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[ⅩⅩⅢ]天空の鬼嫁③

「うおぉ、本気で天に召されると思ったー。久々に、心の底からちびりかけたよ」

 エニシはよろめいた。

「どういうつもりで、わいせつ行為に及んだ。どんな答えだろうとも、おぬしを八つ裂きにしたい気持ちは揺るがないが」

「要するにだ、魔王討伐前にリージュの暗殺計画が発覚したら、俺はおまえのチッパイをもみしだく」

「ぬけぬけと、よくも痴漢めいた条件つけられるな。おぬしに引導渡せないのを、これほど口惜しいと思ったことはない」

「ふふん。ざんきにたえないか。『主従関係万歳』だな。ご主人様の愛玩奴隷となって性的奉仕したいなら、しょっちゅう殺しにかかってくれて構わないが」

「ふざけるな。我は陵辱されてよがるような淫乱女ではない!」

「野心実現のためなら乳房の一つや二つ、愛撫されるくらい安い対価だと思うけど」

「おぬしの屈折した性欲を満たすラブドールに成り果てるくらいなら、天界に封印されたほうがまだしもマシだ」

 なんてやつだ。思い切って懺悔した自分が、ピエロみたいではないか。リージュはどうやってエニシに仕返ししようか、知恵を絞った。

「というわけで、純情乙女がもうお痛をすることはないよ。華麗な封殺だろう」

『女の敵ですね……。血ヘド吐いて臨終すればいいのに』

 絶対零度の声音にエニシが肩をすくめる。

「おいおい、穏やかじゃないな。女神ともあろうお方が、『野垂れ死ね』とか暴言吐いたらまずいでしょうに。神の上司へ告げ口しちゃうぞ」

『あなたに実現するツテがないことくらい、先刻承知です。気をもんで損しました。マッチポンプじみたお遊戯会に費やした労力、きっちり返してもらいたいくらい』

 結局それか。回りくどく天界の存亡がどうのとか言ってたが、要するにエニシを延命させたくて、掟破りに手を染めたのだろう。エニシ並みに面倒くさい思考回路の持ち主だ。

『好きにしてください。もう通信を切ります。そろそろ管理部に傍受されそうですので。私も大目玉を食らいたくありません。出世の道も閉ざされますし』

「おい、赤髪女神」

 敵の去り際にリージュはいたずら心を発揮することにした。

『なんでしょう。用件は簡潔にしてくれないと、回線が途絶えますからね』

「エニシは渡さないぞ。手中に握る我のものだからな」

『なっ!? 化けの皮がはがれましたね、大鎌。やはりあなたは一級の危険因子。かくなるうえは、私も地上に赴任して──』

 わめいている最中に、ニキの声が途切れた。リージュはほくそ笑む。

 ざまあみろ、一泡吹かせてやったぞ。

 女神が天界を出奔し、大陸へ降り立つなど狂気の沙汰だ。ばれれば一巻の終わり。良くて天使へと格下げ、悪ければ強制輪廻ののち再調整が施される。そんなリスクをみすみす犯すはずが……。

 リージュの中に疑念が生じた。ニキにはメンヘラのケがある。であれば、たかが人間の男一人のため、なりふり構わぬ暴挙に訴えるかもしれない。彼女の思考ルーチンは複雑怪奇なパラドックスそのものだから。

「逆だろ。おまえが俺のものなんだ」

 手持ち無沙汰なのか、エニシは所在なさげに鎧の位置を調節している。女心をつゆほども学ばないこいつには、リージュとニキが散らせた火花の意味など、未来永劫分からないに違いない。

「やむを得ない、か。殺人未遂をした、せめてもの罪滅ぼしだ。渋々であるが、我の身も心もエニシに捧げるとしよう」

 リージュの譲歩に、ヨークは含むところがあるらしい。上下関係のなせる業で、申し立てには至らぬようだが。

「ただし年長者は敬って節操を持ち合わせろよ、悪運に恵まれた人間。この中じゃ、なんじが一番若造だからな」

「ってことは、ヨークも高齢なの?」

「貴様に答える義務はない」

 ヨークはつーんと顔を背けて、にべもない返答をする。

「そうだぞ。メスに対して年齢はデリケートな話題だからな」

「おったまげた。ヨークって、メスなのかよ」

「リージュ様、ぺらぺらとしゃべらないでください。汚らわしいやつに、自分の個人情報を知られたくありません」

 リージュは吹き出した。

「すまんすまん。しかしオスだと勘違いされるよりはよかろう」

「大ざっぱなんですから。しょうがありませんね。では出発いたしましょう」

「おいヨーク、ついてくるつもりか」

「もちろんです。こんなどこの馬の骨とも知れないケダモノと、二人旅なんてさせられません。自分がお目付役を務めます」

「だとよ。どうする、エニシ」

「来る者拒まずの俺は、ウェルカムだよ。けどヨークが俺の殺害を画策しても、リージュのパイオツをもみまくるからな」

 潔いくらいロリコン紳士だ。アホすぎてリージュはツッコむ気もうせた。

「末代まで呪われるがいい、色欲まみれの人間め。リージュ様、どうぞ自分の背に騎乗なさってください」

「いいや、我には特等席がある」

 リージュはエニシに接近し、地面に向けて指さした。やれやれ、という具合にエニシは片ひざをつく。リージュは彼の首にまたがった。

「そしてエニシがヨークに乗るのだ」

「断固拒否します。妊娠したくありませんので。リージュ様も気を許さないでください。いつはらませられるとも限りません」

「俺は幼女も獣も守備範囲外だっての。ご期待に添えなくて申し訳ないけど、そんな絶倫じゃないよ」

 エニシの弁明を、リージュもヨークも聞き流す。

「いいから乗せてやれ。お願いだ、ヨーク」

 厄日だ、と言いながらヨークは伏せをした。おっかなびっくりエニシがまたがる。

 ヨークが合図もなしにスタートダッシュした。猛スピードだ。

「お、おい。もっとゆっくり」

「泣き言ぬかすな。付け加えるなら、なんじは振り落とされていいぞ。リージュ様は身命を賭してキャッチするから」

「スパルタわんちゃんめ」

 エニシは悪態つきつつもしがみついている。

「ほれほれ懸命になれ、エニシ。リスペクトする我が潰れたトマトになるのは、忍びなかろう」

 謎の高揚感に包まれるリージュは、相棒をたきつけた。

 するとエニシが思いもよらぬことを口にする。

「ああ。皮肉とかじゃなく俺は、おまえを『カッコいい』と思うよ。脇目もふらず自分の信念に準拠し、神々を敵に回しても猪突猛進なんて最高にクールで、手本にしたいくらいだ。まぁ俺としちゃ、もう少し手段を選んで欲しかったけどさ」

 疾走するヨークが生み出す風圧にかき消えるほどの笑声を漏らすエニシ。

「俺のいた世界には『テイク・イット・イージー』って言葉がある。意味はおいおい教えるとして、おまえは我を貫き通してくれ、リージュ。世界中から後ろ指さされても、俺はおまえを支持しちゃる。天上界との根深い確執を知ったかぶりなんて、俺には到底できない。でも相棒として寄り添うくらいは許容範囲だ。ともに愚痴り、ともに絶望し、ともにストレス発散する。命を差し出す以外の共同作業なら、どーんとこいって感じだぜ」

 リージュの胸中にこみ上げるものがあった。心なしか目頭が熱く、視界がにじむ。

「あれ。俺、気に障るようなこと言ったかな」

 エニシが顔を上向けかけたので、慌ててリージュは腕力で押さえこんだ。現状の面差しを見られたら厄介な事態に発展すると、第六感が警鐘を鳴らす。

「ヨークの駆け足をなめるな。おぬしのか細い言葉なぞ、風でかなたに流されるわ」

「そっか。んじゃ、忘却の最果てに追いやってくれ。てんてこ舞いだったせいか血迷って、ベタなキザスイッチが入ったみたい。妹的マスコットに色目使うとか、ないわー。思い返すだけで顔から火が出そう。聞かれたら切腹ものだったよ」

「よしんばエニシが歯の浮くようなセリフを吐いたところで、口説ける物好き女はどれほどいるか見物だな」

「こんにゃろ、覚えとけよ。今度諏訪エニシの百二十%ハンティングモード、見せつけてやるからな」

「期待しないで待っておこう、不器用な狩人くん」

 高慢な態度に反してリージュは脱帽した。恋愛初心者の女神がお熱になるのも、うなずける。確かにゼロ距離からの猫だましはギャップ効果抜群で、たちが悪い。

 リージュのうちに渦巻く、天界に対するわだかまりは健在だ。天帝の鼻っ柱をへし折り、見返してやることに躊躇はない。ただ、いけ好かない神連中の功績を一つだけたたえるとすれば、エニシと巡り会わせてくれたことだろう。

 でたらめな口車でけむに巻き、グロウアップウェポンや女神さえも手玉に取ってしまう、ひねくれ者。

 びっくり箱みたいな男だ、とリージュは思う。開封者の心胆寒からしめるというより、周囲一帯の段取りを水泡に帰すジョーカー的な色合いを帯びているけれど。

 エニシとなら成し遂げられるかもしれない。魔神となって自我が反転する脅威におびえずとも、闇の中彷徨する兄を日だまりにいざなうことが。

「のうエニシ、不合理な掃きだめだと思わないか、世界ってやつは」

「ぶふっ。我が意を得たり、だな。でもくそったれなディストピアだからこそ、俺はリージュと出会えた気もするよ」

「おぬしにしては至言よの。どうしようもない世の中に乾杯、だ」

 風に白銀の髪をそよがせるリージュは無邪気に顔をほころばせ、エニシの頭部を抱きしめた。


〔了〕

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