第2章 護り石の再会(4)
分断された国家グリュエールでは両者に統一への意志があることを、お互いに形だけ確認する為だけに、年に一度、周辺諸国の取り成しにより東西両者の主要な者達が集い、公式に顔を合わせる夜会が催される。
夜公会と名付けられた、その夜会が執り行なわれるのは、奇しくもこの国全体に亀裂を生じさせる、最初の発端となったあの日に、と決められていた。
毎年恒例となった夜会。
マリーは何の意味も見出せないその催しに対して、常日頃から反感を募らせていた。
現在の国家の内情が所詮はまやかし、そう取られたとしても仕方がない程、十二年という歳月を経てなお変わらず、東西両者間の溝が深かったからだ。
和平などという言葉が程遠いほどに……。
対外的に取り繕う為だけの言い訳と化した、夜会の晩にのみ顔を突き合わせ、わざとらしく和やかに談笑する光景、それを思うだけでもマリーは毎回胸が悪くなった。
分断した境界の存在が、未だ生き別れになった数多くの人々を引き裂いている事実には何ら変わりが無く、納得のゆかぬ感情は募るばかり。
だが、そんなマリーの思いをよそに、今年も例年通り夜公会は境界より少しばかり東側の地で執り行われることになっていた。
言い換えればそれは、西側に住まう人間達が年間を通し、唯一ほんの僅かとはいえ、東側へ足を踏み入れることが許された日でもあった。
そうしてマリーは遂にというべきか否か、今年は自分の意志とは裏腹なまま夜公会の招待客の一人となってしまった。
半ば強制的と言わざるを得ないことではあるが、実の父親が西側の国家元首に就任したことを鑑みれば、当然のこと。
要するにマリーが自分の我を通すということは、父親の顔を潰すことに他ならなかった。
かくして、夜公会の行なわれる日の数か月前から、蔦緑の家はその準備の為に俄かに慌しくなった。
アドルフが特別に呼び寄せた名のある仕立て屋が、磨き上げられた技量の全てを注ぎ込みマリーの為に長い裾を翻す華やかなドレスをあつらえた。
精巧な刺繍が裾の端まで施され、その上から稀少な宝石が幾つも惜しげも無く縫い込まれた、見る者から羨望のため息すら誘い出すような華やかな装束。
誰もが袖を通すだけでも至福の感情に満たされるはずのそれを実際に目にしても、マリーの心が晴れることは無かった。
真新しく高価なそれが、気に入らなかったわけではない。
むしろ久し振りに正装した、鏡に映った自分の姿は少し嬉しかった。
そういう姿をしなくなり、もう随分と久しい。
だが、この国の中にある不条理さを考えれば、それだけで暗澹たる気持ちが押し寄せてくるのだ。
そんな思いをよそに、シェリルだけはマリーが麗しく着飾った姿に目を輝かせ、無邪気に喜んでいた。
そんな表裏のないシェリルの様子だけが、マリーにとっての唯一の慰めだった。
日は無情にも一日ごとに確実に過ぎてゆき、マリーの気分は陰鬱になってゆくばかりだったが、遂に当日の朝になり、マリーは覚悟を決め、鏡の前に立った。
唇に赤い紅を差す。
髪結いの女性達が幾人もマリーの周りを取り囲み、周囲を忙しなく行き来していた。
マリーの艶やかな金の髪に、瑞々しい生花と燦然と輝く髪飾りが差し込まれていく。
せめてシェリルだけは側に、というマリーの願い通りに、胡桃色の髪の侍女は少しばかり離れた場所から、その様子をじっと見守っていた。
眼を閉じると、またマリーの脳裏には内戦が自分から奪っていった、幼い少年の姿がよぎった。
―あの時、どんなことをしても引き留めていれば今も自分の側にいてくれただろうか。
「……お嬢様? 」
不意に掛けられたその声によって、マリーの意識は急に現実へと引き戻された。
気が付いた時、部屋の中にはマリーとシェリルの二人だけが残されていた。
あの何人いるのだろうかと思わせられた程の髪結いの女達の集団は、何時の間にか与えられた仕事を終え、皆さっさと引き上げてしまった後らしかった。
マリーは静かにその場に立ち上がり、微かに俯き加減で一度だけシェリルの方を見やったが、僅かに何か言葉を紡ぎかけた唇は、そのまま塞がれた。
独りでに唇を噛んだまま、マリーは悲しげに眼を伏せた。
言葉に出来ない思いを滲ませた両眼を伏せた、マリーの手をシェリルが取った。
「……参りましょう」
シェリルが何も聞かないでいてくれたことを、マリーは心の底から感謝した。
その直後、立ち上がりかけたマリーの足元がふらついた。
即座にシェリルが慌てて腕を回し、マリーの身体を支えた。
「……お顔の色が優れないですね」
心配そうにそう呟いたシェリルに、マリーは首を振って見せた。
「大丈夫。少し躓いただけだから……」
本当はここ暫くの間、深く眠れたことが殆ど無かった。
毎年この日が近付くにつれ、マリーの身体は目には見えない支障をきたす。
どうしても眠りにつくことが出来なくなってしまうのだ。
その為に、今も頭の中には、霞みがかったようなぼんやりとした感覚が漂っていた。
だがマリーは、あえてそのことを自分から口にしようとはしなかった。
その理由を口にすることは、十二年前のあの日のことを口にするのと何ら変わらなかったからだ。
その記憶がマリーにとって重過ぎるものだったがゆえに。




