【閑話】始まる前から負けている
烈歴98年6月16日(行軍2日目) 9時2分 シュバルツ帝国 港湾都市ハンブルグ近海 タレイラン船団旗艦
タレイランの船団を率いるタレイラン公爵家司令官 アデラール・バレは自身が置かれた状況に驚きを隠せずにいた。
「な、なぜ…ポアンカレが…我が軍の背後に…!?…停泊している皇国の船を沈めようとしているだけなのに、喉元に剣を突き付けるような配置で迫ってくる…!?」
アデラールは王国の南西部に位置するタレイランの領地から遥々数週間を掛けてこの帝国のハンブルグにやって来た。
王国の各家に警戒されぬよう遠洋を通るようにして、航行していたため通常より時間がかかっていた。
しかしアデラールはポアンカレが中立であることからタレイランの船団を姿を見ても何の反応を示さないと予想して、多少距離を短縮することができる近海寄りを航行した。
これが結果として裏目に出てしまう。
なぜならアデラールがタレイランの領地を出航した時は、ポアンカレは中立であることは間違いなかったが、その後に状況が変わり、アデラールが航行中に、ポアンカレ家はタレイラン家とピケティ家の『至高派』である二家に、『皇国軍を襲撃したら、貴家に対して容赦なく攻撃を仕掛ける』と文書で通達したのだ。
そんな王国を代表する四つの公爵家…通称『四公』の勢力図が激変することも知らずにアデラールはポアンカレ領近海を航行していたところ、船団がポアンカレ家の者の目に留まり、マーガレット・ポアンカレまで報告され、その結果マーガレット・ポアンカレは船団を組織して今ここにいる。
帝国海軍が防衛に回るところまではアデラールは読んでいたが、背後に王国最強のポアンカレの船団が出現したことは全く予想がつかないことであった。
そんなアデラールの焦燥をよそに、側近はアデラールに進言する。
「アデラール様、ポアンカレ家が来たとはいえ、我らとポアンカレの船団の規模はほぼ同等…そして我らタレイランは長年皇国と戦をしてきた練度があります。引きこもって魔術の研究ばかりしている奴らには生身の戦はできますまい。一思いに叩き潰してやりましょう」
何も知らない側近の強きな進言にアデラールは頭痛を覚えた。
この者は、タレイラン公爵の遠戚の者で、いわばコネの力でアデラールの側近として配置されている。
タレイラン家のあまりの教育水準の低さにアデラールは辟易した。
「馬鹿を申すな!ポアンカレの魔術を侮るでないわ!奴らは引きこもってばかりなどいない…!ポアンカレの領地とその領の近海の治安がいい理由は知っているか?」
「……い、いえ……それはポアンカレ家の領地が狭く治安維持しやすいからでしょうか…」
「違う。奴らは領内に賊が出現すると魔術を実験する機会と捉えて発見次第狩りに行くのだ……山賊も…盗賊も…海賊もな……王国の賊界隈で『ポアンカレ領には近づくな』は最初に学ぶことと言われるほどなのだ…そしてポアンカレ領から賊は絶滅している…最近では魔獣すらも寄り付かないと聞く。奴らの魔術は本物の戦闘術なのだよ」
アデラールが語るポアンカレ領の真実に強気な発言をしていた側近だけでなく、それを聞いていた周りの兵士達も顔を青くする。
「し、しかし!海戦は船同士の連携と魔術師の集団戦術が肝要です!ポアンカレの船団はバラバラに航行しており、海戦における集団戦術の素人だと自白しているようなものです!必ずや勝てますとも!」
「……それも違う。ポアンカレは確かに海戦の素人だ。それは認めよう。なぜならそんなものは必要ないからだ」
「は?」
「海上における戦略…戦術…そんなものは圧倒的な魔術師の存在の前にはあまりにも無力。私も第二級魔術師としての誇りはあるが、やはり一級魔術師は別格なのだ。その別格の魔術師が3人もいる…あのポアンカレの船団に『七魔』がいるかどうかはわからんがな」
「そ、それほどまでに…」
「仮に『七魔』がいなくとも、魔術師の質の平均値はポアンカレに勝てるはずもない…我ら今できることは、和睦の交渉くらいだ…あのポアンカレの船団が我らの敵ならばな」
「そ、それはあまりにも弱腰ではありませんか!戦わずして負けを認めるなど!」
「ならば貴様に一隻の指揮権を丸ごとくれてやろうか?…死ぬ直前に思い知るだろう。己の愚かさをな」
「……!」
アデラールは側近を突き放すようにして答える。
側近はまだ不満そうな顔をしていたが、周りの兵士はアデラールを信頼しているので、その言葉に偽りがないと信じていた。
側近とのやり取りを終えて、アデラールはポアンカレの船団を見つめる。
「……交渉くらいはさせてもらえるだろうか……おい!拡声魔術を使える魔術師を呼べ!」
アデラールは、数週間掛けた航海の果てが、戦わずして負けを認めるという理不尽さを感じながらも、この船団に乗船する兵士の命を少しでも多く領地に返すため頭を回転させていた。
「………はぁ……最近の旦那様の見当はずれな命は一体どうしたものか……昔の慧眼はどこへやら…」
この状況を作り出したタレイラン公爵に対する愚痴が思わずこぼれ出るアデラール
そんな風に考えていると
『あー、こちらポアンカレ家の代表、マーガレット・ポアンカレだ。タレイランの船団とお見受けする』
ポアンカレの船団から魔術で拡声されたマーガレットの声が近海に響く。
「マーガレット・ポアンカレ本人がいるのか……これは詰んでいるな」
諦めがついたアデラールは、穴が空きそうな胃を抑えながら、拡声魔術を準備している魔術師のもとへ近づいた。
アデラールは決して勝つことができない撤退戦の始まりを感じていた。




