人を呪わば穴二つ
「これは隠岐守様」
伊予松山藩主・松平隠岐守定国様。元は田安家の六男辰丸様として、幼少の頃、弟の賢丸様こと定信様やその学友として招かれた安十郎こと俺に対し、並々ならぬ敵意をもって向かってこられた迷惑な天敵だ。
久松松平家の養嗣子となると中務大輔という官位を受領したが、定信様が藩主を継がれると上総介から越中守に転任したように、こちらも松山十五万石を継承すると隠岐守に転じ、次いで侍従に任官されている。同じ従四位下ではあるが、侍従は田沼公も任じられている官位なので、そこだけは定信様より半歩先を行っていることになる。
「失礼ですが部屋をお間違えでございますぞ」
「間違ってここに来るわけがなかろうが」
「ということは、どなたかに御用でしたかな」
「どなたもこなたも、お主以外におらんわ」
部屋まで先導する係がいる以上、意図的に向かわない限り違う部屋に来ることは無い。そんなことは分かっているが、出来ることなら顔を合わせたくない人物なのよ。伺侯席が違う場所だからそこだけが救いかなと思っていたのに、わざわざここへ顔を見せに来たんだもの。その理由を考えたら、あまり楽しくなさそうな用件しか思い浮かばなかったので、すっとぼけてみただけさ。
「これはこれは。溜間詰の重責にあられる隠岐守様が、某のような木っ端大名になぞ関わっておられては名が廃りまするぞ」
「ならばそっちの溜間詰は何と致す」
俺は関わる用事などありませんぞと言いたいが、立場が立場なので、慇懃ながらも言外にさっさと持ち場に行けば? とあしらうつもりだったが、同じ溜間詰の定信様がいるとなると向こうも引いてくれなさそうだ。
「越中守様とは飢饉対策などの話を少々。互いに藩主となりましたれば、そうそうお会いする機会も設けられませぬゆえ」
「何が飢饉対策じゃ。互いに名君だの何だのと世辞を言い合っておっただけではないか」
「兄上、嫌味を言いに来るためにわざわざ立ち寄られたか」
名君と讃えたのは結果が出たからこそであって、前段の話をすっ飛ばされても困る。未来のマスメディアもビックリの切り取り方だな。
「江戸の街の米の値は上がり続けておる。それもこれも治部、其方の進言が故であろう」
後世天明の大飢饉と呼ばれるそれは、今から三年前、天明二(1782)年に遡る。当年の東日本各地の収穫はそれほど悪くはなかったのだが、このときは主に西国を中心に凶作となってしまったことが事の始まりである。
供給量が少なくなれば値が上がるのは自然の理。散々飢饉に対する警鐘を鳴らし、適切な備蓄の推奨を進めてきたが、いざ米価が上がってくると、背に腹は代えられぬという領主が少なからずおり、今が好機と米を売り払う藩が続出したのだ。
「にもかかわらず、其方が売買を制限せよと進言したそうではないか。それが故に江戸市中の米不足と価格の高騰は目を覆わんばかりじゃ」
そのとき目先の利に目がくらんだ者は、収穫された領内の米を江戸や大坂に送り出した。中には領内にあるだけの米をかき集めて放出した藩もあったようだが、それらがどうなったかは言うまでもないだろう。
翌年の岩木山や浅間山の噴火による日照不足と悪天候、冷夏などの要因が積み重なって稲は全滅。その年を越すために必要な食糧にも事欠く有様だ。そうなることが分かっていたからこそ、浅間山が噴火したときに米の売買をこれまで以上に厳しく禁じるよう田沼公に頼んだ。
そういったわけで、現在米価が高止まりの状態なのは、定国様の仰るように俺が理由だというのはあながち間違いではないが、少々短絡的過ぎるな。
「お言葉ながら、不作となることが明白であるのに諸国から米を運び込んだとしても、米の値が下がることはございませぬ。さらには各地の農村では食うものも無く飢える民が続出することとなるのですから、致し方ござらぬ処置と存ずる」
ただでさえ不作のところに、流通を制限するような対策をしたことで、結果として江戸の米の在庫は底を突きかけることになったが、そもそもの収穫が無いのだから、どれだけかき集めても足ることはなかっただろう。
だからこそそれを見越して、代わりとなる新たなる作物を奨励していたわけでもある。多くの藩がそれを取り入れたことで、選り好みをしなければ食いつなぐだけの食料は確保したし、江戸に関して言えば、外の様子を見てきた火消たちの口から各地の不作の現状を広めたおかげで、米不足の中でも町人たちは比較的落ち着いている。米の売買によるトラブルも小競り合いが数件あっただけで、打ち壊し的などには至っていないのだから、対策としてはベターなものだったと自負する。
「我が国は稲作を糧として生きてきた国であり、米こそが武士の収入源である。それを捨て、小手先ばかりに麦だの芋だのを植え、将軍家のお膝元たる江戸表に米が回ってこぬのを致し方なしの一言で済ませるとは聞き捨てならんな」
だが、それこそが愚策だとでも言いたいようだ。
たしかにこの国は米を神聖視する傾向がある。日本の各地で栽培が可能で、保存も利き栄養価も高く、それが故に通貨の代わりとしての使用にも耐えうる存在。それが米だ。
だからこそ米の取れない土地は評価が下がるし、その土地を領する大名は格下と蔑まれる。実際に松前藩は米が取れないので最初は無高の大名だったのだが、そのせいで他の大名から米も取れぬ不毛の地と蔑まれたことで、幕府にお願いして一万石"格"という石高を定めてもらったのだという。
それで今までやってこれたものを急に変えようとした結果、あちこちで混乱を招いている責任をどう取る気だと定国様は鼻息荒い。
「米不足に関しては、でございましょう。たしかに米の収穫は落ち、その値は上がり申したが、それだけのことにござる」
「何?」
「ここ数年の天候では稲の実らぬ地も多くござる。それこそ百植えて一の実りがあるかどうか。東北諸藩の窮状はそれだけのもの。なれば命をつなぐために、百植えて十でも二十でも実りのある作物を植えるは必定」
「急場しのぎで売り買いの値もつかぬような作物など」
「それを米に並ぶ売り物として育てるが某の仕事なれば」
田沼公の政策を簡単に言うと、商業の活性化により金の巡りを良くし、税収を増やすというものだ。そのために農産量を増やし、商業作物の栽培を奨励したわけだが、史実ではやはり一番金になる稲作が中心で、それが故に飢饉となれば一気に食料不足となったほか、無理な農地開発が各地の治水力を下げた結果、大規模な水害などと頻発したわけだ。
「稲作だけに頼っておっては、飢饉が起きるたびに同じことの繰り返し。民は飢え死に、生きるために郷里を捨て、残された田畑を耕す者すらいなくなります。今ここで新たなる試みを進めていかねば、いずれ国が立ち行かなくなりますぞ」
「だからと言って古来より続きし稲作の伝統を断ち切るような行い、天に唾するようなもの。いずれ天罰が下る。いや、此度の飢饉こそ天罰と言えるやもしれんな」
昔も肉を食ったら仏罰がどうとかで論戦になったが、今度は天罰ですか……この人、超常現象大好きっ子だな。
ただこれで、この人が政策的な議論をするとか苦言を呈しに来たわけではないとはっきりしたわ。単に俺のやることに噛みつきたいだけ。そこで今回の対策で数少ないマイナスであった、米不足と米価の高騰に絞って文句を言いに来たのだ。それも俺に冷静に返された結果、天罰が下るとやらの妄言を吐くしかなくなったわけだけどね。
しかし……誤った政をすると天罰が下るのか。ほうほう、そうですかそうですか。
「ということは、稲に代わり甘藷の栽培を進めてきた余も天罰が下ってしまうのか。恐ろしいことじゃ」
俺が強烈なカウンターを御見舞いしようと思っていると、視界の端にとある人物が近づいているのが見えた。
その人物が人物なだけに、俺は反論を控え様子を伺っていたのだが、どうやら俺の代わりにお仕置きしてくれそうな雰囲気だ。
「み、水戸様……」
「常陸もここ数年は不作でな、治部に指南してもらった甘藷のおかげで民も食うに困らなくなったのだが、天罰は下るのかの」
その方は右近衛権中将治保公。御三家の一つ、水戸徳川三十五万石の六代目藩主だ。
水戸徳川家で一番有名なのは黄門様こと二代目藩主の光圀公だろう。この黄門とは中納言の唐名で、光圀公も権中納言に任じられたからこそ水戸の黄門様なのだ。別にオリジナルの呼称ではない。
この中納言というのは水戸家当主が任じられる極官。つまり人生で一番最後に任じられる官位なので、その任官年齢はかなり遅めとなる。実際に水戸家で中納言に任じられたのは三代綱條公が最後で、治保公の父と祖父である四、五代目の藩主は任官される前に亡くなられている。
「のう隠岐守、不作で民が飢えておるというのに、何もせず稲を植え続けるが正しき政なのか? 実りがあるかも分からぬというに」
「い、いえ……左様なことは」
「正しき政をせねば天罰が下ると申したではないか。おお、そうか、お主は身をもってそれを経験しておったか」
「何のことでしょう……」
「先年、松山の城に雷が落ちて焼けたと聞いたが」
あーあ、言っちゃった。そうなのです、去年の正月に松山城の天守に落雷があって焼け落ちたのよね。俺がそれを言おうと思ったのだが、水戸様に言ってもらったほうが余計にダメージはデカいかもな。
「正しき政をせなんだから、天罰が下ってしまったのだな。なるほどなるほど」
「いや、それとこれとは……」
「のう隠岐守、それくらいにしておけ。これ以上余計な恥を晒すことはあるまい」
定国様がさらに何かを言い募ろうとしていたが、治保公にそう言われてはさすがに引き下がらざるを得ず、相変わらず俺や定信様を憎々しげに睨んだまま引き下がっていった。
「まったく、人を呪わば穴二つじゃて」
定国様がいなくなったのを見て、治保公がボソッとそう呟いたが、いやはやまったく、仰る通りですな。




