第3章 流浪の果て(2)
兵舎の中にある自室に戻ったシンは後ろ手にドアを閉め、狭苦しい部屋の壁に背を預けた。
塗料が所々剥げかかった壁は、薄汚れて冷え切っていた。
―何時かその日は来ることは、分かりすぎる程に分かっていた。
伸びかけた闇を思わせる前髪が揺れ、腰に無造作に手を伸ばすと、すぐ慣れた固い感覚にぶつかった。
日当たりの悪い薄暗い室内にあって、銃身はそれでも僅かばかりの鈍い光を帯びていた。
「護り、か……」
シンの口から、独りでに呟きが漏れた。
脳裏に自身の手を離れた、あの小さな欠片のことがよぎった。
何度あの水晶を、捨てることを考えただろうか。
その輝きは常に、捨て去った筈の記憶を蘇らせた。
これまで自分が手に入れたのは、銀の短銃と僅かばかりの金銭のみ。
それ以外には、何も有りはしなかった。
何も望まなかったという方が、正しいのかもしれない。
それでも構わなかった。
自分は財にも地位にも、まるで興味が無かった。
過ぎ去った歳月を、振り返る気にはなれない。
自分の中の何かが歪み始めたのは、あの深い青の両眼の娘が目の前に現われてからだった。
正直、それを認めたくはなかった。
そんな筈はないのだと……。
何より命ぜられるまま、あの娘を此処に連れてきたのは他ならぬ自分自身ではないか。
―もう迷いは、ない。
そう思いながら、シンは指先に力を込め、銀の短銃を強く握り締めた。
今日も一人きり寝台の中で、マリーは眠りから目覚めた。
ここに連れて来られてからの、日数の勘定をやめてしまってからもうどのくらいが経っただろうか。
所詮意味の無いことであったし、それが何処まで続くかという保証もなかった。
約束された未来など、どこにも有りはしないことはもう分かっている。
ただ指を伸ばして、首に掛けられたままの古びて擦りきれかけた革紐の先を辿ると、その先にぶつかる硬い感触に触れた時だけは、それが幻ではないことに安堵を覚えた。
約束されるものは何も無いが、確かにその石はそこにあった。
偽りなどではない。
その欠片は光にかざすと、何色もの光を放つように見えた。
まるで虹のかたまりのようだった。
時折マリーの瞳と同じ、深い青い光を放っているようにも見えた。
マリーはその石に、細いしなやかな指でそっと触れて、眼を閉じた。
「わたしの存在はあの人を苦しめることになるのかもしれない。……それでも側にいたい」
マリーは小さくそう呟いた。
そうして細い指先で革紐を手繰り寄せ、その先に結わえられた青水晶の欠片を服の内側に大切にしまい込んだ。
―これでいい。こうしておけば、誰の目にも触れなくて済む。何かのきっかけでシンがこれ以上疑われることはないだろう。
それだけはどうしても避けなければならないと、マリーは感じていた。
草原に残してきた者達のことを思う時、自分自身を疑いたくなった。
目の前で無残に命を絶たれた者達の亡骸を、自分は確かにその目で見た。
だが、あの青年の影が常に自分の脳裏から離れることがない。
両親は自分達の娘のことを、あの日を境にして壊れたのだと恐れていた。
事実壊れたままで、更にそこには狂いが生じたのかもしれない。
それでもあの青年の姿を思うその度、止まらない嗚咽。
誰にも知られないようにと、寝台に顔を押し付けたまま、ただその一人を思って泣く自分を……。
それ以外には何も感じない自分を……。
何も映すことがなくなったような、闇の両眼を思う度。
手の届く程の距離でありながら、それは現実にはどこまでもどこまでも遠いままだった。
懇願してしまいたくなる。
声と、その眼と、その全てに。




