新しいパック
ダリアが来て数日、すでにマルセルは隊を率いて帰還していた。一人居残ったダリアは、飽きもせずわたしの周りをうろついている。
本部から書類が送られてきているはずなのだが、きちんと執務はしているのだろうか。
身分に拘らない性格故に、調理場での作業にもついてくるので大変迷惑している。
「シェリちゃん、それは何をしてるの?」
「メレンゲというものを作って貰っています」
「メレンゲってシェリちゃんが考えたんだよね? あれ好きだよ」
いくら褒められても絆されたりはしないんだからね!
透明だった卵白がもこもこと泡になって行くのが面白いらしく、ダリアは子どものように目をキラキラさせて覗き込んでいた。
「なんかさ、身体洗われるときも泡になってたんだけど、シェリちゃん泡好きなの?」
「たまたまです」
ふつうの石鹸はほとんど泡だたない。まして、石鹸を使ったことすらないダリアには珍しく思えたのだろう。絶え間なく飛んでくる質問に答えながら、コルクの作業を見守った。
ここ数日メイドに試して貰っているが、効果は上々のようで無事ディオールに試してもらうことになったのだ。治験者には別途給金を支払っているが、あまりに人気が高すぎて、毎回数人を選出するのが大変な事態となっている。
「今回はお菓子ではなく、お母様用の美容パックを作っているんです」
「へぇ〜! シェリちゃん商会の仕事もしてんだよね? 小ちゃいのにすごいなぁ」
「難しいことは補佐官がしてくれているので、わたしは少し口を出す程度ですよ」
「美味しそう、食べれる?」
「んん…… 食べられますけど、美味しくはないはずですよ」
「じゃあなんでレモン入れたの?」
「美容効果が高いんです。シミとかシワとかいろいろ…… まあ、日光を浴びると良くないと言われますが、貴族は外を歩かないので大丈夫でしょう。そもそもスペシャルケアですしね。朝の簡単パックとはいきませんから。あとは少しの香り付けですね」
「、? なんかよく分からないけど、わたしはダメなやつだ?」
「夜なら大丈夫ですよ。ダリア様も朝は魔法で洗浄して終わりでしょう?」
「そうだね、朝に顔を洗うくらいはするよ! シェリちゃん薬草学も得意なんだね」
「あ、薬草学? に近いのかコレ……」
パック用のメレンゲには蜂蜜とレモンを入れている。
見た目は前世のレモンの五倍くらいはあるが、味も香りも似ていたので、化粧水研究のときから効果や副作用を検証していた。
なんとなく調子が良いとか、なんとなく肌がパッとしたとかその程度だが、まあとりあえずというところ。
その点、蜂蜜の効果は想定外の凄さだった。
特に、魔力を含む花の蜜を集めた蜂蜜など、唇パックをすると数分でぷるぷるになるほどの効果がある。保湿なら蜂蜜だけでも良いのだけれど、今回は毛穴ケアということでメレンゲパックに混ぜ込むことにしたのだ。
出来たばかりのメレンゲを持って、ディオールのトリートメントルームへと向かう。この二年でディオールは地下にスパのような部屋を作り上げていた。
半地下となっているトリートメントルームには薄く光が差し込み、足元を灯りの魔導具が淡く照らす。柔らかい薔薇の香りがなんとも優雅な気持ちにさせてくれる、リラックス空間だ。
大理石で造られた長細い台は、マッサージと洗髪をするためのもので、岩盤浴のように魔力で温められるようになっている。
三人ほど入れそうな浅い円形の浴槽が床に埋め込まれ、ディオールが寛いでいた。
「お待たせしました、新しいパックです」
「ふふ、待ちかねたわ」
メイドにメレンゲを渡し、ディオールの顔に乗せてもらう。泡も潰れず、きちんと顔に乗っているので成功のようだ。
といっても、メレンゲパックは失敗しようがない。前世でも卵黄だけ使った時なんかに、余った卵白をそのまま洗顔ネットで泡だててパックしていたので、特別難しいことはしていないからだ。
「途中で肌に違和感を感じたらすぐにメイドに言ってくださいね」
「ええ、分かってるわ。後でお茶にしましょう。上で待っていて?」
わたしは扉の外で待つダリアを回収し、ディオールのサロンへと向かった。
こうして二人で過ごすのも気にならなくなってきた。人の話を聞かない人間には慣れていると思っていたけれど、ダリアは話が通じないというより単に我儘だった。
しかも、無駄に頭が回るせいであらゆる理屈を捏ね食い下がってくる。結局、好きにさせるしかないのだと悟り、少しだけマルセルに同情した。
「ダリア様は何故ユリウス先生に弟子入りしたいと思ったのですか?」
クッキーを齧るダリアに、今更な質問をしてみる。わたしから彼女に質問するのはこれが初めてかもしれない。
「え、だってあの子……じゃないや、ユリウス様ヤバいでしょ! あれだけの魔力をほとんど外に漏らしてないんだよ? しかも、上位貴族のマルセルが当てられるほどの魔力を範囲指定で解放するし、魔力操作だけでもアタシより上手いんだもん」
ユリウスの凄さは理解していたつもりだが、現魔術士団長であるダリアが言うのだから、余程のことなのだろう。
「シェリちゃんも魔力多いよね。そっちに気を取られてユリウス様は無警戒だったからビックリしたよ」
「わたしは根源の口が開きすぎたようで、制御すると石化してしまうらしいのです。今は垂れ流し状態ですね」
最近、無意識下でも全身に魔力を循環させられるようになったので、石化の危険度は下がっている。夜もシエルと寝ていれば、しばらくは大丈夫らしい。
「石化⁉︎ それ、大丈夫なの⁉︎ 精霊と契約するか、魔力を封じるしかないよね」
「魔力を封じることなんて出来るのですか?」
「うん、貴族の罪人は魔力の根源から封じて平民に落とすことがあるからね。貴族としては生きられなくなるから、石化は貴族にとって死と同義みたいなもんなんだよ」
一応精霊と契約する以外にも方法はあったのか。ユリウスが知らなかったとは思えないので、きっとあの時のわたしの意向を汲んでくれたのだろう。
魔法が使えるようになりたいと言ったのは、わたしだし。
「今は魔力の調整と、あとドラゴンの子を拾ったのでその子に魔力を吸わせて調整しているんです」
「へぇ〜、って、ドラゴン⁉︎ 居るの⁉︎ 見たい!!」
ガタンッ! と大きな音を立ててダリアが立ち上がる。ついつい喋りすぎてしまった。
でも、分かるよ…… ドラゴンが居ると分かって、会いたくない方が理解できないもの……
あまりシエルを放置するのも不安なので、一度ダリアを自室に招くことにした。本館へと移ったのでそれほど時間もかからない。寝ているシエルを起こさないように、静かに部屋へと入ると、パタパタと部屋を飛び回っていた。
「あら、シエル起きてたの。ごめんね、寂しかった?」
「うっわぁ〜! 本物だ! 生のドラゴン初めて見た!」
シエルは上手にわたしの腕の中へと着地し、翼を畳む。すました顔でダリアを見つめていた。
「はぁあぁ! ヤバいかわいい! なにこれ、めっちゃ大人しいじゃん!」
「そうでしょう、そうでしょう? シエルは本当にお利口なのですよ」
ドラゴンの可愛さを理解してくれる人は初めてだった。皆、怯えるか警戒するかのどちらかなのだ。ユリウスは唯一慣れた様子だったが、そこらへんの魔獣くらいにしか思っていない。
「抱っこしてみますか? シエルもダリア様に興味があるみたいです」
「いいの⁉︎」
ダリアは少し腰を落とすと、慎重にシエルを受け取った。人の好意が分かるのか、シエルも大人しく抱かれている。魔術士のローブに付いた飾りをガジガジと甘噛みしはじめた。
「はぁ〜、かわいいぃ〜! でも、ダメだ。すっごい魔力吸われる。シェリちゃんよく平気だね」
「そうなのですか…… やはりドラゴンは魔力を糧にするのですね」
「ドラゴンが魔力を吸うなんて初めて聞いたよ」
「ダリア様、もしドラゴンの討伐があっても、出来れば悪魔の森に誘導してあげて貰えませんか? 血肉を好むわけではないので、魔力の高い者が誘導すれば魔力の多い地で大人しく過ごしてくれるはずなのです」
わたしたちが生きている間にドラゴンの討伐騒ぎになるか分からないくらいだが、知識として残しておいてもらうだけでも違うだろう。
「いいね、討伐だと隊の全滅も有り得るし、マルセルあたりを囮にするよ!」
ニカっと笑うダリアに、初めて好感を持った。いや、別に嫌っていた訳ではないのだけど……
シエルを抱いたままディオールのサロンへと戻ると、お茶会を再開する。
「ディオール姉様はドラゴン平気なの?」
「あ、そういえば、まだ会わせていませんでした…… 怒られたらどうしましょう」
ドラゴンを拾ったという話はしていたが、食事の時間はお留守番して貰っているので紹介する機会が無かったのだ。「大丈夫じゃない?」とダリアが笑うので、シエルも一緒にディオールを待つことになった。
「待たせたかしら?」
ピカピカに磨き上げられたディオールが入室する。緩くウェーブした真紅の髪が艶を増し、肌は不自然な白ではなく、血色の良い瑞々しさだ。
「泡パックは如何でしたか?」
「ええ、以前のパックとは比べ物にならないわね」
そりゃあそうだ。碌に顔も洗わず、血液を塗って拭き取るだけなんて、余計ガビガビになるだろう。あのイメージを持たれたままだと、この次の計画に支障があったのだ。
「お母様、もしかして白粉をしていないのですか? ツヤツヤですね」
「そうなのよ! あの泡のパック、とても良いわ。毛穴も目立たないし、もうわたくしに白粉は必要ないと思って!」
「姉様、ほんとーに、世界一美しいです! 魔法は使って無いんですよね? ヤバい薬草でも使ってるんですか?」
ダリアの賛美に気を良くしたのか、ディオールに初日の険悪さは無い。ここ数日、毎日入浴させたおかげかもしれないが。
ちなみに、ダリアは未だに浴槽が濁るらしい…… 初日は湯が灰色になったと、嬉しそうに報告してくれた。
「シェリエル、あのパックも商品化するつもり?」
「いえ、生モノなので販売は難しいですね。簡単に出来るので、お母様の懇意にされている方にはレシピとやり方を教えるだけで良いかと思います」
「ふふ、気が利くわね」
わたしにはまだ関係ないが、これくらいの情報でも社交界では充分な武器になるらしい。元々ディオールの美しさとカリスマ性、審美眼によって、求心力は高かったが、ここ最近は美の女神として崇められている。
よしよし、パックは気に入って貰えたみたいだ。ダリアは美容に興味がないようなので、そのまま本題に入る。
「先日、旅行中に見つけたクレイラの泥の件なのですが、そちらを化粧品、美容品として販売したいと思っています。試作品をお持ちしたので、少し試してみませんか?」
「シェリエルのことだから疑うわけではないのだけど、泥を顔に塗るなんて汚くないかしら?」
「泥と言っても粘土を加工して作るのです。現地では治療に使われているので、衛生的には問題ありません。もちろん、いつものようにメイドに試験もさせています」
ダリアは何の話か分かっていないようだが、一応口外するなと念を押しておいた。
クレイラから持ち帰った粘土たちは、乾燥の魔導具を使って一度粉にし、砂利など不純物を取り除いて更に細い粒子とするため粉砕する。あまり乾燥させ過ぎても良くないらしく、そこらへんはまだ調整中だった。
チョコレートも粘土も、どれだけ粒子を小さく出来るかが肝になるので、粉砕の研究は一挙両得、一石二鳥というわけだ。
乾燥させ粉にすると、色の違いがハッキリした。それらを混ぜ合わせることでファンデーションにもなる。治癒の効果がある桃色の粉を蜂蜜やフローラルウォーターで伸ばし、パックにする。
何を配合するかはまだ研究中だが、一応それっぽいものが出来たので、ディオールにお披露目となったのだ。
別のテーブルに湯桶と布を用意してもらい、移動を促す。立ちあがろうとしたとき、膝の上で眠るシエルの存在を思い出した。テーブルから顔を出したシエルと、ディオールが見つめ合う。
「あら、それが例の…… 美しい鱗ね。首飾りにしたいわ」
美しければ何でも良いのか…… とにかく、怒られなくて良かった。いや、知らぬ間にシエルの鱗を毟り取られないか心配になってきた。
「生え変わりの際はお母様にも差し上げますので……」
「シェリちゃん! わたしも欲しい!」
叫ぶダリアを無視して、改めて隣のテーブルへと案内する。ディオールの手を借り、試作のクレイパックを手の甲に塗った。
「あら、滑らかね。ザラ付きもないし、ピッタリと肌に吸い付くようだわ」
「はい。しばらく置いてから洗い流します。今日お試しいただいた泡パックよりも汚れの吸着力が高いのと、少し魔力を含んでいるので肌荒れにも効くようです」
すぐに二人の目の色が変わった。ダリアは美容に興味が無いどころか、身だしなみすら億劫だと言っていたのに。試してみたいのだろうか。
「シェリちゃん、それって魔鉱石を砕いたってこと? どんだけ贅沢するの⁉︎」
「粘土ですよ、もしかしたら別の場所では鉱物になっているかもしれませんが、人が入れる場所には粘土しかないようなので」
「待って、粘土にも魔力が含まれるって凄い発見だよ!」
「あら、では内緒にしておいてください」
泥に難色を示していたディオールも期待の眼差しで手の甲を見つめている。
優しく湯桶で洗い流し、軽く布で拭くと、ふっくらとハリのある透き通った肌に生まれ変わった。なんか、こういうのテレビショッピングとかで見たな……
もう片方の手と比べるよう促すと、ディオールは両手を光に当てながらうっとりと恍惚の表情を浮かべた。
「さすがシェリエルね、なんて恐ろしい子なの……! 手先は年齢が出るのよ、それが見なさい、このハリとツヤ…… 素晴らしいわ」
「保存可能な材料の組み合わせと、より効果が出るように研究中なのです。この泥パック、販売してもよろしいでしょうか」
「一級品と市販品で分けてちょうだい。市場に広めるのは時期を見るわ」
「畏まりました」
よかった、かなり気に入ったみたいだ。ディオールは自身の気に入ったものは一年ほど自分の周りに独占させる。そうして周囲の羨望が集まったところで徐々に流行として広めていくのだ。
菓子などはそれほど思い入れがないのか、半年ほどで大規模なお茶会に手土産として持ち込んでいたらしい。
「ちょっと、待って、母娘の会話じゃないでしょ…… シェリちゃん何者なの!」
「ダリア、ここがどこだか忘れたの? ベリアルド家では普通のことよ」
ゆっくりと口角を上げるディオールは、妖しげな色気を纏ってダリアを黙らせた。





