修復
翌日、ベリアルド城の庭では各所で修繕工事が行われていた。
作業にあたるのは城の破壊に関与した者たち。
朝一で王都へ帰還しようとしていたダリアも監視塔の修繕に駆り出されている。
「改めて見ると酷いですね」
「あれだけ魔法を撃ち込めばね…… 杖の使い勝手は良かったかい?」
「はい! するする魔力が流れて、陣の完成度も上がりますね! とても気に入りました」
杖で生成した魔法陣はコンパスや定規を使ったような一切歪みのない美しい線で構成されていた。今まで気にならなかったが、手で発動すると微かに歪みが生じるようだ。
そのため、杖を使うと魔力の効率が良く、水球のような初歩的な魔法であっても格段に効果が跳ね上がる。理由はどうあれ実践で色々試せたのは良かったと思う。
「そうだ、この際洗いざらい喋ってもらいますからね」
焦げた枝を切り落とし、ユリウスが筋力強化を使って折れた幹を起こす。そこにわたしが治癒をかけると、メキメキと音を立てながらみるみる元の姿に戻っていく。
人や動物など複雑な仕組みの生き物はここまで損傷が激しいと治らないが、草木ならばある程度どうにかなるらしい。
「ガルドの脱獄を手助けしたのも先生でしょう?」
「そうだよ」
「危うく殺されるところだったのですよ? 少しはやり方を考えてください」
「君がそこらの人間に負ける筈ないだろう。それに近くにノアも控えていたから安全は確保してあったよ」
ユリウスは相変わらずこの調子だ。
結果的に不満はない。
もし、事前にリヒトの父親が冤罪で捕まっていると聞かされても、わたしは何もしなかっただろう。
「どうせダリア様を利用するつもりでやったことなのでしょう? ダリア様を処刑台送りにはしないでくださいね?」
「うん? 君はアレを嫌っていたんじゃないのかい? それに自らの欲のために、望んで力になりたいと言うのだから自己責任だと思うけれどね」
「そう仕向けたのは先生でしょう? 後味が悪いじゃないですか」
ダリアも苦手ではあるが、嫌いではない、と思う。知り合いが自分たちのせいで死ぬことになれば流石に嫌だろう。
ユリウスの目的は古代の資料だと言うが、やり方が極端過ぎる。
「先生、まさか世界征服とか企んでいませんよね? 多くの犠牲を出すような野望なら手助けしませんよ」
「君がそのような幼稚な発想まで持ち合わせているとはね。まあ、善処するよ」
人の心や命をただのリソースとして考えるユリウスは、ディディエに似ているようで根本はまったく違っているらしい。
ベリアルドは慈悲を持たず、他人に共感しない。けれど、身内を愛することは出来るので、他人が持つ感情を理解はしているのだ。
ディディエは分かっていて、それを気に留めない。
ユリウスはそもそも感情自体を理解していないように思う。
どちらが良いと言うわけでない。むしろどちらも最悪なのだけれど、「感情が閉じている」というディディエの言葉もあり、ユリウスの無自覚な残忍さは少し悲しいなと思った。
「先生は、オウェンス様のことはどう思っているのです?」
「オウェンスは…… 有能であるのは確かだし、代わりを見つけるのは難しいかな。そういう意味では大切に扱っているよ」
「先生、いつか人間らしくなれると良いですね……」
ユリウスは愉しそうに目を細め「君が教えてくれるんだろう?」と笑う。勘弁して欲しい。
これまで完璧だと思っていたユリウスが、ディディエよりも酷い感情音痴だったなんて、怒るのも馬鹿らしくなってくる。
最初は利用されるならこちらも利用してやろうくらいに思っていたが、そもそも情を知らない相手に張り合っても意味がない。
ボコボコになった土を均し、治癒の魔法をかけるとみるみる芝が伸びて来た。
「先生は人心の授業を受けてもあまり効果が無さそうですよね。善悪は分かっているのですもの」
「一応理解はしているよ。実は私もその教育は受けている」
「え? あ、だからお母様とお知り合いだったのですか」
わたしの存在を知るより前の事だったらしい。直接の面識は無く、ユリウスの親がディオールに人心の教育について相談したのだとか。
てっきり山奥でノアに育てられたのかと思っていたが、案外普通に貴族教育は受けているらしく、謎は深まるばかりだ。
けれど、ユリウスはそれ以上自身の話はしてくれなかった。
「塔はどうやって直すのですか?」
「瓦礫を撤去するくらいは出来るが、建築となると魔法ではどうにもならない」
「あれ? じゃあダリア様は……」
「同じく邪魔な物を魔法で排して、あとは大工に任せることになるだろうね」
自力で元に戻せるのはガルドだけのようだ。わたしたちは崩れた瓦礫をより分けながら、ひたすら別の場所に転送する。
「地味な作業ですね。魔法でパァ〜と直せないのです?」
「そんな都合の良い魔法は無いよ。どうしてもと言うなら君が考えれば良い」
ふむ。時間に関する魔法はまず属性が分からないので無理っぽい。重力に関する言葉が分かればパパっと一気に片付けられるのに。
「やはり古代の資料、欲しいですね……」
「だろう? 君なら分かってくれると思っていたよ」
「もう面倒なので、この一角全て転送しませんか?」
「いいのかい? 調度品なども残っているんじゃないのか?」
まだ残っている塔の下の部分を灯りの魔法で照らしながら確認したが、これといって部屋らしきものは見当たらなかった。
わたしの部屋はもう物を移していたし、最悪忘れ物があれば後で探せば良い。
「大丈夫そうです。丸っと消しましょう」
「よし、では詠唱を」
二人で祝詞の詠唱を始める。この規模の転送は本来複数人で行う大魔術であり、魔法陣しか存在しなかった。しかし、わたしが以前に祝詞に書き起こしていたのだ。
ユリウスはすべて記憶しているので、こうして詠唱で陣を生成することができる。旅行でずいぶん成長したな、と誇らしい気持ちで半壊した塔を送った。
「ねぇねぇ! いま凄い魔力が! って、塔丸ごと消したの!? 二人で!?」
綺麗になった裏庭にダリアが駆け込んで来る。さすが魔術士団長。監視塔の瓦礫は撤去し終わったようだ。
「そっか、空の加護もあるんだもんね! それにしてもやっぱ魔力量ヤバいなぁ〜」
ダリアは魔力の残滓を吸い込むように、塔の跡地に寝そべり、地面に頬擦りしている。
廊下が剥き出しになっているので、この後大工たちに塞いで貰わなければ。
「やっと終わりましたね。庭師や大工には申し訳なかったですが、治癒魔法の練習にもなって良かったです」
「いやぁ、ほんと、ベリアルドは図太いね〜」
「強行突破のために監視塔を破壊した人に言われたくありません」
ダリアはヒョイっと起き上がり、セルジオに報告してくると走り出した。
「わたしたちもお茶にしましょうか。ガルドにも聞きたいことがあるので、途中で拾って行きましょう」
ガルドのもとへ向かうと、何故かリヒトが生垣に治癒をかけていた。こちらに気付いたガルドが大慌てで何か叫んでいる。
「も、申し訳ありません! 俺では芽を生やすのがやっとでして!」
「ああ、それでリヒトがお手伝いを? 元に戻れば何でも良いと思いますよ」
にょきにょきと四方に伸び過ぎた生垣を、庭師が綺麗に切り揃えている。どうやらこちらもこれで終わりのようだ。
「皆でお茶をしましょう。お兄様やオウェンス様も誘いましょうか」
リヒトも一緒にと誘ってみるが、騎士団の訓練があるとかで断られてしまった。
訓練前にガルドの手伝いをするくらいには、関係も良好のようだ。後ろでぶわりと魔力の波動を感じる。
「ッちょっ! ユリウス様!? いきなり呼び出すのはおやめくださいとあれほど……」
移動中だったのか、つんのめりながらオウェンスがその場でバランスを取っている。わたしと目が合うと何事も無かったかのように姿勢を正した。
「シェリエル様とご一緒でしたか」
「突然申し訳ありません。お茶のお誘いだったのですけど、先生がこれほど無遠慮に呼び出すとは思わず軽率でした」
忙しいオウェンスを誘ったのは迷惑だっただろうか。オウェンスはにこりと笑みを作り、「光栄です」と了承してくれた。
共有のサロンに皆が集まると、オウェンスとガルドも着席するように促す。
「給仕は我が家のメイドに任せるので、どうぞお座りください。聞きたいこともあるのです」
ガチガチに緊張するガルドが甲冑を鳴らす横で、オウェンスは優雅にお茶を飲んでいる。こうしていると、従者とは思えない気品があり、この場に自然に溶け込んでいた。
静かにカップを置いたオウェンスが、真面目な顔でわたしとディディエを見つめる。
「シェリエル様、ディディエ様、この場を借りて謝罪させて頂きたく存じます。ベリアルド家の皆様に多大なるご迷惑をおかけしましたこと、大変申し訳ありませんでした」
従者であるオウェンスはすべて知っていたのだろう。そして昨日の一件のことも聞いているらしい。
パリン! と音がしたかと思えば、ガルドの手の中でカップを割れていた。どれだけ握力があるんだ……
「申し訳ありません! やはり自分は立っています!」
ガルドは飛び退くように席を立つ。無理強いするのも何なので、結局四人でテーブルを囲むことになった。
わたしは改めてオウェンスに向き直す。
「オウェンス様は、ユリウス先生のことを信じているのですよね。であれば、悪いのはユリウス先生なので、オウェンス様を責めるつもりはありません」
主の為に尽くすのが従者の仕事だ。間違っていると思えば、主を正すことも必要だが、主の正義を信じているのであれば仕方のないことだと思う。
「シェリエル様のお心の広さに、ユリウス様も救われたのですね…… では、本日はなぜ我々がこのような席に?」
チラリとガルドを見ながら、オウェンスが目を軽く開く。
「互いに事情を知りながら顔を合わせるのも気まずいでしょう? だから一度話しておきたかっただけですよ」
そこからは和やかなお茶会となった。オウェンスは日頃どれだけユリウスに酷使されているか零し、ユリウスは澄ました顔で「だからどうした」と相手にしない。
ディディエはそんなユリウスをニコニコと観察していた。
「ガルドはユリウス先生の手引きだと気付いていたのですか?」
「は、はい…… 最初は悪魔の遣いなど半信半疑でしたが、こちらでユリウス様のお色を拝見した時、すべてを悟りました」
ここでディディエがカップも持てないくらいに肩を揺らして笑いはじめた。嫌な予感がする。
「フハハッ! まさか、ユリウスが悪魔だと?」
「失礼しました! 他言無用だとセルジオ様からは言われていたのですが…… 皆様ご存知なのですよね?」
「アハハハハッ! なるほどね、うん。みんな知ってるから大丈夫。気にしない、で!」
ユリウスが眉を寄せ、ディディエを睨みつけていた。実際、ユリウスの情緒は人のそれではないので、悪魔と言われて良い気味だ。
「ユリウス様に心酔する者は少なくないのですが、まさか悪魔と知った上で下僕となるとは……」
オウェンスも面白がっているのか、特に訂正はしない。
「その者たちは従者にしなかったのです?」
「ええ、大抵途中で死んでしまいますからね」
ヒィ…… でも分かる、わたしも夢で死んじゃったし……
「言っておくが、勝手に死んでしまったんだ。私が手を下したわけではないよ?」
ユリウスが眉尻を下げ、困ったような目で訴えてかけてくる。
「先生、そういうのは結構ですから、早く人としての情緒を育ててください。形だけ真似してもダメですよ」
その途端、スッと元の涼しげな目元に戻り、軽く舌打ちして目線を逸らした。
「シェリエル様は構わないのですか? 私が言うのもなんですが、ユリウス様はあまり良い性格とは言えませんよ?」
「ベリアルドで慣れてしまったみたいです。性格の悪さはお兄様と良い勝負ですから」
オウェンスは目を丸くして、どこか別の世界へ行ってしまったかのようにボーッと動きを止めた。オウェンスをこちらに引き戻したのはディディエの声だった。
「だいたいさ、昨日シェリエルが怒ったのだって、ユリウスに大事にされてない〜とかいう子どもの我儘だろ? 僕の妹はまだまだ可愛い盛りなんだなと嬉しくなったよね」
みるみるわたしの頬が熱を持つ。きっとわたしの顔は蒸気が出そうなほど真っ赤になっているはずだ。
「お兄様ッ! そんな単純な話ではないのです! お兄様だって他人に利用されたら怒るでしょう!?」
「何言ってるの? 利用しようと思って近付く奴は、使えそうなら逆に利用するし、使えなければ処分するだけだよ? まあ、相手の思惑に気付かずに後で知ることになれば、羞恥で当たり散らしたくなるのも分かるけどね」
「はい???」
コクコクと頷くユリウスに、またも殺意が戻って来そうだ。わたしが悪いの? わたしが間抜けで我儘だと?
いやいや、ここで怒るのは不味い。昨日の今日でサロンを破壊したら、完全に自制の効かない問題児になってしまう。
「ふむ、やはりベリアルドの扱いはあれで間違い無かったようだね。ではシェリ……」
「先生、またぶっ飛ばされたいんですか?」
ぎろりと睨み付けると、ユリウスはシュンと口を噤んだ。その後は懇々とお説教だ。今日はオウェンスが居るので、とても心強い。
「ーー二人とも分かりましたか!? 無闇に他人を傷付けないこと! 周りの迷惑を考えてください。良いですね?」
「無闇に、とはどの程度かな?」
「お兄様みたいなことを言わないでください! しかも四年前ですよ! ユリウス先生こそ子どもではないですか!」
勝ち誇ったようにユリウスを見遣るディディエは、自分たちがいかに低レベルな争いをしているのか分かっていないようだ。
もう疲れちゃった…… 最悪、法律に違反しなければ良いかな…… 自己責任だし、わたしに罪はないよね……
この日、人心の授業では人の心は育たないのだと知った。





