第84話 願い、届く
真面目な顔したビフィダは、それはもう無駄に凛々しく格好よかった。そう、無駄に、だ。
だってどれだけ格好よかろうと、見目が麗しかろうと、中身は筋金入りのド変態野郎。多少どころでなく見た目がよくても、この性癖の前には、無駄でしかない。まさに宝の持ち腐れ……と、考えたところで気づく。
(……いや待て。むしろ顔だけでも綺麗でよかったね、と言うべきなんじゃ……?)
この双子の唯一の取り柄。これくらいなければ、いよいよ救いがない。絶望しかない。
見たことのないビフィダの真顔に見下ろされ、しかしリコリスの思考はあらぬ方向へ飛んでいた。常にはなく醸し出される緊迫した空気も、目の前の男と真剣に向き合おうという気にはさせてくれない。
何故か?
決まっている。それがビフィダだからだ。
白けた視線をものともせず、悲痛に眉を寄せた変態がようやく口を開いた。曰く、
「兄さんばっかり虐めてもらってズルい!!」
(デスヨネ!)
それ見たことか。
真面目に取り合うだけ損をするのだ、この双子は。兄も弟も本当にブレないし、ろくでもないし、どうしようもない。
元より重々承知していたことだけれども。
隣の席からじわりじわりと冷気が漂ってきた気がして、相棒が血管が切れそうなほど苛ついているのが、見なくともありありと察せられた。
うっかり反応して罵りでもすれば、あるいは冷たく切り捨てたとしても、喜ばせるだけと理解しているからこそ、必死で苛立ちを押し殺して沈黙を保っているらしい。
対して、未だにクイーンに拘束されている兄の方はといえば、どこか不貞腐れた風情。
口も塞がれたままだが、やはり言いたいことは何となく分かる。そう言うなら代われ、だろう。あと、どうやらプライドが傷ついているようである。
(でも、無視されるのも嫌いじゃなさそうだったけどなぁ)
リコリスはと言えば、枯れた表情の下でそんなことを考えていた。
兄ばかり弄られているのを見てズルいなどと言うあたり、ビフィダは『直接>放置』らしい。だが、無視されて気持ち悪く身悶えしているところを、ゲームの中で見た覚えがある。
ということは、もしかしたら放置プレイには放置プレイなりの前置きや手順が必要なのかもしれない。「あえて無視されている」という実感が大切なのかも、と考えると色々納得がいく。
……何故だろう。
相手をするのが面倒で、つい現実逃避している内に、思いかけず変態の嗜好への理解を進めてしまった。当然全くこれっぽっちも嬉しくない。
嬉しくはないが、この際なので思惑に沿ってやってもいいか、と。何ということか、投げやりになった頭の一部が考えてしまった。
「ふう」
リコリスが些かわざとらしく息をつく。
目を伏せて、しかし口元は生温い笑みを描いて。聞き分けのない子どもを前に、「やれやれ仕方がないなぁ」とでも言うように。
そしてそれに合わせるように、動いた者たちがいた。
「ビフィダ様……、お寂しかったのですね」
「えっ」
するり。
白魚のごとき手が、興奮したまま立ち尽くしていたビフィダの頬を優しく一撫で。
「幼子のよう……」
「えぇ、本当に。ふふ、お可愛らしい」
「え、え?」
それまでとは全く違った意味で立ち尽くす男の左右に、白亜の美女が楚々と寄り添った。
双方とも慈愛に満ちた微笑をたたえ、険などどこにも見当たらない清らかな眼差しを、戸惑うビフィダに向ける。もちろん、リコリスのクイーンだった。
「さ、どうぞ?」
お座りください、と。倒されていた椅子を、更に背後に追加されたクイーンが支え起こす。それを受けて、左右のクイーンがやんわりと、あくまでも優しく丁寧に、ビフィダの肩を押した。
戸惑いからか、なすすべもなく座り直した男の頭を、クイーンの1人が撫でる。それも、いい子いい子と伝えるような優しい手だった。
『…………』
ビフィダは硬直。ライカリスだけでなく、リビダも絶句する気配がある。
そこには当然、クイーンの奇行の意味を問う空気があったが、リコリスはそれを涼しい顔で受け流した。
ややあって、どんどん縮こまっていくビフィダが、震える唇を開く。
「あの、リコリスさん……これは……」
「ん? 相手してほしかったんでしょ?」
頬杖をついたリコリスがにっこりと笑う。
「いえ、そうですけど、そうじゃないっていうか……これは違うっていうか」
「そう? でも、ビフィダのためのおもてなしだから、もうちょっと堪能してほしいなぁ」
「そ、そんなぁ」
落ち着きなく左右に視線を走らせ、居心地悪そうにするビフィダは無様だった。
それを鼻で笑ってやりたい衝動を抑え、リコリスは表面上は穏やかで他意のない笑みで小首を傾げてみせる。
その命を受けるクイーンたちも、主人に倣って清く正しくビフィダを構い続けていた。まあ、こちらは元々リコリスほど腹黒でもなければ性格が悪くもない(多分)ので、普段とあまり変わらないが。
ちなみに後日、真っ白美女なはずのクイーンに悪魔のしっぽが見えた気がしたと言ったのはリビダだった。
まるで聖母のようだったのに失礼なことだと、不満げに眉を寄せたリコリスに対し、「……リコさんの妖精ですから」とは相棒の言葉。どういう意味だと、笑顔で問い詰めてやりたくなるのは、もう少し先の話になる。
――それはさて置き。
(……この後どうしよっか。指輪の話には戻したくないし……ていうか、もう帰ってくれないかな。どっか棄ててきても戻ってきちゃうよねぇ)
警戒することしきりだった双子相手に、予想外に優位を取れたのは実にめでたい。
特にビフィダに関しては、何を嫌がるのか皆目見当もつかなかっただけに、勢いで実行した戦法が効果を出したのは幸いだった。
悔しそうな表情や困り顔を見られたのも、まあ正直に言ってちょっと楽しかった。
しかし、今この場でちょっとした勝利が得られたからといって、それがこの先も続くわけでなし、双子が面倒臭い存在なのも変わらない。何より指輪、もっと言えば左手の薬指に関する話を、双子の前で続けたくはなかった。
あれは繊細な話題だ。ライカリスとの今後を左右するかもしれない、大切な話。相棒にすらできれば教えたくない、教えるにしても細心の注意を払うべき事柄。
であれば当然、双子などの前でこれ以上口にはできない。
涼しげな笑顔と双子の拘束を維持したまま、リコリスは思案する。
やはり虫か何か小動物にでも変じさせ、頑丈なケージにでも詰め込んでしまおうか。否、それもいいが、いっそ蝙蝠様に……。
そうだ。以前、ライカリスが喰われた時のように、そのまま収納してしまえたなら。
給餌も楽そうだし、心身共にやたらと打たれ強い2人だから、健康面もさほど心配はいらなさそうだし。何ならソニアが帰ってくるまで……なんて。
これは思ったよりいい案ではないか?
そんな主人の自棄を感じ取ったか、さりげなく腰の辺りで身じろぐ気配があった。もしかして、試みてくれるのだろうか。
リコリスはちょっとばかり胸のときめきを覚え、顔は前に向け固定したまま、そろりとポーチに手を動かし、
「……っ?!」
そこで、大きく目を見開いて全ての動きを停止した。
「リコさん?」
「「??」」
心配と不審と、それぞれ違う意味をもつ訝しげな視線が3対。刺さってくるのを感じるが、リコリスは応えることができなかった。それどころか、表情も態度も、繕う余裕を失った。
声をなくし、役目を果たせなくなった唇が虚しく開閉する。同じく役目を忘れた瞼が、リコリスの新緑の瞳を一瞬も隠すことなく露にする。
(うそ……)
向かう目線の先。
クイーンに囚われたままのリビダの、その左手の薬指で、
絆の示す対の名が、その存在を白く主張していた。




