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眠れる森の悪魔  作者: 鹿条シキ
第四章 事業

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宴と危機


 大人たちは昨夜も遅くまで酒を飲んでいたらしいのに、今夜も水のように葡萄酒やエールを飲んでいる。

 上位貴族は普段果実を発酵させたお酒しか飲まないが、今日は下位貴族の方が多いのでどちらも用意していた。

 この中で唯一の平民であるライナーはエールより葡萄酒の方が好みらしい。


「ライナーはお酒にも強いのね」

「酒の席での商談もありますから多少は慣らしておりますので」

「ライナー、これから少し忙しくなるかもしれないわ。美容品の原料を本格的に確保しようと思うの。工場を増やす準備をしておいて貰えるかしら。あと、クレイラにも粘土の加工場が出来ることになったわ。それで、もう一つ二つやりたい事があるのだけど、余力はありそう?」


 思い付く限り並べ、また新たな課題を積もうとするわたしに、ライナーはビクリと姿勢を正す。


「はい! 私の部下も育っております! こういうことは勢いが大事ですから、やれることはやりましょう!」

「良かった。ではまた後日会議の日を設けるわ」


 ディディエに思い付く限りの研究を進めろと言われたけれど、正直わたしは自分に必要なものしか研究する気が無かった。この事業が成功すれば充分わたしの借金は返せるし、あとは身近な人の生活がちょっと楽になればいい。

 けれど、下手な横槍が入り原料の入手が出来なくなると美容品の事業すら潰れてしまう。学院が始まるまでの間に出来る限り研究は進めておいた方が良いだろう。

 ディディエの言う通りスピード勝負になりそうだ。


 宴では従業員からも色々と話を聞き、下位貴族の生活を知ることもできた。

 貴族といっても魔力が少しあるだけの爵位も管理する土地もない家は、ライナーのような平民よりも生活が大変なのだという。上位貴族の屋敷に仕えるのが一番の出世らしい。


「わたくしどもは本当に幸運でございました。お仕えするお屋敷も見つからず、実家でも兄のメイドのような生活をしておりましたので」

「わたくしもです。こちらで雇っていただけて、しかも貴族街に寮まで用意していただいたのですから、家族も皆涙を流して喜んでくれました」


 そう話すのは、今回新しく雇い入れた下位貴族の御令嬢たちだ。彼女たちは魔力が低く、メイドとして就職するのも難しかったのだという。行儀見習いとして侍女になれるのは、中級以上の力のある貴族令嬢だけだった。


「まだお仕事前ですけど、給金や待遇に不満はありませんか? もし要望があれば聞かせてください」

「そんな! 衣食住揃っていてこれほどの高待遇他では考えられません!」

「わたくしはこの揃いのお仕着せがとても気に入りました。まるで騎士様のようではありませんか」


 そういえば、この世界で揃いの服を着るのは騎士だけだ。学院も制服が無く、皆私服で通っている。もちろん、使用人も揃いのメイド服があるわけではなく、地味なベージュや茶系の質素なドレスにエプロンをしているだけだった。

 しかし、屋敷では客も使用人を連れているため、誰がここの従業員か分からなくなる。そこで、同じ生地を使って揃いの服を全員分仕立ててもらったというわけだ。コルセットもメイドが使う短めの厚布を使ったものを支給したので、そこまで窮屈ではないと思う。


「コルセットをしたまま入浴の補助は辛くなかったですか? 魔導具の使い勝手はどうでしょう?」

「はい、水汲みも必要ありませんし、わたくしどもは学院で使用人になるための授業を受けておりますのでまったく問題ありません」

「あれらの魔道具は本当に素晴らしいと思います! 発動のための予備魔力も、調整のための魔力も必要ないのでまったく魔力を使いませんでした」

「それは良かったです。またしばらくしたら意見を聞かせて貰いたいので、気付いたことがあればメモを残しておいてください」


 ユーザーの声は重要だ。前世ではユーザーと開発者である自分が同じような生活をしていたのである程度予測ついたことが、この世界では身分のせいで生活様式がまったく違ってしまう。

 便利の概念が違ってしまうと、せっかく研究しても使い物にならない恐れがあった。城で働くメイドたちは城の生活で慣れているので、こうして現場で働く従業員たちの声はこれからもっと重要になってくるだろう。


 初めて入浴用の浴槽を作ってから四年、偶然の出会いやちょっとした思いつきからここまで大きな事業に発展したことを感慨深く思いながら、正式な開業を宴で宣言した。




「シェリエル、今日こそ部屋を見せてちょうだい」


 お披露目会の翌日、わたしはダラダラと冷や汗をかきながら自室の扉を背にディオールと対峙していた。

 

「お母様、少し散らかっているのでまた後日にしませんか」

「メイドが居て散らかっているなどあり得ないでしょう。それが本当なら貴女の専属は解雇する必要があるわ」

「いえ! メアリとサラは掃除も完璧です!」


 隣に並ぶメアリとサラは、諦めろと言いたげに目を伏し首を振っている。ここまでか……

 渋々扉を開け、わたしはディオールを自室に招き入れた。


「まぁ! これは一体どういうこと!? 花瓶もなければ絵画も飾られていないじゃないの!」

「花瓶はありませんが、お兄様からいただいた鉢植えがありますよ。ほら、少し大きくなったのです」


 窓際を指さすわたしをディオールは鬼の形相で睨みつけていた。だって花瓶はシエルが倒すから置けないんだもの……

 シエルはディオールの剣幕に驚いたのか、しっぽを丸めて長椅子の裏に隠れていた。気持ちは分かるけれど、ドラゴンがこんなことに怯えていては格好が付かないだろう。


「ヒッ! この机はなんですか!」

「あ、これは研究用の机です。シエルが入れないようにこの辺りから簡易の結界を張っているので、泥棒に入られても研究内容を盗まれる心配がないのですよ」


 ここはわたしのお気に入りスペースだった。壁際に四人ほど並んで座れそうな広い長机を置き、壁にも小物を置けるよう薄い棚を作ってもらった。L字になるように小物を入れる引き出しが備え付けられているので、魔鉱石や書類もきちんと片付けてある。

 ハンガーやチェストを作ってくれた家具職人のダルに、細かい要望を伝えながら機能性重視で作ってもらったので、オーダーメイドの贅沢デスクというわけだ。


「これではまるで殿方の書斎…… いえ、魔術士の研究所ではないの。自室にこんなものを作るなど、レディの自覚があるのかしら?」

「ですが、わたしは授業でも実験や研究することが多いので、必要なのです……」

「研究室を別途作りなさい。美しさの欠片もないわ。貴女、ジゼル嬢やシャマル嬢をこの部屋に招いたら幻滅されるわよ」


 いまのところ自室に招いたのはダリアと教師陣だけだが、皆特に気にする素振りは無かった。マルゴットが毎度この一角を険しい表情で睨んでいたくらいか……

 ディオールは引っ越したときより装飾品の減った部屋を細かくチェックしながら、寝室の扉を開ける。

 本来、この部屋は寝室というより家族や恋人など限られた者だけを招くプライベートな部屋らしい。自室には教師やドレスの仕立て屋を招くので、そういった部屋と区別しているのだという。

 しかし、わたしは寝室を寝室として使っていた。だって寝るための部屋だもの。


「何なの! お茶をするテーブルも長椅子も無いじゃない! 美術品が一つも無いなんて、何を考えているの!?」

「寝るためのお部屋なので必要ないかなと…… でもシエルが先に起きて遊べるように、敷物を用意したのですよ」


 寝台の足元には毛足の長いふかふかの敷物が広がっており、シエルより一回り小さい鞠が転がっている。床を傷付けないようにというわたしなりの配慮だ。


「……これはそれなりに良い物ね。けれど使い方が無駄過ぎるわ。ドラゴンの遊び場にするなんてまったく何を考えているのかしら」


 今のところライナーに適当に選んで貰った敷物しか褒められていない。あとはすべてダメ出しに次ぐダメ出しだ。


「浴室はいいわ。あとは例の衣装部屋ね」


 ここで一気に巻き返したいと、張り切って案内する。扉を開けたメアリの横で、ディオールが声もなく固まっていた。


「如何ですか? 貴族らしい衣装部屋を意識してすべて一から特注したのです」

「貴女…… これは一体……」

「中央のチェストはスパサロンにある小さいチェストと仕組みは同じです」


 白を基調とした部屋の中央には、細長いチェストと、同じ意匠の長椅子を背中合わせに置いてある。両サイドの壁は天井まで使った棚を造り付け、ドレスを掛けられるようポールを通してもらった。

 本当はポールの下に低いチェストを入れようと思ったのだが、成長するとドレスが長くなると言われ分離したのだ。

 本棚のように細かく区切った棚には帽子や小物を分かりやすく並べ、一番下には靴を並べてある。

 天井近い最上部の棚には旅行用の鞄が収納され、棚と揃いの梯子も用意してもらった。

 まだ三分の一も埋まってないけれど、高級ブティックのような仕上がりになっている。


「なんて美しいの…… どうしてこの才を他の部屋にも活かせないのかしら。このチェストは段によって大きさが違うのね」

「はい、開けてみてください。上段はリボンや宝飾品が入っています。お爺様にいただいたブローチもそこにしまってあるのですよ」


 ジュエリーケースのように一つひとつ並べられるよう、上段は薄く作ってもらった。宝飾品を付ける年でもないけれど、ユリウスに貰ったピアスも木箱のまま飾ってある。


「まぁ! 引き出しが丸々宝石箱になっているのね。とても見やすくて美しいわ! とてもよろしくてよ」


 よし、これで他の部屋分の点数は稼げたぞ。わたしは小さくガッツポーズし、ドヤ顔で機能自慢を始める。


「衣装合わせから着替えまですべてここで済ませるため、チェストは机代わりに小物を並べたり衣装を広げたり出来るようにしました。衣装はハンガーにかけてあるので広げる必要もないのですけど、リボンを合わせたりメアリが組み合わせを見繕ってくれるのです」

「あのハンガーというのも衣装の美しさが一目で分かって良いわね。でもあれが使えるのはあと数年よ? 大人のドレスはあれでは掛けられないわ」


 そこはわたしも悩みどころだった。大人のドレスは上部と下部が分かれていて、ワンピースのような一体型ではないのだ。

 ゴムやファスナーがないので、パーツを組み立てるように紐で縛りながら着付けて行く。


「着付けに時間も掛かって窮屈ですし、一体型のドレスを仕立てようかと思っています」

「あら、懐古派でも立ち上げるつもり?」

「懐古派ですか?」


 ディオールは良い機会だからとお部屋チェックを一旦切り上げ、自身の衣装部屋へと招待してくれた。

 通されたのは寝室から繋がるその部屋は、貸衣装屋かと思うほど、数十体のトルソーが並んでいる。

 角には簡素な木箱が積み上げられ、華やかな彫刻や金細工、宝石があしらわれた豪華な宝箱がいくつも置かれていた。わたしの部屋とは違い、すべて床に置かれ、姿見もない宝物庫のようだ。


「姿見はないのですね」

「ここは侍女しか入らないわ。寝室で着付けるからここには必要ないのよ」


 ディオールが二人の侍女にあれこれ指示を出すと、まるでどの箱に何が入っているのか全て知り尽くしたような動きで手際良く何着かの衣装をピックアップしていく。


「すごいです、お母様がお持ちの衣装をすべて把握しているのですね」

「勿論よ、それが侍女の仕事だもの。そう、これよ。貴女の言う、一体型の窮屈でないドレス」


 侍女が一体のトルソーに柔らかな布のドレスを着付けていく。一枚布をふたつに折り畳み、肩の部分を二箇所金細工のブローチで留め、胸元や腰のあたりを紐で縛っていた。構造は神殿の神官たちが着る神衣のようで、巻きワンピースとでも言うのだろうか。古代ローマの衣装に似ている。


「これは昔流行した衣装のひとつだけれど、身体のラインを補正出来ないのと、質素な印象を与えるから今はもう誰も着ていないわ」

「今の衣装に近い形であれば良いのですか?」


 ウェストをキュッと絞り、スカート部分を膨らんでいれば良いのでは? と単純な発想で聞いてみたが、そう簡単な話でもないらしい。

 すっぽり被って後で紐で編み上げるとお腹に余分な布が集まり太って見えるだとか、骨組みのパニエを仕込むと座るのが大変だとか、色々と歴史があったそうだ。


「けれど、流行は繰り返しながらより洗練されて行くの。貴女の特殊な知識で改良出来るなら好きになさい」

「ありがとうございます。剣術用に男性服も仕立てたいのですけど、構いませんか?」


 ディオールは一瞬嫌そうに顔を顰め、小さくため息を吐いた。


「あまりよろしくはないけれど、セルジオ様の希望だものね、仕方ないわ。腕の確かな服飾師をあなたに譲るから見苦しくない物を仕立てるのよ」

「ありがとうございます、お母様」


 一応、城で抱える針子に仕立てて貰っていたけれど、針子には荷が重いと判断したのだろう。

 服飾師は針子の中でも特に優秀で、衣装のデザインが出来る人のことだ。前世でいう有名デザイナーというところだろう。

 こうして話題が衣装へとズレたところでわたしの部屋のお小言は一旦流れてくれた。我ながら素晴らしい処世術だ。


 後日、絵画や装飾品が納められた部屋で、みっちりと芸術について講義されることになるが、この日は乗り切ったという解放感のままゆっくり眠ることが出来たのだった。

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『眠れる森の悪魔』1〜2巻


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