第7話 さらば王国
**烈歴98年 6月4日 ボナパルト王城 正門広場**
今日は皇国の外交使節団と護衛団が王都ルクスルを出立する日だ。
空は晴れ渡り、澄んだ青がどこまでも広がっている。
広場には風が心地よく吹き抜け、旗が高々と揺れていた。
王城の壮麗な石造りの壁に光が差し込み、その荘厳さが際立つ。
僕たちは、これから港町ルセイユに向けて出発し、船で帝国へ向かう。
式典が進行する中で、街の喧騒や風の音が遠くから聞こえてくる。
シャルル王がリタさんと共に、王国と皇国の友好関係を祝う演説を行っていた。
彼の声は広場に響き渡り、兵士や市民たちが静かに聞き入っている。
遠くで鐘の音が鳴り、荘厳な空気に満ちていた。
そして、シャルル王がリアビティ皇王への親書をリタさんに手渡す瞬間、式典はひと際盛り上がりを見せた。
王の手からリタさんへと渡された親書は、金の縁取りが施され、その象徴的な重みが感じられた。
これで正式に、彼女は国の使者としての役目を果たしたのだ。
わずか数日だったけれど、王都ルクスルでの体験は想像以上に刺激的だった。
魔術が日常に溶け込むこの国で、僕は幾多の衝撃的な出来事に遭遇した。街角では魔術師たちが簡単に魔法を使いこなし、子供たちがその様子を楽しげに見守っている。
その風景は、僕がこれまでに見てきたものとは全く違う。
そして、リクソン・ベタンクール都督との出会いは特に印象深かった。
彼の鋭い眼差しと、魔術と剣技を融合させたその圧倒的な力。
彼との初対面の緊張感が、今も鮮明に思い出される。
さらに、プスキニア・メルセンヌ、エゴン・レヴァンドフスキ、ヒルデガルド・ラームといった強者たちとの戦いも忘れられない。
彼らとの戦いの記憶が、僕の体に染み込んでいる。何度も何度も襲い来る攻撃に対し、僕はそのたびに自分の限界を超えていった。
そして、ビーチェとのデート。
あの穏やかな時間は、僕の心の中に安らぎをもたらしてくれた。
エクトエンドを出発してから、もうすぐ2ヶ月になる。
時間の流れは早いけれど、その中で僕は多くの出会いを経験し、かけがえのない思い出を積み重ねてきた。
思い出すと、なんだか少し懐かしい気持ちにもなる。
そんなことを考えていると、シャルル王とリクソン都督がリタさんの馬車へと向かい、最後の別れの挨拶をしているのが見えた。
彼らの声が風に乗って僕の耳にも届いてくる。
「リータ殿下、本当にお礼申し上げる。願わくば、貴女とともにこの大陸に平穏をもたらしたい」
シャルル王の言葉には、彼の若さに似合わぬ深い決意と誠実さが滲んでいた。
リタさんは微笑んで、彼の言葉に答えた。
「こちらこそ、感謝するわ。私達が王国内で多数の協力者を得られたのも、あなたの人望のおかげね。若いから舐められているなんて嘘じゃない?あなた、ちゃんと王様できているわよ」
リタさんの言葉は、少し茶化しているようでいて、その実しっかりとした評価を込めたものだ。
シャルル王は一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに表情を引き締めた。
「……!?リータ殿下にそのように言われると恐縮だが、これからも皆に認めてもらえるよう精進するつもりだ。これからもよろしく頼む」
「こちらこそ。それに、本当にいいの?ベタンクール都督を借りちゃって?」
リタさんが尋ねた言葉に、僕は首を傾げる。
どういう意味だろう?ベタンクール都督を借りる…?
僕が混乱していると、隣にいたアウレリオ准将がそっと教えてくれた。
「すまない。今朝決まったことだから、シリュウ准将とマルディーニ少将にはまだ伝えられていなかったが、ベタンクール都督が外交使節団の護衛として帝国まで随行してくれることになったのだ」
「なあ!?い、いいのですか!?」
僕はアウレリオ准将の言葉に驚いて声を上げた。
ベタンクール都督が僕たちと一緒に帝国へ?
それに国を空けるなんて、とんでもない決断だ。
「ははは、もちろんさ。こちらが一方的に貸しを作ってるからね。これで貸し9つを3つくらいに減らしてもらうのさ。」
「いやいや、それにしても、ベタンクール都督が国を空けて大丈夫なのですか?」
僕の問いかけに、今度はシャルル王が答えてくれた。
「リクソンが不在の間は、プラティニ公爵が私を補助してくれることになっている。護衛にはティオフィル・アンリ司令官を派遣してくれるようだ。私もいつまでもリクソンだけに頼るわけにはいかないからな。以前から支援を申し出てくれているプラティニをもっと信じることにしたのだ」
シャルル王の言葉に、僕は少し安心したような気持ちになった。
彼も成長しているんだ。
王としての自覚をしっかりと持ち始めている。
そんな風に考えていると、ベタンクール都督が笑いながら肩をすくめた。
「そういうことさ。あと僕が帝国に行くのが帝国にバレたら国際問題だから、一護衛としてこっそり紛れるからね?僕のことはリックと呼んでくれ、ははは。」
「ははは〜じゃないっすよ……王国の最高軍事司令官が皇国の使節団に紛れて帝国に行くって破天荒すぎますよ。」
僕は呆れたように言ったが、リタさんの顔を見ると、彼女は何か面白そうなことが起こることを期待しているかのような表情を浮かべていた。
まさか、リタさんのことだから、本当に許可した理由は「面白そう」だけなのかもしれない。
「まぁ、少しの間だけど、シリュウ准将は僕の上司だね。頼むよ、先輩」
ベタンクール都督が冗談めかして言ってきたが、僕は即座に返す。
「こんな爽やかな笑顔の裏に、いくつも顔がありそうな後輩はいりません」
「ひどっ!」
リクソン・ベタンクール都督……いやリックも一緒に来ることになった。何も起きないといいけど……。
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ベタンクール都督改めリックを加えた僕たち使節団一行は王都ルクスルを出立し、艦隊が停泊しているルセイユを目指して出発した。
旅立ちの朝、王都ルクスルの街はいつもより静寂に包まれていた。
街中に漂う朝露の香り、淡い日差しが石畳の道を照らしている。
僕たちの行軍が広場を通り過ぎると、住民たちは遠巻きに見送っていた。
彼らの視線には敬意と期待が入り混じっているように感じた。
旗を振る子供たち、街の角で静かに手を合わせる老人たち、その一つ一つがこの国との別れを象徴していた。
リックが僕の隣を歩いている。
彼の足取りは軽やかで、何も気にしていないように見えるが、その目には深い洞察が光っている。
彼の存在感は、まさに戦場で数えきれない勝利を重ねてきた者のものだ。
それでも、彼は「リック」としての姿で僕たちに溶け込み、まるでただの兵士のように振る舞っている。
僕は彼の真意を測りかねていたが、それを尋ねるにはまだタイミングではなかった。
帰りは行きと違ってとてもスムーズに行軍できた。
行きは魔獣の突然の襲来で、足を止めざるを得なかったが、今は隊列は整然としており、僕たちはスムーズに進んでいった。
鳥のさえずりや風の音が心地よく、まるでこの地が僕たちの無事な帰還を祝っているかのようだ。
リック曰く行きの行軍中に魔獣が発生し、使節団の歩みを止めたことをシャルル王がタレイラン公爵を厳しく糾弾したらしく、僕たちの帰り道の魔獣掃討を4公爵家に命じたらしい。
帰り道が平穏だった理由は、シャルル王の厳しい対処にあったようだ。
王はタレイラン公爵を厳しく非難し、公爵家に魔獣討伐を命じた。
国の内部では力の駆け引きが常に行われているが、今回の件でシャルル王が自らの力を誇示し、タレイランを一歩後退させた。
国の統治者として、彼は確実に成長している。
それが、この道の平穏さからも窺い知れた。
しかしタレイランやピケティはもっともらしい理由で辞退したそうで、掃討はボナパルト王家とプラティニ公爵家、そしてポアンカレ公爵家が行ったそうだ。
タレイランやピケティの辞退は予想外ではなかった。
彼らはいつも自らの利益を最優先に考える。
しかし、ボナパルト王家とプラティニ公爵家、そしてポアンカレ公爵家が実際に動いたのは、少し驚きだった。
特にポアンカレ家。彼らが積極的に参加することは稀であり、内部で何かが起きたのかもしれない。
パオっち達の交渉がどう進んだのか、気になってならない。
この2日間はポアンカレ家に缶詰だったそうだから、まだ詳細は聞けてないんだよね。あとで船で聞こうかな。
船旅の時間はたっぷりある。
パオっち達と話す機会も十分にあるだろう。
彼らの表情や言葉から、交渉の結果や裏事情を探りたいと思った。
ポアンカレ家がどう動いたのか、その影響は僕たちの今後にも関わってくるだろうから。
そうして、その日の夕方にルセイユに到着し、ルセイユで一泊せず、そのまま僕たちは船に乗り込んだ。
ルセイユに到着した頃、夕日が海の向こうに沈みかけていた。港には活気があり、船員たちが荷物を運び出す音が響いていた。
港町特有の潮の香りが鼻を刺激し、風が僕たちの頬を撫でていった。
街の賑わいに後ろ髪を引かれる思いもあったが、僕たちは一刻も早く次の地へ向かう必要があった。
リタさんはできるだけ帝国での交渉日を確保するために早めに行動するのだそうだ。
リタさんの決断は的確だった。
時間は限られている。
帝国との交渉は一筋縄ではいかないだろうし、少しでも多くの準備時間が必要だった。
僕たちは余計な時間をかけず、すぐに船に乗り込んだ。甲板から見る夕日は、広大な海を赤く染め、まるで新たな冒険の幕開けを象徴しているようだった。
そうして僕たちは多くの王国民に見送られながら、夕焼けで赤く染まる海を出航した。
船が動き出すと、港に集まった王国民たちが手を振り、僕たちを見送ってくれた。
彼らの笑顔と声援が、次第に遠ざかっていく。海面に反射する夕日の輝きが、まるで別れを告げる光の道となって船を導いていた。
静かな波音が響く中、僕はその光景をぼんやりと眺めていた。
「王国か…次はまたいつ来れるかな」
僕が独り言のように呟くと、隣にいたビーチェが優しく笑って答えた。
「平和になったら、いつでも来れるじゃろうて」
ビーチェの声には、確信があった。
彼女は常に現実を見据えながらも、どこか楽観的な希望を持っている。
彼女の言葉には、どんな困難があっても乗り越えられるという信念が感じられた。
「そうだね。そうしたらまた来ようね。2人で」
僕はそう返したが、彼女の言葉には何か含みがあるように思えた。
「うむ。まぁその時は2人じゃないかもしれんがな…」
「…?」
僕はその言葉の意味がよくわからなかったが、ビーチェは幸せそうな顔をしていた。
彼女の視線は、遠く赤く染まった太陽に向けられている。何かを予感しているかのように、彼女の笑顔は穏やかで、静かな喜びに満ちていた。
赤く染まる太陽に向けて、僕らは帝国へと向かう。そしてその地で、歴史の転換点に立ち会うことになるのだ。
船の航海は、僕たちを次の運命へと導いている。
海の彼方に広がる未知の未来に、期待と不安が交錯する中、僕は胸の鼓動が少し早くなるのを感じていた。




