第77話 地雷が行く、最強への道
「……正直に言っていい?」
「どうぞ」
女神のごとくな微笑に、向き合うリコリスは真顔だった。喜ぶでもなく、嘆くでもなく。
ただちょっとばかり途方に暮れたような気配があったことに、気づけたのは隣のライカリスと腰の蝙蝠ポーチくらいだったかもしれない。
「えっとね、ジェンシャンは魔術師かなって思ってた。あ、決めつけとか、押し付けるつもりはないんだけど」
「うふふ。さすがリコリス様。私も途中まではそのつもりでしたのよぉ」
のほほんと、ジェンシャンが頷く。
「海の時、何かあった?」
ジェンシャンが何やら悩み始めたのは、あの海水浴の後からだ。
宗旨変えがいつであったかなど、さほど重要ではないと思いつつもそんなことを聞いてしまう。
そのあまり意味のない問いに、問われた方は首を横に振った。
「いいえ、特には。ただ……」
「――はっ、まさか!」
何か言いかけたジェンシャンの言葉を、しかし横から割り込んだ声が遮った。
「ファー?」
いきなり何事だ。
見れば、何故か愕然とした顔のファーが、あわあわと妙な動きをしている。
本人は大真面目なのだろう。表情からも分かる。分かる、が、やはり動きが愉快だった。
蛸壺から引きずり出された直後の蛸のようだ。何となく。
「どうしたんだお前」
「……大丈夫か?」
仲間の心配には応えず、ファーはジェンシャンの方へ身を乗り出し。
「まさか、俺と同じ職業になんのが嫌だったのか?!」
「ねぇよ」
「いてっ」
吐き出された深刻な叫び。そして、ツッコミ。
口で即否定しつつ、ファーの頭を叩いたのはウィロウだった。
「ったく、無駄に身構えちまっただろうが」
「本当にそうだな……ふぅ」
アイリスが同意し、安堵とも呆れともつかないため息を、食事途中の皿の上に落とす。
(うーん、さすがファー)
仲間たちは呆れることしきりのようだが、リコリスとしてはどちらかと言えばありがたいファーのズレっぷり。
本題に入る前の緊張を、意図せずほぐし……というか砕いてくれたのだから。
ただ一つ突っ込むとしたら、ジェンシャンは仲間をこんな風に不安にさせたりはしないだろうということ。
同じ職を厭うような性格ではないし、もし万が一そんなことがあったとしたら、この場では口にしないはずだ。
少なくとも、仲間にそうと気づかせて、気を遣わせるようなことは、きっとしない。
「だ、だってよぅ……」
「ファー、ジェンシャンが言ってるのはそういう意味じゃないから。安心していいよ?」
頭を押さえてしょぼくれる弟子に、リコリスがとりあえずフォローを入れる。
「不安にさせちゃったのねぇ。でも大丈夫よ、ファー。リコリス様の言う通り、それはないからぁ」
「そうですわよ。あなたと同じ職が嫌だなんて、ジェンシャンも誰も思いませんわ」
次いで、珍しく呆けていたらしいジェンシャンが我に返り、これまた珍しく含みのない微苦笑をファーに向けた。
似たような微笑みで、ペオニアも言い添える。
……が、そんな柔らかい空気は次の瞬間霧散した。
「そうだぜ。こいつに、他人に影響されて考えを変えるとか、んな可愛げあるわけねぇだろ」
「あー、我が道行ってんもんなぁ」
「否定できんな……」
「……ジェン姉さんだから……」
ジニアの呟きが空気に溶けるように語尾を弱くして消え、そして一瞬の間。
「――うふふふふ」
妖しげな笑い声が場を支配した。
姉妹、同僚の認識にジェンシャンがその笑みを切り替えたのだ。普段通りの、何か企んでいそうな含み笑いに。
「……言ってくれるわねぇ、あなたたち? 特にウィロウ」
「俺かよ」
「誰が可愛げないですって?」
「いや、だって……ないだろ?」
「ふふふ、本っ当に失礼ね。ふふふふふ……」
そんなことを言いながら、別に本気で怒っているわけではないのだろう。笑顔に宿る凄みは、彼女の演技力だ。
ウィロウも理解していて、さら~っと対応している。面倒臭がりだが、切れ者で意外と口が回るから、ジェンシャンと言い合いになるとまるで漫才のようで。
リコリスは激しさを増さない舌戦を眺めながら、隣のライカリスに身を寄せた。背を伸ばし、興味なさそうにしていた相棒の耳元にそっと囁く。
「……なんかさ、昔の私とライカみたいじゃない?」
仲がいいような、そうでもないような。狐と狸が化かし合うような。
役者も口調も当たり前に違うが、それでもなんだか懐かしい。
半引きこもりだったライカリスが、どういう訳だか小屋から出てきて、何を考えたのか王都に向かうリコリスについてきてくれた、あの頃。よくこんな、喧嘩にならないやり取りをしていたものだ。
モンスターがどうとか、戦い方がどうとか、お互いの態度とか。果ては、その日の夕飯やら、その辺に生えている草がどうこうと、ネタには事欠かなかった。
今になって思い返せば、当時の会話が懐かしく、新鮮だ。
現在のライカリスは、リコリスに目に見えて優しいから。昔のように、ツンツンの中に分かりにくい優しさを探す必要がない。
アレはアレで良かった、とリコリスは思うのだが、どうやら相棒は違うらしい。
リコリスの囁きに、渋い顔で視線を逸らした。
「……似て……ませんよ? というか、あの頃のことは忘れていただけると助かるんですが……」
「え~?」
いわゆる黒歴史というやつか。
昔の、リコリスに対する言動を語られると、ライカリスはいつもこんな、渋柿でも食べたような、微妙な表情になる。
その気持ちが分からないわけではないが。
(……でもね)
リコリスは口元を緩める。
「あの頃のライカも好きだよ、私」
どれだけ分かりにくくても、何だかんだで結局は優しかった。
厭う気にはなれない。
「えっ、……あ、いや、それは、でも……」
「まぁ、今はもっと好きだけど」
「……っ」
意識せず、するりと出てきた本音。
(最初はあんなに怖かったのになぁ)
いつの間にか怖くなくなって、でも苦手は苦手で。苦手意識がなくなってからはひたすら面倒だった。
気難しくて、意地っ張りで、変な所で手間のかかる人。……これはお互い様かもしれないが。
それが今では、「好き」の意味まで変わってしまった。
何故か黙ってしまった相棒を不思議に思いながらも、リコリスはしみじみとそんなことを考えてしまう。
とはいえ、そうじっくり感傷に浸る場面でもない。
今重要なのは、大事な弟子の行く末だ。
あれこれ思考している間にも、目の前の戦いは相変わらず、高くもなく低くもないテンションで続けられている。大声での罵り合いでもないのに、妙にテンポがよすぎて、割って入りにくい。
さて、どうやって止めようか。
「――大体、私が他人に影響されないなんて、どうして思うのかしらぁ」
「普段から我が道行ってる奴が何言ってんだよ……」
「うふふ、それがそうでもないのよねぇ」
「はあ……?」
訝しげなウィロウに意味深に微笑んで、ジェンシャンの視線が移動する。真っ直ぐに、ただ一点を目指して。
「あ? ……あー」
ジェンシャンの視線を辿って、それまで一貫して投げやりな態度だったウィロウの表情が緩む。「そういうことか」と小さな呟きが吐息混じりに落ちた。
「ん?」
いまのところ今まで止めよう止めようとしていたはずなのに、一転。
気がつけば、その場の全員の視線がリコリスに向いていた。黙ってしまっていた隣の相棒からも見られているのが分かる。
「えーと」
周囲を見渡し、最後に柔らかい笑みを浮かべたジェンシャンと目線を合わせる。
(それはつまり……)
この話の流れと周囲の反応から自惚れではない、……だろう。多分。
リコリスが理解したことを察したのだろう。
ジェンシャンの笑みが一層深くなり、形のよい頬が薄らと染まった。それはそれは、嬉しそうに。
「ずっとリコリス様に憧れていましたわぁ。――あなたの、強さに」
「…………」
リコリスは咄嗟に応えられず、複雑に口を閉ざす。
レベル、装備、妖精、リコリスにだけ見えているらしい、ゲームのシステムの応用。彼女が周囲の人々に見せてきた強さとはそれくらいだ。リコリス自身は本当に弱い。
未だに記憶は不完全で、それどころか実際には存在すらあやふやなままで。それを必要以上に悲観するつもりはないが、自分は強いと自信をもつことには抵抗がある。納得がいかないと言うべきか。
今の「リコリス」があるのは、恵まれた縁のお陰。相棒に、妖精に、弟子たちや町の人々に、そして、今はいない友人たちに。散々迷惑をかけ、助けられて、ここまでやってきた。やってこられた。
それを強さと言うのだろうか。
他者の、こんなにも真っ直ぐな憧憬を得るほどに?
(い、居たたまれない……)
あと、仄かに照れくさい。
嘘偽りない眼差しを受け止められず、リコリスは目を伏せ、周囲に気づかれないように小さく深呼吸をする。
それから意を決して、静かに師の判断を待つジェンシャンに向き合った。
「ジェンシャン」
「はい」
ゴクリ。そんな固唾を呑む気配がジェンシャン以外の弟子たちからあった。
当人よりもよほど緊張しているらしい。
「えっと、そういうことを言ってもらえて、う、嬉しいんだけどね」
「はい」
にっこり。
曇りない笑顔に促され、リコリスは言葉を繋ぐ。
「ん~……、と。はっきり言うと、妖精師は物凄く扱いづらいの。それはもう、物凄~く」
正直に、正直に。
「何が扱いづらいって、ある程度まで鍛えないと、ほぼ役立たずなのね。妖精のお陰でかろうじて足手まといにはならない、くらいかなぁ。それで、そのある程度になるまでが、他の職の倍以上の時間と手間がかかるんだけど、ある程度になってもその程度? っていうか……」
妖精師の最大にして唯一の特徴と言えば、やはり妖精。
しかし、その妖精も召喚できるようになってすぐはどうにもひ弱な存在だ。
初召喚時の妖精のレベルは50。つまり職業選択の解放に揃えられているのだが、これがまた弱いこと弱いこと。
妖精師を選択した瞬間から、その先のステータスの成長が小さく、レベルを上げても大して強くなれない役立たずの召喚主に、育たなければ格下の雑魚にも劣る妖精。
その上、取得できる経験値は、妖精師とその時に喚ばれていた妖精とで分けられるものだから、とにかくレベルが上がりにくい。育たないと戦えないのに、これがなかなか育たない。
レベルが上がり、喚び出せる数が増えればまあまあ戦えるようにはなるが、経験値はその人数割だ。
他職のプレイヤーたちが順調にレベルを上げ、狩り場の面子はどんどん入れ代わっていく。それを横目で見送りながら、ずっと同じ場所で、延々同じ敵と。
そんなことを、ひたすらひたすら繰り返す。妖精師とはそういう職業だった。
(私はまぁ、そういうのちょっとは平気だったし、何よりライカがいたし……)
他の妖精師よりは遥かにマシだっただろう。
そろりと隣を窺えば、苦楽を共にした……というか、巻き添えで一方的に負担を強いてしまった相棒と目が合い、複雑な視線が返された。
ライカリスは、リコリスの役立たずっぷりを、一番よく知っている。
(相当迷惑かけてたからなぁ……あぁ、申し訳ない……)
当時のライカリスは口を開けば文句文句の嫌味嫌味だったが、それでもリコリスに付き合ってくれていた。
否、最初は何かしらの用事で側を離れることもあったのだ。しかし一度、帰ってきた彼を、地面と仲良くなったリコリスと妖精が出迎えるという悲しくも間の抜けた出来事があってからは、戦闘中彼女の近くを離れることはなくなった。
ゲームでのストーリーやイベントではない。この世界で昔、リコリスの身で経験したことだ。
(すっごい嫌そうな顔されたけど)
もちろん態度にも、言葉にも存分に現れていたけれど。
でも、心配してくれていた。
それに、リコリスよりも先行していた親友も、ちょこちょこ顔を見せてくれていた。「まだこんな場所にいるの? 随分ゆっくりしているのね!」なんて高飛車に言いながら、そのたおやかな手には大量の薬品や、食材の差し入れを持って。
他の数少ない友人たちも同様だ。冷やかしに、手伝いに。各々、限りなく自由でありながら、リコリスのために時間を割いてくれていた。
だから、少なくとも寂しさを感じることはなかった。
――それでも。
それでも、だ。
あの頃を思い返せば、倦怠感と諦めと虚しさとが脳裏を過る。
リコリスがどれだけ他者との縁に恵まれていたのか。よく分かっているからこそ。
もちろん、ジェンシャンがそうではないということではない。
主人であるペオニア、姉妹であり同僚でもあるアイリス、ジニアはいつだって彼女を助けるだろうし、支える手を惜しんだりはしないだろう。
チェスナットたちも同じだ。助け合うことを拒むなど考えもしないだろう。それだけの関係を築いてきたのを、よく見てきた。リコリス自身が、その輪の中に入っているつもりもある。
ライカリスとウィードは………………まあ、その分、リコリスが補うとして。
ただ、そこまで条件が揃っても、その先に待つのが挫折でないとは言い切れないから難しい。
諦めずにいられた妖精師の数は、片手の指で足りるどころか余る。しかも、リコリスを含めてだから、他職と比べるまでもなく圧倒的に少ない。
それ以外の妖精師の末路も、よく知っている。
パーティーにも歓迎されず、仲良くなったプレイヤーにも置いていかれ、立ち居かなくなって心折られ。
ある者はゲームにログインしなくなり、ある者は新規でキャラクターを作り直した。それが、ゲームでの話。
現実のこの世界ではもっと容赦なく……。
(……ま、今はそれ関係ないか)
掘り返された残酷な過去を、リコリスはそっと振り払う。
ジェンシャンは元々こちらの住人。関係がない。幸いなことに。
ともかく、今重要なのは、そんな苦行を大事な弟子に強いてもいいのかということだ。
本人の選択てはいえ、職業は一度取得してしまうと後々の変更はできない。
果たして、どこまで干渉していいのか。そもそも口を出すべきではなく、任せるべきなのか。あるいは、もしかしたら、ジェンシャンなら。
頭の中はぐるぐると思考が渦を巻き、しかしそれを押し隠して、リコリスは説明を続けた。
「確かに、最終的に一番強いのは妖精師だとは思うよ。ただ、最終段階まで進める人がほとんどいない。だから私たち牧場主の間では、妖精師は究極の大器晩成型って言われてる。一番不人気職なのもそのせいかな。手っ取り早く強くなるっていうのができないから」
言いたいことは言った。
そこで一旦言葉を切って、リコリスはジェンシャンを見つめた。
いつもの笑みは既にそこになく、師の声に真剣に耳を傾けている。先ほどから一度も逸らすことのない瞳には、一見して一欠片の動揺もなく静かなようであったが、実は期待と不安を多分に含んでいるのが分かった。
「それでもね」
「……はい」
弟子が頷くのを見て。
それから、最後の言葉はゆっくりと、
「今の話を聞いて、まだ妖精師になりたいなら。もう少しだけ……せめて秋が来るまでは考えて、それでも迷いがない、考えが変わらないっていうなら」
噛みしめるように。
「――私が、あなたを妖精師にしてあげる」




