ヴァルプルギスの夜 -後編-
急なアルフォンスの登場にその場の空気が一瞬で変わる。
緊張するアリシア、怯えるジゼル、殺気を押し込めるディディエ、ディディエがやらかさないか不安になるわたし。
すでに挨拶は済ませたが、とりあえず軽く頭を下げてみた。
「殿下、いかがなさいましたか」
「とぼけるつもりか! んぐ〜ッ! あれだ! 俺の、誘いを断っただろ! 生意気なやつめ!」
一応非公式となっているので、アルフォンスも言葉を選んでいるようだが、聞く人が聞けば分かるだろう。
年齢はわたしより上のはずだが、こんなので大丈夫なんだろうか。
「わたくしの身に余るお話でしたので、辞退させていただいた次第です」
「ふんっ! 分をわきまえただけか。そこのアリシアもこの謙虚さを見習うんだな。まぁ、いい。シェリエル、今度王宮に顔を出せ」
「わたくしはまだ作法の勉強中ですので、ご無礼があるかと」
怖くてアリシアの顔を見れないが、絶対に良い気分じゃないはずだ。せっかく出来た友達なのに、どうしてこう周りに邪魔ばかりされるのだろう。
「殿下、うちの可愛い妹にちょっかいを出さないでもらえます?」
「貴様ディディエか! 無礼だぞ、不敬罪で捕まりたいのか」
ああ、お兄様…… これ以上話をややこしくしないで……
念話を飛ばそうにも結界のせいで会話が出来ない。ピリピリとした空気のなか、アリシアをこっそり盗み見ると、意外にも鉄壁の無表情を貫いていた。
「はいはい、どうぞご勝手に。あまりに頭が足りてないと、女の子にも相手にされませんよ? まず、きちんとお勉強されることですね」
「貴様ぁ〜! 不敬だ! 父上に言いつけてやる! 牢屋送りにしてやるからな!」
アルフォンスは顔を真っ赤にして喚き散らし、ディディエは楽しそうにそれを煽る。
いい加減にして欲しい。ある意味スリルはあるだろうが、子ども相手に何をしてるんだ。
「僕が牢屋送りになるときには、話し相手に殿下の首でも持って行きますね。ふふ、それだけうるさい口があれば、首だけになってもさぞ賑やかでしょう」
「ヒッ…… ほ、ほんとうに、捕まえてやる!」
「それは大変だ! 急いで父上に斬首のコツを教わってこなければ」
ディディエは大袈裟に驚いて見せ、キョロキョロとセルジオを探すフリをする。
さすがに不敬にあたるのではと心配になるが、アルフォンスの後ろに控える護衛騎士に動きはない。王族だけに許された護衛だというのに、仕事しなくて良いのだろうか。
「お兄様、大人げないですよ。趣味の悪い冗談はそれくらいにしてください」
「じょ、冗談だと? お前たち、俺を誰だと思ってるんだ! もう顔も見たくない! さっさと消えろ!」
にんまりと笑うディディエが、わたしたちの背に手を添え、ぐるりと後ろを向かせる。
首だけアルフォンスに振り返り、上機嫌に別れの挨拶をした。
「仰せのままに。王宮へのお誘いも取り消されてしまったことですし、我々は退散致します。では良い夜を」
ズンズンとわたしとアリシア、ジゼルもまとめて背中を押す。後ろから聞こえていたアルフォンスの癇癪が遠くに消えたころ、ようやくわたしたちの歩みは止まった。
「もう、お兄様! やり過ぎですよ。これ以上怒りを買ったら面倒ではないですか」
「敵意は向けてくるだろうけど、シェリエルに興味を持たれるよりマシかなって」
程度の低い茶番劇を見せられたこっちの身にもなって欲しい。
ふと、青ざめた御令嬢二人に気付き、あわててこの騒動を謝罪する。特にアリシアにとって気分の良い話ではなかっただろうから。
落ち着いた様子のアリシアに、ディディエが声をかける。
「アリシア嬢は本当に王妃の座を狙うの? だったら、殿下に媚を売る無能でおバカな令嬢のフリをするといいよ。感情をそのまま顔に出し、悲しんだり喜んだりして見せればもっと効果的だ。彼、自分より有能な女の子を側に置きたくないみたいだから」
なるほど、だから夢でマリアに恋しちゃったのか。彼女はお世辞にも賢いとは言えない子だった気がする。
どうやら、母ライアだけでなく、アルフォンス自身も控えめな女の子が好みのようだ。
アリシアは信じられないという顔で、ディディエに反論する。
「それではわたくしの努力はどうなるのです。それに、無能なフリをしながらどう殿下の補佐をしろと……」
「うーん、陰ながら分からないように補佐するか、本当に何もせずのんびりするでもいいんじゃない?身分的にも殿下が気に入ればアリシア嬢なら誰も反対しないしさ。それに、本当に彼が無能な王妃を娶れば、この国は終わりだよ?」
アリシアはグッと唇を噛み、何かを考えていた。夢のわたしは仕事を押し付けられていたけれど、アルフォンスはそれを大した仕事ではないと思っていた。今のディディエの話はそれほど外れてはいないのだろうと思いつつ、アリシアがあの立場に置かれることに少し心が痛む。
……ああ、そういうことね。
ディディエは夢でわたしが殿下の婚約者となり、断罪されることを知っている。そして、マリアが殿下の心を射止めることだって、知っているんだった。
未確定な未来だが、可能性があるというだけでその枠をわざとアリシアで埋めようとしているのか。
「わたくしは、王国を、殿下を支えるために作法も勉強も頑張ってきました。それなのに、無能なフリをするなんて……」
わたしはアリシアにかける言葉がすぐに見つからなかった。本当にアルフォンスがマリアを好きになるのか分からない。それに、分かった上でそれでも王妃を目指すなら、それはアリシアの自由だ。
ただ、まだ幼いアリシアが、国のためを思い自分を犠牲にするような選択はして欲しくないとも思う。
しかも、それがディディエの誘導によるものなら後味が悪い。
「アリシア様、あまり兄の言葉は気にしないでください。国がどうなろうと、アリシア様に責任はないと思いますよ」
「ありがとうございます、シェリエル様。これまで殿下に邪険にされてきた理由が分かっただけでも良かったと思います。ディディエ様もご忠告ありがとうございました」
アリシアは上位の令嬢らしくスッと感情を引っ込める。アリシアであれば、アルフォンスの伴侶に相応しいと思う反面、マリアの存在が気がかりでもあった。
婚約を回避すればそれで良いと思っていたけれど、国が傾けばわたしたちもこれまで通り暮らせなくなる。アリシアと仲良くならなければ、全力で王妃になることを勧めただろうか。
複雑な気持ちのままアリシアと別れ、少し会場を散策したあと、早々に客室へと引っ込んだ。
「ジゼル様まで良かったのですか?」
「はい、充分雰囲気は味わいました」
セルジオたちは朝まで飲むつもりらしいので、ジゼルとバージルを部屋へと招いた。大人たちは夜明けと共に祓いと豊作を願う儀式をするらしく、一応用意されているだけでほとんど客室は使われないそうだ。
「お酒が入ったままでちゃんと儀式が出来るのですかね?」
「祈年祭は楽しい気分であることが重要だから酔い潰れなければ良いみたいだよ。儀式は神官と魔術士団が主体だしね」
洗礼の儀が荘厳な雰囲気だったので、全然想像が付かない。会場でダリアやマルセルを見かけないなと思っていたら、魔術士団総出で儀式の準備をしていたらしい。会場の結界維持や、警護にもあたっていたようだ。
ジゼルと二人、顔を見合わせていれば、バージルが丁寧に補足してくれた。
「笑い、楽しむことは穢れの対極にあるので、昔は貴族も外で大騒ぎしていたらしいです。魔法で火柱を立てたり、お酒を飲んで踊ったり、平民のようなお祭りだったのが、だんだんこのような形になったと聞きました」
逆に、今の形式で効果があるのか心配になってきた。あのような煩わしい社交の場を大人たちは心から楽しんでいるのだろうか。
「夜会では色々とありましたけど、こんな時間にジゼル様とお喋りできるのはたしかに楽しいですね。お泊まり会みたいです」
「わかります! 普段はお昼間のお茶会しか参加できないので、ワクワクしますよね」
夜にやることは大体が楽しいのだ。少し会場から食事を持ってきてもらい、ぬるい葡萄ジュースをグラスに注ぐ。
「ジゼル様、皆には内緒ですよ?」
お互いのグラスに氷を入れる。小さく音を立て揺れる塊を見て、ジゼルは目を丸くして慌てて口元を手で押さえた。
「これは…… す、すごいです。もしかして、ギフトですか?」
「ふふ、これで少しは飲みやすいでしょう?」
ジゼルはおずおずと冷えた果実水を口に運び、またしても顔を赤らめ笑顔を溢した。
純粋ゆえに、感情が顔に出やすいみたいだ。貴族としては心配になるが、気を張らずに済むのでとても心地が良い。
わたしたちはいつもより夜更かしして、真夜中のお茶会を楽しんだ。
初めての場所でもすぐ寝るでお馴染みのわたしが、突然の物音に目を覚ましたのはまだ日も昇っていない夜明け前のことだった。
乱暴に扉を開ける音、それにうめき声が聞こえ、襲撃かと飛び起きた。
客室では魔法が使えるため、すぐに剣を取り出し寝室を出ると、同じく剣を持ったディディエと目が合う。
「ちょうどよかった。これ、治癒してもらえます?」
呑気な声はセルジオだった。ゴトっと投げ捨てられた大きな塊が月明かりに照らされ、その姿が次第に輪郭をハッキリさせる。
「人ではありませんか! これ、どうしたんです!」
「以前潰した闇オークションの元締めですよ。せっかくの機会なのでちょっとお仕置きを」
「ベリアルドにお仕置きする権利はあるのです? 王族管轄では?」
悪いことをしていたならこの様も自業自得と言えるが、王宮内で勝手なことをして罰せられないだろうか。
「うーん、あれから度々ちょっかいを出されていたので正当防衛? ですかね?」
とにかく治癒をとボコボコになった顔に魔法をかける。意識を取り戻した男が、急に騒ぎだしたので、すぐにセルジオが頭を踏み付けた。
「で? さっきの話詳しく聞かせて貰えます? 治癒要員が確保出来たので、もう少し遊べますけど、まだ物足りないですか?」
「こんなことをしてただで済むと思っているのか!」
バコッ! っと鈍い音がしたかと思えば、頭を踏みつけたまま反対の足で腹を蹴り上げていた。男のうめき声にセルジオがゆっくりと言葉を返す。
「まだお酒が残っているんですかね? 上位の者への態度とは思えません。酔い覚ましが必要ですね」
セルジオはナイフを取り出すと、男の爪の間に刃の先を当てる。うわぁ…… この部屋で拷問でもする気か……
この後すぐ隣の部屋でゆっくり眠れる気がしないのだけど。
「分かった、分かりました!」
男の焦った返事と共に、一枚の爪がピッと飛ぶ。獣のようなうめき声が響くので、わたしは咄嗟に防音の魔法を展開していた。
「んふふ、シェリエルは気が利きますね。で、何が分かったんです?」
「うぐぁ…… 話しますから…… どうかお許しください」
必死に懇願する男の指に治癒をかければ、にょきにょきと爪が生えてきた。身体は再生しないと聞いていたけれど、爪くらいならばどうにかなるのか、と感心する。
「ずびばせん、たしかに野営地を襲ったのは私の指示によるところでず……」
鼻水を垂れながら涙ながらに話す男が、ぐずぐずと説明を始める。旅行の途中で野営した際、夜中に襲撃があったらしい。わたしは気づかなかったけれど、……いや、なんか夜中に変な振動で起きたような。とにかく、度々我が家に傭兵を差し向けていたらしい。
「で、シェリエルを攫ったのもあなたです?」
「いえ! その、白髪の奴隷が入荷したのは、本当に偶然で!! ベリアルド家のご息女だとは知らず! 大変なことをしてしまったとッ!」
ぶへしッ!!と言葉が途切れたのはディディエの拳が男の鼻をへし折ったからだった。
「お兄様、手間が増えるのでおやめください」
「調べたのは僕なんだから、少しくらい良いだろ?」
ディディエは自ら男に治癒魔法をかけ、また殴っては癒し、何度かそれをくり返す。
悪い人のようだし、まあいいか。別に知り合いでもないし。
「そちらの領主はこのことを? うちのディディエの前で嘘は吐かない方が身の為ですよ」
「領主様はご存知ありません! ですから何卒! 何卒内密にッ!」
コクリと頷いたディディエにより、それが本当のことであると証明された。嘘発見機と治癒能力を備えるディディエは、拷問に向いているようだ。
「そうですか。いやしかし、事業を潰したのがベリアルドだと分かっていて、よく復讐しようなんて思いましたね。そちらの領地ではあまり我が家の話は知られていないんです?」
「その…… 野営地を襲撃した後の報告で気付きまして……」
もっとちゃんと調べようよ! 馬車に紋章だってあったでしょうに!
呆れて言葉を失っていると、男はつらつらと言い訳を続ける。
闇オークションは領主からも隠れて運営していた為、正規の私兵を使うことが出来なかったらしい。その為、奴隷や傭兵を使うしかなく、貴族の紋章についても知識が無かったらしい。
「ふむふむ、それで後に引けなくなったと? では、どうしましょうかねぇ。朝まで拷問を続けて穢れに堕ちたところを他の貴族に目撃させれば、上手いこと処理出来そうですけど」
「殺してしまうのです?」
「別に生かす理由もないでしょう?」
まぁ、これまで闇オークションで売られて行った奴隷たちを思えば、仕方ないと言えなくもないが。
「殺しても大きな利はないのでは? この先悪いことをしないという安心は得られはしますけど」
異を唱えたわたしに全力で男が乗っかってきた。
「ももももう絶対にベリアルド家の皆様に手出しするような真似は致しません! ですからどうか命だけは! 穢れに堕とすのだけはご容赦ください!」
男は勢いよく床に頭を打ち付け、必死に命乞いをする。
助ける義理もないけれど、これ以上悪いことをしたら本当に将来誰かに断罪されそうだ。
「闇オークションで奴隷を買った者たちの身元は分かるのですよね?」
「平民は身分証の確認と署名を必須としていましたが…… 貴族は偽名でのサインで処理しておりまして……」
記録が残ることにより、証拠を消すため客が闇オークションを潰す恐れがあったかららしい。結局、客であるセルジオに潰されたのだけど。
「貴族も全員分かるよ。筆跡から調べたからね」
「さすがお兄様です! では、奴隷として売られた人を全員取り戻してもらいましょうか。平民相手なら簡単でしょうし、保護した奴隷は全員クレイラに送りましょう」
クレイラの泥は研究が進んでいるので、あと半年もすれば市場に出せる。そうなると採掘要員が足りないのだ。男は髪色からも中位の貴族のようだし、これまで闇オークションを運営してきたのならば、それなりに使えるだろう。
「なるほど、たしかにそれは良い考えですね。間者にするには頭が足りてませんけど、それなりに兵も持っているようですし」
「一応、希望者だけにしましょうか。もしかしたら、今の環境を気に入っている者もいるかもしれませんし。あとは貴族に買われた者たちですよね」
「そっちは僕がやるよ。学院が始まったら暇になるから、その合間にでもね」
奴隷を救うというより、男の使い道を考えていただけなので、ディディエの負担になるのは本意ではないのだが、本人は暇潰し程度に考えているようなので任せることにした。
「必ずやお役に立ってみせます! それでお許しいただけるのであれば!」
「では働き次第でその後どうするか考え直しましょうかね」
その場でセルジオと隷属契約をし、男の傷を治療する。その前にもう何発か殴り付けていたディディエが久しぶりに悪い顔をしていたので、部屋の掃除は任せることにした。
儀式があるからとセルジオたちが部屋を去った後、文句を言いつつも絨毯を洗浄するディディエを眺めていた。
お兄様は頭脳派だと思っていたのに、案外暴力にも頼るんだな……
そんなことを考えていると、すぐに瞼が重くなってきた。
「ふぁ〜、やはり寝足りませんね。二度寝しても良いですか?」
「うん、まだ時間があるからゆっくりお休み」
掃除中のディディエを残し、わたしは再び眠りについた。
こうして初めてのヴァルプルギスの夜は終わりを迎えたのだった。





