第2章 護り石の再会(10)
―その光景を前にして、蔦緑の家に雇われた大勢の使用人達は、皆呆然としたまま、ただ立ち尽くしていた。
彼等の目の前には、正常な思考回路において理解し得るものなど、何ひとつ存在してはいなかった。
突如、複数回に渡り屋敷内外から響き渡った、決して耳にする事が無い筈の銃声と共に放たれた銃弾は、次々に顔馴染みの三人の人間の生命を奪っていった。
無残な姿を晒した犠牲者達の亡骸の前には、銃を構えた姿の複数の東の軍属の男達が立っていた。
その衝撃的な事実を目の当たりにしながらも、屋敷の者達は皆、突如自分達に降りかかった苛烈な現実を、そのままの形で正常には認識出来ず、まるで夢幻に捕らわれているかのような、奇妙で場違いな錯覚さえ覚えていた。
これまで何時終るやもしれぬ東西の緊張状態が、長い歳月の中で継続されてきた。
その事実は誰もが知り得、又、認識もしている。
だが、それがこの屋敷の中では、あたかも絵空事であるかのように取り扱われて続けてきた。
それ程にこの地は常に隔絶されており、平和で有り過ぎた。
だが、これまで過ごしてきた平穏な日々は完全に破られ、それがもはや取り戻す事自体が不可能であることを、目の前の犠牲者達が無言のまま物語っているかのようだった。
蔦緑の家の風雅さと威厳を兼ね備えた正面玄関付近には、男女一人ずつの使用人が、うつ伏せの状態で息絶え倒れていた。
両者共に頭部を撃ち抜かれ、目を見開き、顔を引き攣らせたまま絶命している。
その前に冷徹な眼差しを周囲に向けた、一人の漆黒の髪の青年が立っていた。
屋敷の令嬢マリーが、侍女シェリルの制止を振り切って、その場所へと駆けつけた時には、全てが終結した後だった。
「ヴィルヘルム・クリューガーの命により、マリー・オーウェンを連行する。抵抗するものがいれば容赦なく殺す」
屋敷内にいる者達全員をぐるりと見回し、銃を手にした青年はそう言い放ちながら、鈍い光を放つ銃口をマリーへと向けた。
居合わせた者達が、皆、一様に息を呑んだ。
「……何時かこんな日が来るかも知れないと、あの夜公会の日からずっと思っていたわ」
落ち着いた口調で、伏し目がちにマリーが言った。
「父はずっと狙われ続けていたもの。けれど、あなた自身がここへ来ることになるとは、本当に皮肉ね……シン」
マリーの言葉に、漆黒の髪の青年の肩がぴくりと揺れた。
青年の背後で銃を構えたまま控えていた少年達は、訝しげな顔をお互いに見合わせた。
「……マリーお嬢様」
屋敷に仕える者等、ほぼ全員がすくみあがった中、シェリルだけが震えながら、自らの主人の名を呼んだ。
マリーはシェリルの方を見て、安心させるようにかぶりを振って見せた。
「わたしは大丈夫。……怖くないわ」
語られた言葉は、躊躇いのないきっぱりとしたものだった。
マリーは目を上げ、目の前の青年の顔を見た。
「わたしを連れて行って下さい。その代わり、もうこれ以上誰にも危害を加えないと……」
約束して下さい、マリーは眼を閉じて、祈るようにそう言った。
銃口を向けられていようとも、マリーの心は穏やかだった。
幼い自分が失い、それ以後の時間の中で、どれ程願おうとも決して手に入らなかった存在が、今確かに目の前にあった。
そして歳月は残酷なまでの運命を課した。
―泣いても泣いても、決して手が届かなかった。
その行方を知ることすら、許されなかった。
東の地は幼かった自分にとっては、空に浮かぶ月よりも遠い場所のようだった。
その青年の手を取ることが、先の未来に何を意味するのか、マリーには充分過ぎる程に分かっていた。
しかしマリーは眩暈にも似たものを覚えながら、無意識の内にその手を取っていた。
漆黒の髪の青年の鋭い眼が、マリーに向けられる。
触れられた指先が熱い。
熱を帯びてくるようだった。
その青年に見つめられるだけで、マリーの身体の奥が激しく脈打つ。
手を伸ばし求め続けた存在は、こんなにも違うものになってしまったというのに。
自分の中にある、抗えないその部分に、マリーは否が応にも気付くしかなかった。
青年の背中は広く、すらりと伸びた身体が今、確かに目の前にあった。
それを比喩する言葉が存在するなら、それはどんなものだっただろうか。
余りにも過酷な、神の悪戯のようなその結末は……。




