襲だ!」
その言葉に馬車の中で控えていた彼らの仲間が躍り出る。
「何処だ!」
「向こうの方から何かを飛ばしてきている。気をつけろ!」
漸く戦闘態勢を取り始めた彼らに、ターラント子爵の激が飛ぶ。
「守りを固めよ!」
その指示に従い、部下たちは草むら方向に盾を並べるように構えて敵の襲来に備える。
そこから出て来たのは顔を布で隠した如何にも怪しい集団。
部下たちは子爵を守ることを最優先にした布陣で迎え撃つ。
穏やかな一本道の街道は一転して激しい戦場へと変わり果てたのであった。
その頃、護送車の扉が何者かによってこっそりと開かれていた。
「おお、お前がそうなのか! 助けに来てくれると思っていたぞ!」
グラシャス子爵の目の前に立っていたのは、先ほどまで車輪の修理をしていた御者であった。
喜色満面のグラシャス子爵。
しかし、その笑顔を向けられた御者の男は、感情など一切感じられないような声色で返答する。
「貴方の役目は終わった。我らが主はお怒りである」
そして懐から短剣を抜き出す。
それを見て慌てるグラシャス子爵。
「ま、待て! 私は組織にとって必要な人間! これは何かの間違いだ!」
そんな彼の言葉にも感情を一切見せず、まるで朝の身支度でもするかのように彼の喉笛を掻き切る。
そしてそのまま捕われの三人の前に立ち一言、
「覚悟は出来ているな」
その問いに猿轡をされていた男たちが頷く。
そして数秒後――、
「第一目標達成。これより第二目標、ターラントに移る」
誰に伝えるでも無く独り言を呟いた男が一人、そのまま護送車から脱出するのであった。
「くっ!」
一人、そして二人と倒れていく部下を見てターラント子爵は苦虫を噛み潰したような表情で唸る。
守備方である彼の部隊は、相手方にいる魔術師の要所要所で放たれる魔法に苦戦し、戦況をひっくり返せない。
現状を打破する手立てが無い今、誰が見ても蹂躙されるのは時間の問題だった。
そんな時、遠方から一台の馬車が戦場に近づいていた。
何の飾り気も無いその姿から民間の馬車であることが一目でわかる。
それにいち早く気付いたのはターラント子爵だ。
「何! 民間の馬車!? 気づいていないのか!」
このままでは否応無しに戦闘に巻き込んでしまうことは明白。
だが、防戦一方の彼にはどうすることも出来ない。
その時であった。
助けなければならないと思っていた馬車から、無数の魔法が放たれ、覆面の男たちを次々に戦闘不能にしていく。
魔法に対し造詣のあるターラント子爵だからこそわかったこと。
それは、この混戦の中でピンポイントで狙いをつけることが如何に難しいか。
相当の技量なしではそんな芸当は出来はしないということであった。
(な、何だ! 誰だ! いや、しかし味方であることには間違いない)
彼の部下たちも思いがけない援軍に失いかけていた士気が上がる。
今にも崩れそうだった戦況が持ち直した瞬間である。
「あの馬車の中の魔法使いを潰せ!」
いち早く襲撃場所を察知した覆面の男は、接近戦を挑むべく何人かを引き連れて馬車へと向かう。
その標的である馬車から降り立つ一人の男。
覆面たちは最初の生贄とばかりに迷わずその男に襲い掛かった。
「ふんっ!」
大きな掛け声と共にそのまま後方に弾き飛ばされる覆面たち。
何とか地面に着地した覆面たちの目は、まるで信じられない物を見ているかのように大きく見開かれていた。
目の前の男は前後上下左右、あらゆる攻撃を一瞬で防いだのである。
そして彼らの持っている武器、それらは全てひび割れ、あるいは砕かれていた。
リーダー格らしき覆面の男、その覆面にジワリと汗がにじむ。
「ふん、俺がいる限り馬車には一歩も近づけさせん! もっとも、いなくても結果は変わらんと思うがな」
戦場という舞台に相応しくない笑いを発する大柄な男。
この場面で気負うことなく自然体でいられるその姿を見て、リーダー格の男は瞬時に決断を下した。
自らの口に手を当て、高らかに口笛を鳴らす。
そう、それは撤収の合図。
相手の増援が強大であると判断したからこその決断。
敵の技量を見極め、最良の行動をとること。
それが彼をここまで生き永らえさせてきた手段であり信念でもあった。
「あっ! こら、待ちやがれ!」
迷うこと無く逃げだした覆面たちを追う大柄な男。
だが、彼らの逃げ足は速く、そのまま取り逃がすこととなる。
いや、本気で追えば捕らえられただろうが、馬車から掛けられた「怪我人が先よ」という声により深追いしなかったというのが本当のところであった。
そして彼らは対面する。
ターラント子爵は自分を助けた人物を見て驚愕の表情を浮かべた。
それを嗜めるように発せられたのは目の前の女性の一言。
「私たちは行きずりの冒険者よ」
「――はい、わかりました」
何かを悟ったようなターラント子爵のその顔を見て、目の前の二人は満足した笑みを浮かべる。
子爵の部下たちの治療も滞りなく終わり、ターラント子爵は頭を下げて二人を見送る。
その馬車はイデアロードを目指すべく、走り去っていくのであった。
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