限界突破
数日お休みとなっていた魔術の授業が再開した。ユリウスは魔力拘束の魔導具を調べていたようだ。
てっきりわたしに解読させる気なのだと思っていたけれど、ユリウスは魔法陣を見せてはくれなかった。ダリアをディディエに押し付けることも出来ず、わたしたちは塔の横にあるいつもの広場へと向かう。
「先生、授業内容はダリア様に知られても良いんですか?」
「ああ、杖を使った魔法の練習だから、特に問題はないよ」
「出来たのですか!」
「遅くなってしまって、すまなかった」
ユリウスが細長い木箱を取り出し、丁寧に蓋を開け見せてくれる。
新雪が太陽の光を反射するように、キラキラと輝く真っ白い杖が入っていた。シンプルだが手持ちの部分には薔薇と蔦の彫刻が施され、芸術作品のような美しさだ。
「素敵な杖です…… 本当にありがとうございます! 大切に使いますね!」
「うわぁ〜、これ凄いね! 素材は何なの? 塗装じゃないよね?」
森の主の話は濁して、旅の途中で見つけたと説明する。シエルを拾ったときにドラゴンの鱗でも拾ったのだと勘違いしてくれた為、そのままにしておいた。
「でもさぁ、白って本当に居るんだね! 悪魔の森に入れたら見つかるかもしれないのにな〜!」
「魔術士団でも悪魔の森には入れないのですか?」
「うん、まず立ち入り禁止区域だし、土地の魔力が濃過ぎて方向感覚も狂うんだよね。従魔との契約にも干渉するみたいで、多分奥まで進むと帰ってこれないよ」
ダリアは何度か森に入ったことがあるらしい。ほとんど進めず、今では諦めたらしいのだけど。それを聞いて、ユリウスは呆れたように深いため息を吐いていた。
「では、杖を使った魔術の練習をはじめようか。まず、その杖を握って自分の魔力を満たしてごらん。君の魔力で染まると、身体の一部のように感じるはずだよ」
言われた通り、杖を手に持つ。しっくりと手に馴染み、この時点でもう杖との境界が曖昧なくらいだ。魔力を少しずつ込めていくと、何の引っ掛かりもなくするすると杖に吸い取られていく。しばらくそうしていると、ある時フッと手の中から杖が消えたような感覚が訪れた。
え、手に持ってるよね? 消えてないよね?
「染まったみたいだね。普段の半分くらいの魔力で水球でも作ってみるといい。手のひらではなく指先に魔力を込めるように、杖の先を意識するんだ」
内なる次元で魔法陣を展開させ、杖の先を意識しながら魔力を込める。魔力が陣を通過すると同時、杖の先にも魔法陣が出現し、そのままバランスボールくらいの水球が出来上がった。
「あれ…… こんなに大きくなるはずでは……」
「なるほど、属性が同じだとかなり効率が上がるようだね。いや、素材の質も関係あるのかな。興味深い」
「これではあまり魔力を消費出来なくなりますね」
シエルが居てくれて本当に良かった。これほど効率が良いと、すぐに魔力が溜まってしまいそうだ。
ダリアがやけに大人しいと思っていたら、声も無く水球を見つめ固まっていた。
「ダリア様、どうかしました?」
「し、シェリちゃん、本当に七歳なんだよね? こんな大きな水球、どうやったら形を保っていられるの……」
ダリアの声は震えている。いつもと様子が違うので、少し不安になってきた。が、ダリアが水球に触れようとするので、ひょいと上空へと持ち上げる。
「えっ! ちょっと! 触らせてよ! もうッ!」
ぴょんぴょんと飛び跳ねるダリアに満足したので、目線の高さまで下ろしてあげると、躊躇いもせず服のまま腕を突っ込んでいた。温水にはしていないのに、冷たくないのだろうか。
「凄い、本当に水だ。まるでガラス玉みたいなのに、ちゃんと水なんだ…… こんなに強固な祈りは初めて見たよ。シェリちゃんは…… 信じてるんだね、神を」
どこか諦めたような壊れかけの笑顔のダリア。わたしにはその笑顔の意味が分からなかった。
「神々は存在するのでしょう? と言っても、信仰心はそれほど強くないと思いますけど……」
「洗礼直後だからかな? 祝福で得るあの感覚をずっと持っていられると、祈りの力は強くなるみたいなんだ」
そういえば、イメージ力って祈りって言われてるんだっけ?
物質をイメージするのに神も仏も無いと思うのだけど、神に祈るという概念があるせいで、イメージ力が落ちているんじゃないだろうか。
「ダリア様は祈りをどう考えているのですか? 実際に魔術を使うときに神々のことを考えていたりします?」
「え? 祈りは祈りでしょ? 水球なら、水の神がこう、両手で水球を授けてくれるみたいな姿を思い浮かべてるよ。アタシは冷たい感じの男神を想像してるんだけどさ、自分の想像なのにちょっと怖くて苦手なんだよね」
ハハッと何かを誤魔化すように笑うダリアは、水球から腕を引き抜くと、スペルを唱えて小さな水球を作り出した。わたしは自分の水球を遠くに投げ、ダリアのそれをじっくりと観察する。
「ダリア様もキレイな水球じゃないですか。わたしのと変わらないでしょう?」
「いやいや、この小ささだからだよ。ちょっと見ててね」
そう言って、小さな水球を落とすと、今度はわたしが作ったものと同じくらいの大きな水球を目の前に浮かべる。しかし、ぼよぼよと弛む歪な水の塊は、風の影響か魔力の乱れなのか、忙しなく形を変えていた。
「ほら、球にならないでしょ? これでも良い方だけど、これがわたしの限界だよ。うちの団でもこの量だと形を維持出来るのは限られてる。だいたいがザバッと出して終わりだもん」
「うーん、なるほど。ダリア様、男神の姿は一旦忘れて、わたしの作った水球だけを想像してみてもらえませんか? 一度見たので想像しやすいと思います。水の感触や温度も込みで、ただ水球だけを強く思い描くんです」
「え、祈りなのに?」
ダリアはしばし目を閉じ、もう一度スペルを唱える。すると、表面は微かに波打っているが、先ほどの激しく変形する水の塊よりは、球に近い形になっていた。
「えっ! なにこれ! 祈りってシェリちゃんに捧げるべきだったの⁉︎」
「そんな訳無いでしょう……」
その瞬間、ドシャッとその場に大量の水が降って来た。せっかくわたしが遠くで処理したのに、ダリアは気を抜いたようだ。先生の生徒だったらしこたま怒られるぞ!
ユリウスが温風で乾かしてくれたので、身体が冷えることはなかったが、ダリアはずぶ濡れのままさっきわたしが作った水球のあった場所を見つめている。
「ダリア様、乾かさないと風邪をひきますよ」
「…………」
ダリアの返事はない。もう一度水球を作ろうとしているのだろう。スッと笑みが消え、髪から垂れる雫が目に入るのにも気付いていないようだ。
静かにスペルを唱えたとき、キンッ! とガラス玉のような水球が、それも、わたしが作ったものを完全に再現するように、宙に浮かぶ。
さすが、天才と呼ばれる魔術士団長だ。
「シェリちゃんは…… 神様だったの?」
「はい?」
またふざけた事を……
しかし、ダリアは呆けた顔を一瞬微笑みに変え、そして、ぐしゃりと崩して目尻から水滴を零した。
「アタシさ、神様、キライなんだよ。こんなに魔法が大好きで、魔術が楽しくて仕方ないのに、なんで中位に生まれたんだろって。不公平じゃん。魔力がもっとあったら、もっと色んな魔法が使えたのに。ギフトも無いし、神様に嫌われてんのかなって。そんなだから、祈りが足りてないのかなって、思うことも…… あったんだよね」
ダリアの頬を伝う水滴が、次第に小さな水流となって顎から滴り落ちる。
ボロボロと溢れるダリアの言葉は、神への懺悔のようで、祈りのようでもあった。
「必死に勉強してさ、必死に神様好きになろうとしてさ。もっと魔法で遊びたいし、もっと色んなことしたいよ。 ここまで来れたのは、やっぱり神様が見てくれてたのかなって思ったりもしたよ? でも限界ってあんだよね。 その限界、今超えちゃったよ…… シェリエル、ありがどう…… アダジ、もっと魔法、好きになっだ!!」
ぐずぐずに泣き崩れるダリアに温かな風を送る。普段の我儘で無神経なダリアも、様々な葛藤を抱えていたんだなと、少しだけ見方を改めた。
「ダリア様、きっと、これからもっと魔法が好きになりますよ」
「ジェリエル〜! もじかして、まだ何かあるの〜!?」
わんわんと子どものように泣きじゃくるダリアに、無詠唱を教えると面白いことになりそうだ。魔術が楽しくて仕方ない気持ち、分かり過ぎる……
「シェリエル、それ以上はダメだよ。コレが持つものすべて吐き出させてからじゃないと」
ユリウスが悪魔のような微笑みを浮かべていた。まさか、この為に授業の見学を許したんじゃ……
「すぐに! すぐに掻き集めます!! 持てる権力のすべてを駆使して必ずお役に立ちますので!」
「良いのです? 極刑になるってマルセル様が言ってましたよ?」
「大丈夫だって! アタシ天才だよ? そこんとこ上手くできなきゃ、団長なんてやってらんないっしょ!」
軽いな〜。三十路近い大人の反応とは思えない。
この人本当に分かってるのかな? わたしも大概、罪を重ねて来ているんだけど、身分詐称や神官の戸籍改竄とは比べ物にならないだろう。あ、そういえば、ガルドを匿った罪も増えたんだった。どっちもどっちか……
「ユリウス先生も! あまり悪いことはしないでくださいね?」
「悪いことというのは? 罪を犯すのはこの女だよ?」
この王国に教唆を罪に問う法律ってあったっけ? 法律関係は大枠しか習っていないのだが、早々に勉強した方が良さそうだ。どうもわたしの周りにはギリギリで生きる人が多すぎる。
前世の常識との擦り合わせも、早めにしておかなければえらいことになりそうだ。
「お任せください! ここで粘ってもこれ以上は教えて貰えませんよね?」
「そうだね、役に立つことを証明して貰わないと話す気にはなれそうもないかな」
「はい! じゃあ今すぐ帰ります!! シェリちゃん、またすぐ戻って来るから! 転移門使えばすぐだしね!」
赤みを帯びた目は希望に満ちている。これからやる事には不釣り合いな明るさだ。
「本当に大丈夫でしょうか…… 王都に帰って即捕まったりしませんかね」
「大丈夫だろう。マルセルはあの女を好いている。それに、彼は忠義より正義を取るはずだよ。女を守ることが正義だと信じれば、死ぬ気で守るさ」
「先生に男女の機微が分かるのですか⁉︎」
「見ていればすぐに分かるだろ? 気付いてないのは君だけじゃないか?」
そんなバカな…… たしかに、マルセルはダリアのためにわたしの髪を持ち帰ろうとしたり、甲斐甲斐しく世話をしていたけれど。
ディディエ並みの観察力に、自分が鈍いのかと不安になる。
いや、不安なのはそこじゃない……
マルセルに止められ、「やっぱ無理でした〜」などと言いながらダリアが戻ってくるよりも、本当にユリウスのために資料を持って来る可能性の方が高いということだ。
国家機密の横流し、そして極刑。仮の記憶が頭の中で反響する。
『この女は婚約者の立場を利用して国家機密を逆賊共に流していたのだ。よって、この後国王陛下から正式に処罰されるだろう。まぁ、死刑は確実だろうな!』
わたしは無意識に胸の中心を押さえていた。
「先生は、わたしを殺すつもりですか?」





