30 昇天の時
辺り一面の明るい光に何故か懐かしさを感じる。
呼ばれている気がして足を動かすとあったはずの障害は全て自らが避け、一本の道が出来ていた。
進んでゆけば外へと繋がり庭へと出た。
先程去っていった帝と共に爺さん婆さんが居る。
周りにはたくさんの兵士が待機して居たが誰一人動こうとしない。
皆、手に持った弓や槍を構える事もなくただぼんやりと突っ立っている。
俺が出て来た事に気づいた爺さん達は泣きそうな顔をしている。
あれだけ意気込んでいたのに誰も何も出来ない…。
明るい光の原因を見上げればそこには…
…大きな月を背景に、天からの使者御一行様が空に浮かんでこちらを見下ろしていた。
雲のような物の上には男とも女ともしれない美しい使者が何人も無表情にてこちらを見ている。
使者の後ろには美しい天女を思わせる者も控え、そして更に後ろには美しい輿があり、薄衣で張った天蓋の向こうには身分の高い誰かが控えているようだ。
俺が出て来た事に気付いたのか天蓋が揺れる。
天蓋の両際にいる天女達は輿に向かって静かに黙礼する。その様子から輿の中身はとても身分の高い存在なのだろう。
そして、大きな声ではないのに不思議に響き渡る深く低い声が聞こえた。
『…其方達の罪は償われた。故に天へと戻る事を許そう』
威厳のある声に何故か記憶が刺激される。
『…あの方は、…まさか…』
頭の中にお姫様の驚きの声が聞こえた。
…ひょっとして、知り合いなのか…?
誰も何も言えず静まり返った庭で俺が答えるように一歩前に出ようとした時に…震えるような声が聞こえた。
「…か、かぐやは…ワシの子じゃ…」
爺さんが必死に声を上げたようだ。
『…』
「…かぐやは…ずっとここで、暮らすのじゃ…」
誰も何も言えないような状況で必死になって震える声を上げた爺さんを見て胸が暖かくなる。
『…これは…奇なることを言うな』
何故かさっきよりも圧のある何処か冷たさを含んだ声が響く。
『…其方は選んだであろう?』
…選んだ…?
不思議に思っていたのは俺だけじゃないらしく、爺さん達も輿の方を向いて少し呆けている。
『…其方はこの子と過ごす事よりも上位の元へと嫁がせる事を選んだであろう…?』
ハッとした顔をした後に爺さんは何かを言おうとするが爺さんの発言を待たずに言葉は続けられる。
『…結婚させず共に過ごす事を選んだならもう少し待つつもりであった…』
…あの時…か…?
…あの時に…まさか今後の選択を迫られていたのか…。
何か取り返しのつかない事になりそうな不安はあった…が、まさかこんな事になるとは。
…爺さん婆さんの事は今でも好きだし感謝しているが…確かにあの時、爺さん婆さんに対する俺とお姫様の気持ちがどこか変化した事は確かだ…
…しかし、結婚は無くなった筈…
『…結果はどうあれ、既に其方達は選んだのだ』
何か言おうとしていた爺さんは言葉が出てこないようだ。
『…今後、地上の皇族よりも余程高貴な天界にて不自由ない生活を送る事となる。
これは、地上で嫁ぐよりも余程名誉なことの筈…
…其方もそれを望んでいたのではないか?』
爺さんは震えながら首を小さく横に振っている。
『…逢えずとも仕方がない、と…そう言ったではないか?』
「…そ、…そんな、つもりで言うたのでは…」
呟くような小さな声で爺さんは必死に反論するが…既にその声に力は無い…。
『今後逢えなくとも仕方がない…そう言った時に其方たちの今後も決まった。
もちろん、今まで与えた衣食住に関する物を取り上げるような事はない故、安心せよ』
そこで話は終わりだと判断したように、輿の中から爺さんへと声を掛ける事は無くなった。
婆さんは声もなく泣いている。
俺は…悲しくも寂しくも感じるが何処かで仕方がないと思ってしまう部分もある為…反論することは出来なかった…。
また、天蓋が少し揺れると天女と使者達が動き出す。
天女の一人が手を振ると俺と天の者達を繋ぐ道が出来上がり使者が数人こちらへと降りてくる。
使者の中には手に何かを持った者がいる。
1人がそっと近づくと小さな瓶を差し出される。
数人いる使者の1人から声をかけられた。
どうやらこの中では上の身分のようだ。
「…こちらの薬をお飲みください。下界でのご不浄が浄化されます…」
「…」
…これ飲んだら…俺、消えるのかな…。
一抹の不安を抱えながら使者の手にある瓶をじっと見つめていると声をかけられる。
「…こちらはご身体の不浄を取り除くだけですので内情に変化はございません」
「…」
そうか、コイツらは俺のことを知っているんだな。
ひとまず使者から瓶を受け取る。
『…飲むのですか…』
まぁ、嘘はなさそうだしな…
じっと瓶を見つめた後に蓋を開けて少しだけ舐めてみた。
『…』
「…」
…あ、思い出した。
忘れていた記憶。自分は何故ここにいるのか…。
そうか、…俺は…
「…お姫様。」
『…どうしたのですか?』
「…ごめん」
『…なにが、です…?』
「…俺…」
「次は、こちらをどうぞ」
俺が説明をしようとすると使者から声をかけられる。
使者の手には見覚えのある羽衣。
これを着たら俺はお姫様から去ることになるだろう…。
「…ちょっと待ってくれ」
使者に向かってそう言うと俺は瓶を握り締め近くにいた屋敷の者へと声を掛ける。
「…紙と筆を…」
声を掛けられた者はハッとしたように意識を戻すと言われた内容を咀嚼して急いで準備してくれる。
『…あなたは字が書けないのでは…?』
確かにこの時代の文字を書く事も読む事も出来ないが、文字自体は書ける。
一枚にはサラサラと感謝の気持ちを簡単に書き、もう一枚には一応礼儀として書くべき事を書いた。
感謝の気持ちを書いた手紙を爺さん婆さんの元へと持っていく。
「お爺さん、お婆さん、ありがとうございました。これは感謝の気持ちが書いてあります」
この時代の文字でなくても良い。どうせ爺さん達は字が読めないのだから。
何か感謝の気持ちぐらいは残したかっただけの自己満足だから…。
そして、もう一枚を持って帝の元へと向かう。
「…これを」
「…こ、これは…?」
帝は戸惑いの様子を見せるが中の紙を開いて驚きの表情を見せる。
「…好きにしたら良い」
そう告げて手に持った瓶を強引に渡す。
帝は何か考え込みつつも押し付けられた瓶を受け取る。
俺が出来るのはここまでだ。
後はアイツ自身が選ぶだろう。
使者達の元へと戻ると代表で声を掛けてきた使者から無愛想な声がした。
「…遅い」
愛想のカケラもない冷たい声だ。
『…なんと無礼な…』
その言い方に対して怒りを露わにするお姫様に俺は思わず苦笑する。
「…あれは、お姫様じゃなくて俺に言ったんだよ」
『…?』
「どうぞ」
使者は改めて俺へと羽衣を差し出す。
既に大分待たせてしまっている。
お姫様に色々と伝えたい事はあるが、これ以上は時間的にも無理だろう。
差し出された羽衣を手に持ち最後に小さな声でお姫様へと精一杯の気持ちを伝えた。
「…お姫様…好きだよ。きっと会いにいくから…待ってて」
『…な、急に、そんな…』
俺はお姫様の動揺した反応を嬉しく思いつつ…手に持った羽衣をふんわりと纏った。




