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第3章 流浪の果て(11)

「お父様、わたしを東へ行かせて下さい。……境界より東の地へ」


 自らの父を目の前にしてマリーはただ一言、そう言った。


 マリーの実の父親であり、同時に西側の地に住まう人々の砦、アドルフ・オーウェンは蔦緑の家から侵入者によって連れ去られ、帰還したばかりの娘を真っ直ぐに見つめていた。


「……わたしはシンを護りたい」


 静かにそう口を開いたマリーに、アドルフは厳しい表情を見せ、大きく首を横に振った。


「何を言っているのだ、お前は。……到底自分がどういうことを言っているのか、理解出来ていないとしか思えぬ。奇蹟的に生還しながら、あえて自ら東に赴くなどと……」


「それはシンがわたしを殺さなかったから……わたしはあの時死んだのよ」


 父親の言葉を遮るように、マリーはそう言った。


 アドルフはその言葉に、普段の柔和な印象からは考えも及ばぬような、恐ろしい形相を見せて怒鳴った。


「過去の記憶に、何時までもこだわり続けているのならば忘れることだ。十二年という歳月は長い、何もかもを変えてしまう程に……。シン・カルヴァートは今やヴィルヘルム・クリューガーの事実上の後継者とまでなった者。そんな人間をむざむざ生かしておける筈などない」


 アドルフは自らの内に沸きあがった衝動のまま、壁に拳を叩きつけた。


 マリーは微かに俯き唇を噛み締めたまま、アドルフのその言葉を聞いていた。


「そう……誰にも分かるはずなんかない。あの人がどれだけ苦しんでいたかなんて……何時もあの人の眼には闇があった。それがどういうものかを知る度に、わたしは胸が張り裂けそうだったわ。そうしなければ、シンは生きられなかったのよ……。確かに変わってしまったのかもしれない。……けれどそれならばきっとわたしも同じはず」


 そう言ってから、マリーは片手で自らの胸元に下げられた、硬い鉱石に祈るように触れた。


 息を荒げたアドルフの前で、マリーは意を決したように潤んだ両眼を上げた。


 娘の表情の変化に、一瞬躊躇したようなアドルフの目の前で、マリーは残されていた片手に掴んでいた布にくるまれたものを持ち上げた。


 それを丁寧に包んでいた柔らかな布は取り去られ、音も無くマリーの足元へと落下していった。


「……」


 驚愕の余り、言葉を失ったアドルフの前に現われたのは、鈍い光を放つ銀の銃身。


 マリーはゆっくりとその銃口を実の父親に向け、口を開いた。


「お父様はこの国の人達を護ればいい。……でも、あの人は誰かが護らなければ殺される。何も出来ないかもしれない……。でも最期はあの人の側にいたい。わたしはもう決めた。……行かせて下さい」


 無言のままのアドルフに銃口の先を向けたまま、マリーは数歩後ずさりながら、部屋の扉に手をかけた。


 その時、思いがけずマリーの背後の扉が開き、一人の青年の声がした。


「……『彼』のもとに行け、マリー」


 青年ディルクの言葉に、アドルフが驚いたように叫んだ。


「ユンカー、何を言っている! 」


 ディルクはマリーの腕を強く掴むと、強引にそのまま部屋から外へと連れ出した。


 戸惑った表情のマリーに、ディルクが言った。


「『彼』は自分の全てと引き換えに、あなたを守った。だから行かせる」






 銀の銃身を手にしたまま、マリーは屋敷の外へ走り出た。


 その時、マリーは聞き覚えのある人物の声を聞いた。


「……お嬢様! 」


 自分を追いかけてきたらしい声の主シェリルの姿に、マリーは力を抜いて急にその場に立ち止まった。


「ごめんね、シェリル……」


「私も参ります。連れて行ってください。こう見えても馬車なら扱えるんです。お嬢様、私を……。今度こそお力になりたいんです。自分自身が後悔したりしないように」


 シェリルのその言葉に、マリーはあっけにとられたような顔をした。


 マリーの表情を見たシェリルは、にっこりとして更に言葉を続けた。


「こんなこともあろうかと、少し離れた場所に馬車を用意してあるんです。さあ、参りましょう」


 シェリルが語った意外な言葉に、マリーは驚きを隠せぬ表情で立っていたが、丁度、その時、背後から追いついたらしいディルクがシェリルに言った。


「俺はこの先は行けない。あの様子ではおそらくアドルフ様はマリーを追わせるだろう。シェリル頼む」


 シェリルが真剣な眼差しで頷くのを見届けると、ディルクはマリーの方を見やった。


「これでお別れです。俺はここに残るが、何時か話した通り、いずれ必ずこの国を変えてみせます。あなたを長く失望させてきた、歪んだもの全てを終わらせるために」


 ディルクは真っ直ぐ前を見据え、はっきりとした声でそう言った。

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