第60話 華やかで不吉な海計画
その日の夕食は、ウィロウの好物だというオムライスになった。もちろん、レベル50達成祝いである。トマトの美味しい季節、手間はかかるがケチャップも手作りだ。
それに茄子やズッキーニを使った夏野菜のサラダと、オニオンスープをつけた。サラダはペオニアの担当だ。
最初の頃は必死の形相だった彼女も、最近では料理を楽しいと言えるだけの余裕が出てきたようだった。包丁はまだ、若干の危うさを残しているが、嬉しそうに鼻歌交じりに作業する姿は、隣にいるリコリスも楽しくさせてくれる。
それらを人数分テーブルに並べて、その後もいつも通り。皆で食卓を囲み、賑やかな夕食の時間。
「う、うめーっ」
「そう? よかった」
「この焼いてあるサラダも美味いなぁ」
「ふふ、ありがとう、ファー」
ペオニアが嬉しそうに頬を染めた。
惜しみなく賞賛の声を上げてくれるのはチェスナットとファーで、肝心のウィロウはといえば、黙々と、しかし誰よりも早くスプーンを動かしている。ボロボロにくたびれてはいるが、何となく幸せそうに見えた。
皆と会話しながらも相変わらず優雅に、品よく食事をするペオニアの足元では、ウィードもまた、オムライスを齧っている。特別に、犬用にだが味を整えて作られたオムライスを前に、何となくだが、いつもよりリラックスしているようで。
――やはり、ちょっとずつ変わってきている。
ウィードへの今後の対応をどうすべきか。そんなことを考えつつ、自分も順調にオムライスを片付けていたリコリスは、ふと壁の方へと視線を移した。
リコリスの席の向かい、冷蔵庫の横にはカレンダーが掛かっていて、過ぎた日付には赤いマジックで斜線が引いてあった。
今日は夏の2番目の月の89日目。明日が、この2番目の月の最終日になる。夢に見る過去を考えなければ、この世界に来てようやく1ヶ月が過ぎようとしていた。
(……夏の2の月のラスト、かぁ)
また一口オムライスを口に運びながら、リコリスは少し考え。それから静かにスプーンを置いた。食事に勤しむ弟子たちをざっと見渡して、口を開く。
「明日、皆で海に行こうか」
リコリスの唐突な発言に、当人とライカリス以外の全員がきょとんとして食事の手を止めた。
「えっ?」
という、気の抜けた声はペオニアのものだったが、それは同時に弟子たち全員の心境の代弁でもあり。確かにいきなりであったし、無理もないとは思うのだが。
7人と1匹分の視線を受けて、リコリスはにっこりと微笑んでみせた。
「遊びに行こう?」
「えぇと……随分急ですけれど」
「そうだね。うん、でも、明日がいいな」
戸惑う様子に、振り回してしまって申し訳ないとは思う。……が、重ねて申し訳ないことに今更と諦めてもらうことにしよう。
夏の2番目の月の最終日。どうしても海に行きたかったのだ。
そうして、揺らぎないリコリスの笑みを確認した弟子たちは、もう明日の予定は決定したのだと理解したらしい。困惑は、じわじわと休日への喜びに変化しつつあった。
「皆で、ですか?」
控えめな問いは、またペオニアから。その視線は、足元のウィードに向かう。
その意味を読み取って、リコリスもまたウィードに目を向けた。
自分は関係ない話とでも思っていたのか、突然注目されたウィードは体を強張らせてピンと耳を立てた。だがペオニアに優しく頭を撫でられると、抵抗することなく立てていた耳を倒す。
(懐いてるなぁ……)
予定通りだが、予想外だ。
元々、無駄に高いプライドごと心をへし折って、そこに付け入る作戦だったとはいえ、ここまでとは思っていなかった。というよりも、もう少し抵抗があるかと考えていたのだ。
ウィードに根性がなかったか、鞭にも飴にも効果がありすぎたのか。後者だろうなと、リコリスは思う。
リコリスを始め、全く加減するつもりのない面子のウィードへの仕打ちはそれだけ凄惨であったし、その分、何も知らないペオニアや、善意と無垢の塊である家妖精たちの優しさには抗えなかっただろう。
変わってくれればいいと思っていた。自分が何を言い、何をしたのかを理解して、考えを改めてくれるなら、と。
しかしそれは本心であると同時に、建前でもあった。どうしても許せないという怒りとも憎しみともつかない感情もまた、リコリスの中に存在しているから。ウィードへの仕打ちは、そこに起因しているのだ。
目に見えて変わっていくウィードを冷静に受け入れようとする心と、大切なものを傷つけられた恨みはリコリスの中で入り混じって、なかなか複雑な心境を作り出していた。
だが、それでも、変わっていくならそれに合わせるべきなのだろう。
「んー、それはもちろん」
傍目にはリコリスはいつも通り、悪戯っぽく笑っているように見えるのだろう。
この葛藤を表に出すことはできない。少なくとも、今はまだ、ウィードが変わっていく途中だからこそ。
口元に手を当て、目線をウィードからペオニアに戻すと、期待と不安に揺れる彼女に笑いかける。
「――ウィードも一緒に。世話は、悪いけどペオニアに任せていい?」
「! え、えぇ、はい。もちろんですわっ」
ウィードが懐き、気を許しきっているのと同じように、ペオニアもまたウィードを気にかけている。ウィードに留守番を言い渡せば、自分も残ると言い出しかねないこともあり。
また、反抗心の薄れたウィードへの、リコリスなりの、精一杯の歩み寄りの意味も込めて。
それから、微笑みはそのままに、リコリスはさっとジェンシャンとウィロウに目配せをする。
ウィードの正体に気がついているであろう2人は、それだけで意味を理解したのか、小さく苦笑してみせた。察しが良くて非常に助かる。
ついでに無駄だろうと思いつつ隣の相棒を確認すれば、犬のことになど興味ないという態度で、黙々と食事を続けていた。
「よかったですわねぇ、ウィードちゃん」
そんなこんなの、腹に一物抱えた連中のやり取りには欠片も気がつくことなく、ペオニアは心から嬉しそうに微笑んで、ウィードに手を伸ばした。
まさかこんな展開になるとは思ってもいなかったのか、驚いてまた固まってしまったウィードの頭をペオニアの手が優しく宥めるように撫でる。そうしてまるで自分のことのように嬉しそうな彼女を前に、信じられないことが起きた。
「!」
ぱたり、とウィードの尻尾が一振り。それからまた一振り二振り。
派手な動きではなかったが、それは確かに、本物の犬が喜びを示す時の尻尾の動きだった。
(い、犬……?!)
まさか、人として変わってきたというより、犬として従順になっただけなのか。犬化が進んだだけなのか。
リコリスと同じように決定的瞬間を目にしたらしいジェンシャンは、何やら口元をピクピクさせ、肩を僅かに震えさせているし、ウィロウは何とも同情的な目をウィードに向けている。ただ、そのどちらにも蔑むような気配はない。
これも進歩といえば進歩……かもしれない。
(いや、まぁ、犬になったらそれはそれでって、思ってたけど……)
実際そうなってみれば、それもそれでどうなの。
犬の姿にした張本人であるリコリスが言うのも、理不尽な話なのだが。
何となく微妙な気分になって、リコリスはウィードからそっと視線を外した。
「……えーと。じゃあ、朝はサンドイッチ作って、早めに牧場出て。お昼は海で獲れたもの調理して……夜は鍋とか?」
考えるのをやめ、リコリスは話を戻す。
そこでふと、海に行く上で重要なことを思い出した。
「あっ。水着も選ばないと」
「私、水着持ってませんわぁ」
「あの、私も……というか、誰も持っていないのでは」
残念そうに小首を傾げたジェンシャンの後に、アイリスが続く。
確かに、スィエルの町に来た事情が事情なだけに、水着など所有していないのも頷けた。
だがそこはリコリスが容易に解決できることだ。
「大丈夫。私、いっぱい持ってるから。選び放題だよ。ペオニアも、肌あんまり見せないようなデザインあるからね。ワンピースみたいになってるの」
「まぁ、そうなのですか」
リコリスが過去集めたコレクションの一部で、買ったの物もあれば、リコリスが作ったものもある。過去のイベントで手に入れた限定品も少なくない。
とにかく数も種類も豊富だから、ペオニアが着られるようなタイプももちろんいくつかある。
水着の話題に少々不安そうだったペオニアも、それを聞いて安堵の表情を浮かべた。
「これ食べ終わったら、皆で選ぼうか。可愛いのいっぱいあるんだ~」
「まぁ、それは素敵ですわぁ」
「あの、私はあまり可愛らしいのは……」
「シンプルなのもちゃんとあるよ、アイリス」
「さ、サイズ、とか……」
「それも色々あるから大丈夫だと思うよ」
「……よかった」
姉であるジェンシャンの胸部をチラリと横目で窺い、それから自身の体を何やら切なげに見下ろしたジニアに、リコリスは苦笑する。
比較する相手が間違っているのだ。ジェンシャンと比べられたら、誰も彼も切ないことになるではないか。
「た、楽しみですわ。わたくし、水着を着たことがありませんから」
「あ、やっぱりそうなんだ?」
「ええ。そういった機会がなくて」
「そっか。ふふ、気に入るのあるといいなぁ」
そうして華やかな盛り上がりを見せる女たちの横で、ライカリスが何か言いたげな目でリコリスを見ていたわけだが、気づかれることはなく。
「……はぁ」
やがて彼はそっと、物憂げにため息をついた。
そんなライカリスを更に物言いたげに、しかし何か言おうものなら……という多大な緊張感を孕んで見つめているのが、残りの男たちと犬だった。
いつの間にやら、オムライスだけはしっかりと片付けて、ウィロウの後ろに避難しているつもりらしいウィードも含めた、怯える男たちが何が言いたいのかといえば、
「師匠の水着なんか見たら、俺ら今度こそ殺されるんじゃね? ていうか殺されるよな?」
……なわけだが、それを口に出せるはずもないわけで。
結局は己の死期を悟りながらも、ただただ身を寄せ合い震えることしかできないのだった。




