タリア戦
隣国タリア側からお送りします
タリアとオラステリアのちょうど境目にある平野。ここは以前、オラステリアと領土を争ったときにも使われた場所だった。
タリア軍の師団長を任されているジェローラモは眼前のオラステリア軍を見据え、これから始まる一世一代の大仕事に微かに身を震わせていたのだった。
「ジェローラモ様、こちらの準備は整いました」
「よし、いよいよか……」
数年前、突如動き始めたオラステリア侵攻作戦。オラステリアが魔力の核を独占しているという滑稽な理由だったが、上院で絶対的権力を持つ年寄りたちが無理矢理押し進めてきた。
途中で何度か頓挫しかけたにも関わらず、強欲な貴族たちはついに宣戦布告するまでに至ってしまったのだ。
「見よ、ジェローラモ。あやつら我らの半数も兵を揃えておらん。魔力に胡座をかいておれるのも今日までよ」
いやらしい笑みを浮かべ舌舐めずりをするこの男こそ、最初に戦争を企てた張本人、カッソーラ公その人だ。カッソーラは顔に深く刻まれた皺を揺らしながら、すでに自軍の勝利を確信したように笑う。
なぜこれほど楽観的でいられるのか、ジェローラモには理解不能だった。
「閣下、本当によろしいのですか? 最終協議で新たな協定を結ぶことも可能でございますが……」
「其方もしつこい男よ。目の前の宝を抱え込んだ蛮人が見えておらんのか? やつらが素直に結界を解くというならば、聞いてやらんでもないがのう」
無茶な話だ。そもそも魔力を独占しているなどあり得ないのに、何を根拠にそんな世迷言を信じているのだろう。
賛同の気配がないジェローラモに、カッソーラは一つ咳払いをして話を続けた。
「仕方ない、其方にはあの御方の事を話してやろうかのう。そうさな、あれは五年ほど前か。我の寝所に突然現れたのだ、警備も万全の我が城にぞ? 心臓が止まるかと思ったわい」
その割に恍惚と瞳を揺らし、熱に浮かされるように視線を上げる。
「頭から布を被り姿は見えなんだ。じゃが只者ではないとわしの本能が告げておったわ。あの御方はオラステリアが魔力の独占していると話して聞かせてくださり、そしてわしに奇跡を授けてくださったんじゃ」
護衛を呼ぶ暇も与えられず、いつの間にかオラステリアとの国境に転移していたという。呪文も祝詞の詠唱も無く、一瞬で転移させられた瞬間、この世の者では無いと察したらしい。
心地良く耳に響く甘美な囁きは福音のようで、あっという間に心を奪われたそうだ。ジェローラモはその様子がありありと想像出来た。
そして、その御仁はオラステリアが魔力を独占している証拠を見せると言い、カッソーラの目の前に片手に乗るくらいの小さな魔物をどこかから連れて来たらしい。
「わしの寿命はあそこで三年は縮んだであろうな。小型とは言え魔物ぞ? それをあの御方は難無く剣で突き刺し、そのままわしを連れて国境を越えたんじゃ」
カッソーラはチラリとこちらを見て「何が起きたか分かるか?」と笑う。そんなもの知るか、と言いたい気持ちで「いえ」と低く答えた。
「悪臭を放ちながらどろどろと蠢く小さな魔物が、オラステリアに入った途端にさらさらと蒸発して消えおった。瘴気と魔素は表裏一体。何かしらの結界が施されておるのは一目瞭然じゃろうて」
「そ、それは……」
どうしてそれが魔力の独占に繋がるというのか。たしかに何かの結界があるのかもしれないが、状況を聞く限り魔力あるいは瘴気を吸い取っているように思える。
「オラステリアは古代よりそうして魔素を国内で循環させ、外に漏れぬよう溜め込んでおる。魔力が潤沢ゆえに瘴気も濃いなどとそれらしいことを並べおって…… あの御方はわしに断罪の機会を与えてくださった。敵国の罪を暴き、わしがタリアに神々の祝福を持ち帰るのだ」
ギラギラと闘志を漲らせたカッソーラにそれ以上何も言えなかった。タリアの為であるかのような言葉に吐き気が込み上げて来る。この男が自国のために何か一つでも役に立ったことがあっただろうか。自領の税を上げ、富を独占し、上院を私物化した諸悪の根源が、自国を言い訳に他国に戦争をしかけているのだ。
「最終協議のお時間です。閣下、天幕が用意されましたのでご移動ください」
ジェローラモの部下が本作戦の開始を告げた。コクリと頷き合い、ジェローラモはカッソーラと共に最終協議へと向かった。
広い平野に両軍が対峙し、その中央は空き地となっている。まだ血も肉も吸っていない広場には日光を遮るだけの天幕が張られていた。
既にオラステリアの代表は席に着いており、色鮮やかな髪色が彼らの魔力量の高さを物語っていた。
襟足だけ長く伸ばした緑髪の男はオラステリア王国の騎士団長だろう。隣の青髪は例のベリアルド家の当主か、と知識としてある隣国の情報と目の前の人物たちを照合して行く。
三十代前後の若い面々の中でも、若い赤毛の女だけが浮いているが、彼女は魔術士団長のダリアである。
ダリアは魔力量が中位程度でありながら、最年少で魔術士団長にまで上り詰めた天才としてタリア国内でも有名だった。魔力量でオラステリアに劣るタリアの貴族たちにとっては希望に似た存在であり、自国の名に似たダリアに勝手に親近感を持つほどだった。
「では最終協議に入らせていただきます」
オラステリアの文官が一枚の紙を広げ、その条文を読み上げる。タリアの要求を簡潔にまとめ、オラステリアは事実無根であり対処のしようがないという内容だ。
ジェローラモはその滑稽な条文を赤面一歩手前で最後まで聞き終えた。
「何を根拠にそのような事を言い出したのかさっぱり理解が出来ませんが、戦争がしたいということであればお受けしましょう」
オラステリア軍の総大将、ハインリ・キースリング卿から呆れたような笑いが漏れる。ジェローラモと同じくらいの年頃だが、彼はオラステリアの元老院に名を連ねる者だ。
自国の上院とはまったく違う機関であるが、カッソーラと同等の権力者であるはずなのに、年若いというだけカッソーラは見下したように言葉を返す。
「キースリング卿と言ったかな? 白々しい嘘はそれくらいして貰おうかの。この地が瘴気で満たされる前に、すべて認め結界を解くことじゃ」
「瘴気…… 穢れの事ですね。戦で穢れが満ちるのは我々も望みません。しかし、再三書面で申し上げた通り、魔力を拡散させないための結界など、無いものは無いのです」
話は平行線のまま、交渉決裂を証明する書面が作成された。元々この最終協議は、侵略される側が無条件降伏をするための場である。どちらも勝利を確信している場合、形式的な協議でしかない。
オラステリアを侵略するという意思にカッソーラがサインする。乱暴にハインリに書類を差し出した腕を……
ジェローラモがガシっと掴んだ。
「な、何をする、ジェローラモ!」
「カッソーラ公、自国を私欲の為戦争に巻き込んだ罪で、捕縛させていただく」
ーーガシャン!!
護衛の為に控えていたタリアの騎士たちが、一斉にカッソーラに剣を向けた。突然の出来事に、ハインリは目を丸くし、オラステリアの騎士団長は反射的に剣を構える。
セルジオは不服そうにため息を吐き、欠伸を噛み殺していた。
「どういう事だ! 貴様、血迷ったか! い、今がどういう状況か分かっておるのか!」
「オラステリアの皆様、このような場で自国の恥を晒す事をお許しください。また、少々お時間を頂けますでしょうか」
「あのー、僕もう帰ってもいいですかね?」
飄々と手のひらを振るセルジオに、隣の騎士団長が剣を握ったまま怒鳴り散らす。
「セルジオ様! いい加減にしてください! この状況が分からないんですか!」
「分かってないのは貴方でしょう? もう戦争どころじゃないってことですよ。僕はお役御免というわけです」
「しかし! ……セルジオ様、もしや……」
二人の言い争いをハインリが窘めたところで、まだ喚き散らしているカッソーラに視線が集まった。
ハインリはオラステリアの騎士たちに武器を収めるよう指示すると、「何やら事情があるようですね。お聞きしても?」とジェローラモにその場を委ねた。
「宣戦布告の前に事態を収拾できず申し訳ありません。既に両国の王が進軍を決めた時点で、この場で事を起こすしか道が無かったのです」
「ジェローラモ! 貴様裏切るのか! いくらだ、いくらオラステリアの蛮人に金を積まれた!」
後ろ手で拘束されたカッソーラが今にも噴火しそうな赤黒い顔でがなり立てる。
そう、この場しか無かったのだ。ジェローラモの作戦はこの協議の場こそが戦場だった。
「カッソーラ公、貴方の私欲の為、自国を滅ぼす訳にはいかないのです」
「私欲だと!? わしはタリアの繁栄の為に……! それは上院でも可決され王の承認もある!」
「上院の可決に必要な過半数の票ですが、貴方が裏で買収していた証拠はすべて抑えました。今頃自国でも貴方の支援者が逮捕されていますよ」
カッソーラは怒りのままに罵声を浴びせる。ジェローラモは飛び散る唾を避けるように一歩身を引くと、懐から出した書類を広げ淡々と罪状を読み上げ始めた。
「真偽不明の魔力結界に関して、賢者数名を買収し事実であるかのような書類を捏造したこと。貴族の票を集めるため、裏で王からの勅命であるような文書を捏造したこと。その際、玉璽の偽造並びに文官の買収。貴方が税収を誤魔化し私腹を肥していたことも既に調査済みです」
ジェローラモが一度言葉を切ると、カッソーラの赤黒かった顔は土気色に変化していた。「まさか…… 嘘だ……」とうわごとのように言葉を漏らし、ガタガタと膝を震わせている。
「納めるべき税を他国に流し、私金に変えることは国に対する裏切り。そして、鉱山を買い占めオラステリア侵略を扇動し、国から軍資金を巻き上げた。この戦争そのものが貴方の私欲であることは明白です」
「何のことだ……! しょ、証拠はあるのか!」
「はい、すべて」
「陰謀だ! 陰謀に決まっている! ジェローラモ、貴様がオラステリアから金をもらって仕組んだのであろう! 皆のものこやつを捕まえるのじゃ!」
暴れるカッソーラの断末魔のような叫び声が平野に響く。眉を潜めるハインリの後ろから、セルジオがにょきっと首を出した。
「あ、もしかしてカッソーラ卿は極刑では? 僕がここで首を刎ねましょうか?」
セルジオはこの場に相応しくない愉しそうな笑みでカッソーラをじっくりと眺めている。
極刑という言葉に自身の行く末を理解したのか、はたまた今にも剣を抜きそうなセルジオに死を予感したのか、カッソーラは顔を真っ青にして白い唇をガタガタと震わせた。
「セルジオ様、黙ってください! 貴方の出る幕ではないのです!」
緑頭の騎士団長が後ろから羽交締めにしてセルジオを引きずって行く。「申し訳ない……」とハインリが頭を下げるが、ジェローラモはさして驚く事もなく、ハインリに向き直した。
「貴国には大変なご迷惑をおかけしたと国王から謝罪の文を預かっております。徴兵やこれまでにかかった費用を含め、再度協議をさせていただけないでしょうか」
「そうですね。たしかにこのまま解散と言われても簡単に軍を引く事は出来ません。改めて協議が必要ですが…… その前に罪人はお引き取り願いましょう。この場に相応しくないのでね」
ジェローラモがコクリと頷き、騎士たちが縛り上げたカッソーラを連行して行く。魔力を封じる手枷が嵌められ、力なく窓のない馬車へと収容されていった。
「では、タリア国の代表は貴公でよろしいか?」
「はい、こちらに王の承認が」
蝋付された書類をハインリが確認すると、タリアとオラステリアの本当の協議が始まった。
ジェローラモは上院の中でもまだ若い貴族である。代々上院に席を持つジェローラモの家門ではあったが、先代が早くに亡くなった為ジェローラモが二十歳のときに爵位と共にその席を譲り受けた。
若いと言ってもすでに十年余り議員として従事してきたジェローラモにとって、今日が一番の大仕事であるのは本人が一番良く自覚している。
国を代表しての軍を伴った協議。しかし、自国の議会で評議するよりもスラスラと面白いように事が決まっていくという体験に、ふとカッソーラが心酔した御仁の話が脳裏を過ぎる。
ああ、なるほど…… すべては彼らの手のひら上ということか。
身を委ねてしまいたくなるほどの心地良さに、数日前から始まった怒涛の日々を思い出していた。
■ハインリ・キースリング(侯爵)
→元老院
→「アルフォンス・オラステリアの激昂」でアルフォンスのご機嫌伺いに行った人
昨日過度の飲酒により更新お休みさせていただきました。申し訳ありません。
ミラグレーンを飲むと二日酔いにならないのでおすすめです。※個人差有り
次回、100話ということでキリの良い話にしたかったのですが、タリア戦数日前のお話になります。





