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離宮の主。

馬車が止まった。

と、思うと複数の人の話し声がして、メリッサはすっかり涙でぐしょぐしょになってしまった顔を上げる。


瞼が熱っぽい。


手で拭うと腫れているのか少しだけ痛かった。


(……いやだ)


きっと目も鼻の頭も赤くなっているに違いない。

散々泣いて、泣いて、目許だけでなく頬まで熱い。


これでは人前に出れない。


メリッサは傍らに置いていた自身の薬箱から布と一つの軟膏を取り出した。


トロリとした粘液質な液体を四つ折りにした布に垂らし、くしゅくしゅともみ込んでいく。

パタンとそれを二つに折って瞼に乗せた。


このところ、涙腺がおかしくなっているのか夜に一人きりになると勝手に涙が出てきてしまうことが多くて、翌朝に痕が残らないように腫れを抑える薬を作り置きしている。


完全には取れないだろうが、少しはマシになるはずだ。


(こんな昼間からなんて、これまでなかったのに)


窓から見える景色に、離れてしまった距離を感じてしまったからか。

王都に着いてしまったことでこの先自身がどうされるのか、わかるだろう時が近づいているからか。


ガタン、と音がして再び馬車が走り出す。


目を閉じて瞼に布を乗せたメリッサは外を見ていない。

だから気付かなかった。

馬車が王宮に着いていたことに。

どころか先ほど聞こえていた声が門番の衛兵であり、馬車が門を抜け、王宮の内側を進んでいることに。


じくじくと疼く瞼が布でヒンヤリと冷やされるのが心地よくて、メリッサはそのままうとうとと夢見心地で馬車に揺られていた。

乗せられた馬車は上等な作りのもので、伯爵家のそれよりも振動が少ない。

背中を預けたクッションは柔らかくメリッサの身体を受け止めてくれる。  


それでも時が経つに連れて、さすがに長すぎはしないかと頭に疑問が湧き上がった。


貴族街に入って結構な時間が経ったはずだ。

なのに馬車は一度短い時間止まっただけで、ずいぶんと長く走っている。


貴族街に入ってから、王宮の方角へ向かっていたようだけれど、まさか。


(王宮が行き先だなんて、そんなことあり得ないわよね?)


普通に考えればない。

貴族でも、王族主催の夜会でもない限り女性が王宮に入ることなんてない。 


けれど貴族街に入ってからの、時間を考えると……。


メリッサはそうっと瞼から布を取って、クッションから頭を上げる。

恐る恐る窓の外を覗いて、


「……ひぅっ!」

 

と小さく口の中で悲鳴を上げた。


窓の外に広がるのは瀟洒で広大な庭園。 

色とりどりの花が咲き乱れる花壇に遠くに見えるのは遮る壁のない特徴のある王宮のそこだけは赤い屋根。

貴族街でなら、必ずどこから見ても王宮を囲む城壁がその前に目に入る。


それがないということは。


メリッサは慌ててクッションに頭を戻した。

心臓がどくどくと波打っている。


(ど、どうしよう……)


王宮だなんて、本来ならメリッサが訪れていい場所ではないのに。

ヘルト殿下との婚約がなっていれば、殿下の離宮にひと月入る予定ではあったのだけれど。

でもあの婚約は破棄されたはずで。


メリッサがプチパニックを起こしているうちに、馬車は離宮の一つらしき門の前で止まった。


白い金属製の門扉の奥には、王宮内のものにしては恐らく小さい(それでもドヴァン伯爵家の本邸よりも一回り程大きいのだけれど)建物が見える。


門の前には四人の衛兵。


馬車はその彼らによって開かれた門の中をまた進んでいく。が、さすがに目にはっきりと見える位置にある建物にはさほどの時間もなく着いてしまって。


開かれたドアに、メリッサは緊張に汗ばんだ手を握って固まってしまっていた。

馬車を操っていた騎士に手を出され、はっ、と我に帰って慌ててその手を取る。


建物の前にはレモンイエローのドレスを着た若い少女が一人立っていて、馬車を降りたメリッサを見ると「お待ちしてました」と優雅にお辞儀してからにっこりとした。


「主人がお待ちです。こちらへ」


メリッサが挨拶をする間もなくサッと身を翻してしまう。その所作もキレイで、身に付けたドレスといいメイドというよりは貴族の子女といった様子だ。

もっとも王宮に勤めるメイドは貴族の子女であるものだけれど。


それでもメイドならばそれらしい格好をしていそうに思う。

何より目の前で先を歩く少女はまだ12、3に見えた。

メイドというよりは行儀見習いか主人とやらの話し相手のような立場なのか。


少女はメリッサがちゃんと着いてきているか確かめることもせずに長い廊下をスタスタと歩く。


着いてくるのが当たり前、という意識なのかも知れない。


少女は一つのドアの前で立ち止まると、室内に声をかける。


得てして返って来たのは、若い男性の声。


「どうぞ中へ」

 

少女はドアを開けると自身はその脇に控えてメリッサを室内へと促した。


メリッサは息を飲んで、ドアの前へと進んだ。

俯いて顔を上げないまま、その場で膝を曲げ両手でスカートを持ち上げる。

淑女の礼を取って頭を下げたメリッサに、部屋の中から先ほどとは別のか細い少女のものらしい声がかけられる。


「お待ちしてしていました。メリッサ様でいらっしゃるわね?きちんとした説明もなくこのような場所に連れて来られてさぞかし戸惑われていることでしょうね?どうぞお顔を上げてこちらにいらして」


物音があれば聞き逃してしまいそうな小さい声だった。しかも流暢ではあるが時折苦しそうに息が詰まったかのようにかすれる。


メリッサは顔を上げて、そして悟った。

ウェルダール砦で中佐に問われた質問の意味を。

すべてではないが、少なくともその一部を。


その少女は白かった。

肌も、髪も。

瞳の色は翡翠に近い緑ではあるが、その色も薄い。


天蓋付きのベッドに半身を起こし、背を大きないくつものクッションに支えられている。


すでに自分の力だけでは半身を起こし支えることさえできないのだろう。



「貴女はーーが調合できますか?」



あの問いは。


この少女のため。



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