第3章 流浪の果て(10)
再び、部屋に一人残されたマリーは力無く椅子に腰掛けたまま、改めて部屋の中をゆっくりと見回した。
目の前にあるのは、記憶の中の姿と寸分変わらぬ光景。
マリーは今、確かにその場所にいた。
二度と戻ることなど有り得ぬと、離れた筈の地。
確かな現実を目の前にしながらも、マリーはそれに対して拭い去ることが出来ない違和感を感じていた。
そこは記憶の中に刻み込まれた姿、そのものであるというのに。
その場所はマリーにとって、自身の在るべき場所ではなかった。
自分の心は、もうそこにはなかった。
そのことが痛い程マリーは分かっていた。
十二年という気の遠くなるような歳月の中、死んだような心を抱え、同時に常に自らを欺き続け、知りたいと望んだ真実を曖昧にしながら過ごしていた。
瞼を伏せると、脳裏に幼いあの日の記憶が蘇ってくる。
すべての発端となった日。
不安という名の感情に襲われながらも、ひたすら、たった一人の少年を待ち続けた。
そうして幼い自分は、心の内に湧き上がった、説明の出来ぬ感情にただ、怯えながら。
約束は叶えられ、裏切られることなど決して有りはしないのだと信じるが故に……。
疑うこと無く、そのことを信じていた。
だが現実には自分が信じていたはずの世界はあっけなく破壊され、その時生じた歪みによって、ひとつの願いが生まれた。
だが、その願いはどんなに懇願しようとも叶えられることは無かった。
その中で、どれ程焦がれようとも、決して手に入らぬものがあるのだということを、思い知らされた。
あの日以来、単純な感情の中、自分は随分と長い間遠回りをし続けた。
―常に願いはひとつだけであったというのに。
そのたったひとつの願いの為に、わたしは生きたい……。
自分の心はもう決まっていた。
マリーは閉じられていた両眼を開き、目の前の机に置かれ柔らかな布にくるまれたものに手を伸ばした。
硬く、その重さがマリーの腕に伝わる。
マリーの指が、結わえられた布をゆっくりと解いてゆく。
幾重にも重ねられた布の中で沈黙したそれは、マリーの手の中で姿を現した。
「シン……」
眼裏に蘇るその名を、囁くようにもう一度口にする。
それからマリーは、目の前に現われた銀の短銃を取り上げると、両手で包み込み抱きしめた。
温もりなど感じられぬ筈の冷えた銃身が、マリーの体温でほんの少し熱を帯びたようだった。
漆黒の髪の青年自らの手により、砂の大地に堕とされ放棄された銃身。
マリーはこれまで一度たりとも決して触れることがなかったそれに、迷うことなく手を伸ばした。
捨て置くことなど出来るはずもなかった。
それはあの青年の歪められ続けた時間そのもの……その化身。
彼の人物の罪が刻み続けられ、同時にその身を護り続けた。
そうして最後の完成させるはずであった、たった一人を撃つことが出来ぬまま、捨てられた存在。
銀の銃身を携えた青年は、マリーの姿を目にする度に、常に苦しそうな眼を向け苦悶の表情を見せた。
それがどういうものであったか、何を意味するものなのかを知らぬままで構わないと思っていた。
少なくともあの時までは……。
だが、あの時……銃を下ろした漆黒の髪の青年の口から、力なく発せられた言葉がマリーの意志を揺ぎ無いものとした。
―そうしてもうひとつ。
古びた革紐に結わえられた、小さな鉱石の結晶をマリーはそっと首から外した。
両の掌に水晶片を包み込み、マリーは祈るようにもう一度目を閉じた。
上手く言えるだろうか、今度こそ伝えたいのだと、心の奥で騒ぐ声が響く。
もう離れたくない。
―わたしは自分の失くした心を取り戻しにゆくのだから……。
ちょうどその時、部屋の扉を叩く音が静寂を破るようにして響き渡った。
「……お嬢様、旦那様がお戻りになられました」
既に闇の帳に包まれたような暗い部屋の中で、マリーはゆっくりと立ち上がった。
自らの首に、小さな鉱石の結晶が結わえられた古びた革紐を掛ける。
更に、柔らかな布に丁寧に銀の銃身を包み直し、それを手に取った。
見えない力が、マリーの背を押していた。
前へ前へ進めと……。




