年賀状仕舞いにて、今日のこの日に。
「年賀状仕舞いを致します。長い間お付き合いくださり、ありがとうございました」
最近はもっぱら、このような話を聞くようになった。
葉書の値段も上がり、交友関係が広ければ広いほど、枚数がかさみ、出費が釣り上がる。
葉書だけではない。
印刷のプリンター、インクなども高額だ。病気持ちの年金暮らしには一年に一度の痛い出費。ここら辺でもう辞めようかと心に決めた。
今年で最後になるだろう年賀状を書き進めていると、宛先の方一人一人のお顔が浮かんでは消えてゆく。
印刷された葉書に、一言ずつコメントを書いていると、一人の名前を前にし、手が止まった。
私の親友。
「幼い頃のあなたとのお付き合いを今でも鮮明に覚えています」
あの頃、毎年手を繋いで一緒にお祭りに行きましたね。神社へ続く階段で、私が段を踏み外し、脛に傷を負った時のこと。
あなたは「大人の人を呼んでくるから待ってて!」と、階段を見事に駆け上がっていって。私はその後ろ姿に惚れ惚れとしたものです。あなたは宣言通り、知り合いの大人の人を連れてきてくれて、私はおぶわれてお祭り会場へと連れていってもらえた。
あの時、あなたと親友であれたことを、本当に誇らしく思いました。
かの情景が映画のように思い浮かんできて、胸が熱くなる。あなたは60年来の親友。私のことを、私よりもよく分かっていて、たびたび私を救ってくれた。
離婚の危機、息子の反抗期、勤め先の倒産、病気。数え切れないほど凶事が起こる、人の生。その荒波を乗り越えてこれたのは、寄り添ってくれたあなたのおかげ。
「それにしても、あなたの助言は本当にドンピシャね」
私に、毎年ガン検診を受けなさいと、口を酸っぱくして進言してくれたのも、あなた。
それなのに、私はあなたを救うことも慰めることも出来なかった。あなたはあっという間に亡くなって、同じ病気だというのに、どうしてこうも明暗が分かれたのだろうか。
「年賀状仕舞いを致します。長い間お付き合いくださり、ありがとうございました」
今はもう居ないあなたからの年賀状は、よく出来た娘さんが。けれど、それももう終わり。
「あなたへの手紙は、棺の中に入れさせてもらったものね。そうそう、あの長過ぎてうんざりするやつ。もうとっくに、あなたに届いていると思うけれど」
親よりも。
夫よりも。
あなたの側に逝きたい。
呟きが、病室の生温い空気へと溶けていく。
寒い冬と新しい年を、迎えようとしている、今日のこの日。




