襲撃
――ガキンッ!!
囚人の剣は見えない壁に阻まれ通過することはない。しかし、身体の芯からビリビリと揺さぶられるような感覚に襲われる。
ここが破られるとメアリとサラが危ない。出るべきか、大人しくセルジオの到着を待つべきか……
「出てこい小娘! 殺してやる!」
怒り狂うその囚人の周囲には砂埃のような何かが渦巻いている。騎士たちが四方八方から斬りかかるが、少し傷を付けるくらいで囚人の動きを止めるには至らない。
「シェリエル様、後ろにお下がりください」
「いえ、出ます」
すでに立ち上がれなくなっている騎士もいる。セルジオの知り合いのようだし、わたしに用があるなら話を聞こうじゃないか。
スッと、結界を抜けると、冷たい風が肌を刺した。
「わたしに何の用でしょう」
「悪魔め! 何故そうも平然としている! 人を殺しておいて優雅に茶など飲みやがって!」
はて? わたしはまだ誰も殺していないはずだけど。
耳を裂くような金属音とともに、ぶわりと風圧が押し寄せる。振り下ろされた囚人の剣を、リヒトが目の前で止めていた。
細い身体で上手く男を弾き返す。
「それ以上、この方に近づけば殺す」
静かに言い放つリヒトは、見習いとは思えない落ち着きがあった。普段の控えめな弱々しさはない。燃えるような殺意を纏って囚人に対峙する。
正規の騎士たちでも足止め出来なかった相手だ。さすがにリヒトだけでは厳しいだろう。ここでの最善策は、セルジオが来るまでの時間稼ぎ。
「人違いでは? 身に覚えがありません」
「何だと!? クソッ、兄の方か!」
「兄もたぶん、人を殺してはいないと思いますけど」
たぶんね…… 知らないところで何かやらかしていたらどうしよう。
話の合間にも、リヒトと囚人は激しく剣を交えている。囚人がわたしに気を取られているから、リヒトに対しては本気を出していないようにも見えた。
しかし、何か引っかかる。……そういえば、わたし神官を殺したことになっていたんだっけ。
「嘘を吐くな! こんな幼い子どもまで戦わせやがって!」
リヒトは子ども扱いされたのが気に障ったのか、地に足がめり込むほど蹴り、一直線に首を狙った。流石に男も片手では受け切れないのか、剣を両手で持ち、ギリギリのところで刃を止める。
「もしかして、神官のことかしら?」
「そうだ! まさか他にも手にかけたのか!」
「貴方、彼の父親?」
その瞬間、二人は剣を交えたまま固まり、囚人はぐぬぬと唇を噛む。
ああ、そういうことか。
「全員下がってください。騎士も魔術士も、離れるように」
「危険です! シェリエル様こそ、早くお逃げください!」
彼らの仕事はわたしを守ることだ。この状況で、ハイそうですかと下がる訳にもいかないだろう。
しかも、身分は私の方が上だが、直接の主人ではない。仕方なく、この場で防音の魔法を発動させた。
「彼は生きてるわ」
「何だと?」
既にリヒトは気付いているのだろう。しかし、剣を引くことはなく、戸惑いの表情で囚人を見つめる。
「今剣を交えている彼が、死んだことになっている元神官。貴方の子ということになるけれど、剣をおさめてくれないかしら」
「そんな馬鹿な…… あの子が生きているなど……!」
リヒトは何も言えずにいた。リヒトが父親のことをどう思っているのかは分からない。ただ、牢を破り、ここまで単身乗り込んで来た事からも、男がリヒトを想っていることはわたしにも分かった。伸びた髪と茂る髭のせいで、彼の顔はほとんど見えない。
「一度も会ったことないのよね? 顔が似ているかも分からないけれど……」
その時、やっと囚人がわたしからリヒトへと視線を移した。ジッと顔を見つめ、怒りに燃えていた瞳が困惑の色に染まる。
既に殺意は無い。男はダラリと腕を下ろした。
「本当だ…… アズラに良く似ている…… 生きていたのか、そうか……」
ぐしゃりとその場に崩れ落ち、シュルシュルとあたりの砂埃が消え去った。
そんなことを思いながら、リヒトの剣を下げさせる。
「お父様みたいね。少し話をする時間くらいはありそうよ」
リヒトはしゃがみ込む父に声をかける。
「何で今更…… こんなところまで…… アンタのせいで、俺がどれだけ……」
「すまない、どうしても許せなかった、お前が殺されたと聞いて…… これまでどんな扱いを受けていたかも知っている。本当にすまない」
熊のようだと思っていた男がとても小さく見えた。ボロボロと涙を落としながら、リヒトの顔を見ることさえ出来ないようだ。
当のリヒトは口調も荒く、これほど怒る姿を初めて見た気がする。わたしは不謹慎ながら、どこかホッとしていた。
リヒトはきちんと怒れるようになった。理不尽に耐えるだけではなく、自分の感情を外に出せるようになったのだ。
「アンタは父親なんかじゃない」
「……そうだな。だが、俺は罪は犯していない。無実なんだ。だから、お前に犯罪者の血が流れていない事だけは分かってくれ」
冤罪? そんなことあり得るのだろうか。ディディエが居れば嘘か本当か分かるのだけど……
リヒトはブルブルと拳を震わせながら、父親を睨み付けている。
「そんなことより、シェリエル様に謝れ! 俺を救ってくれたお方に無礼な真似は許さない!」
ええ…… 今もっと気になる話をしてたでしょう?
男は片膝を立て頭を垂れる。このまま首を落とされる覚悟があるらしい。
「この罪、許されるとは思っていません。この命で償わせていただきます」
「大した被害はないようですし、少し話をしましょうか。後で庭師には謝ってくださいね」
兵士も騎士も大きな怪我はないようだ。無惨に荒らされた庭が一番の被害者だろう。ここに来るまで人を殺していないといいけれど。
それはそうと、臨戦態勢のままこちらに剣や杖を向けた騎士たちをどうしよう……
すると、珍しく血相を変えたセルジオがもの凄い速度で走ってきた。その姿に騎士たちも安堵の表情を浮かべる。
即座に防音の範囲内に入ってきたセルジオは一瞬で空気を読んだようだ。
「はぁ…… まさかガルドだったとは。間に合ったようで何よりです」
「間に合っていませんが? お知り合いですか?」
「ええ、元部下ですよ」
「騎士団に居たのですね。どうりで強いわけです」
ガルドは顔を上げることも出来ず、頭を下げたまま沈黙を貫いた。セルジオが辺りを見回し、ため息を吐く。
「もしかして、全員ガルドを止められなかった感じですか?」
「リヒトが止めたのです。凄いでしょう?」
「おや、それでですか。シェリエルが応戦していたら、今頃殺してしまっているかと思っていたんですよ」
わたしを何だと思っているんだろう。騎士に止められなかった相手をわたしが倒せるはずないだろう。
「それで、冤罪で投獄されたと言っているのですけど、場所を移せますか?」
セルジオは兵や騎士に向き直り、防音エリアから出ると解散を命じた。本来、騎士が牢まで連行するべきだが、ここで一番強いのはセルジオだ。セルジオが対処するという命令に、異を唱える者はいなかった。
一応、後ろ手で縄をかけ、リヒトが連行する形となった。
騎士塔の地下にある尋問部屋に入ると、すかさずガルドが跪く。
「歩いてここまで来たんです? 相変わらず滅茶苦茶な体力ですね」
「走って来ました」
領主と囚人とは思えない、慣れた会話のやり取りに、先ほどまでの騒動が嘘のようだ。セルジオは簡単にガルドとの関係を話してくれた。
セルジオがまだ騎士団長になる前、ガルドはセルジオの隊に居たという。当時セルジオには王妃の護衛騎士となる話があったが、ガルドの投獄によってその話が流れたらしい。
「でもまあ、僕は護衛騎士なんて興味なかったので、別にいいんですけどね」
「お父様の話はいいのです。それより、この方が冤罪だという話ですよ」
リヒトがビクリと反応する。父親が無実の罪で投獄され、自分もそのせいで長年虐げられてきたとすれば、やり切れない思いもあるだろう。
「ガルドは多分無実ですよ」
「え? お父様、もしかして知っていてそのままにしたんですか?」
「僕の感覚的な話なので、証拠とかも無かったですし」
直属の部下が冤罪で捕まったのに、そのままにするなんてどうかしている。身内を作りたがらないベリアルドでも、それくらいの良心は持っていると思っていた。まだ若かったからだと言い訳しているが、それでも今まで放置していたのだから、単に面倒だったのだろう。
「見損ないました。慈善や良心の話以前に、悪事の片棒を担いだことになるのですよ?」
「セルジオ様に責はありません。すべて、俺の油断が招いたことです。それに、このことでセルジオ様には多大なるご迷惑をお掛けしていますから、助けていただく資格もないんです」
ガルドに兵を投げ散らかしていたときの覇気はなく、憑き物が落ちたように大人しい。迷惑をかけたと言うが、どうせセルジオは護衛騎士の話が流れてラッキーくらいにしか思っていないだろう。
戦闘馬鹿め…… と心の中で毒付くと、それを察したのかセルジオがポリポリと頬を掻く。
「お父様、彼をどうするおつもりですか? また見捨てるつもりじゃありませんよね?」
「うーん、困りましたねぇ。殺したことにしてもいいですけど、奴隷として再登録するには顔が知られ過ぎているんですよね」
うーむ、とセルジオに並んで頭を捻る。正直、殺した事にするのは簡単なのだ。王宮もそう処理して欲しいようだし、脱獄した囚人が貴族の城に押し入って、領主一族を襲ったとなると、その場で討ち取られるのが普通の流れだろう。
ただ、その後の生活が問題だった。髪色から貴族であることは隠せない。城で働くには目立ち過ぎる。
国外へ逃がすか…… あ、待って。そういえば……
「先生に預けるのはどうですか?」
「それは良い考えですね」
にんまりと二人で笑い合うと、ガルドがポカンと口を開けていた。
「あ、あの…… それはどういう……」
「冤罪なのでしょう? ここで死んだことにして、わたしの知り合いのところで働いてはどうかしら? わたしのお世話になっている方なので、たまにリヒトにも会えると思いますよ」
ちらりとリヒトを見れば、まだ頭が追いついていないようで、困惑したままガルドとわたしを交互に見ている。
多分、ユリウスなら引き取ってくれるだろう。人手が足りないと嘆くオウェンスと、人前に出たがらないユリウスを思い出し、ぴったりだと思ったのだ。
「じゃあユリウスを呼んで来るので、しばらく親子の再会でもしててください。ちゃんと大人しくしててくださいよ?」
セルジオは完全にガルドが冤罪だと確信している。その為、わたしも警戒を解いた。一応、何かあれば対処出来るように空間魔法の陣をスタンバイしていたのだが、もう大丈夫だろう。
「リヒト、混乱しているでしょうけど、ちゃんとお話ししたら?」
「あの、えっと……」
ガルドの縄を解いてやり、立ち上がったガルドがリヒトと向かい合う。
「本当に、無実なの、か?」
「ああ、神に誓う。俺は何もしていない」
「じゃあ、俺の父親だっていうのも本当なの?」
ガルドは黙る。父親だと宣言するのが躊躇われるのだろう。しかし、返事の代わりにぽつりぽつりと語りだす。
「俺は学院を卒業してすぐに、騎士団に入った。学院で知り合ったアズラと結婚し、セルジオ様の率いる小隊に配属されたんだ」
ガルドは体力には自信があった。剣技よりも盾役に向いていたようだ。セルジオは当時から単身で敵に切り込むことが多かったので、補佐としてガルドは相性が良かった。そのうち小隊の副官を任されるほどになっていた。
セルジオに王妃の護衛騎士の話が持ち上がってすぐの頃、突然ガルドは別の部隊によって捕縛される。
罪状は王の妾であるライアに対する強姦未遂。外聞もあるので罪が公になることもなく、秘密裏に投獄されてしまった。
無論、裁判が行われることもない。被害者本人が面通しをして犯人だと証言したことで、罪が確定したのだ。
貴族の犯罪者が留置される塔で、祭司から妻の死、息子の神殿入りを聞く。ひたすら無心で身体を鍛え、たまに祭司がやって来ては息子の話をしていく。
そんな日々の繰り返しだったという。
「祭司から酷い名を与えたと聞かされたときには、流石に狂いそうになった」
「リヒトだよ。俺の名は、リヒトだ」
ガルドは毛むくじゃらの顔から、今にも崩れそうな目を覗かせる。「ごめんな……」と岩のような拳を握りしめ、呟いた。
「シェリエル様にいただいたんだ」
リヒトが傷ついたガルドの拳に手を添えると、治癒の呪文を唱える。そして、ガルドは目を見開いた。
微かに光ったその拳の傷が、全て治癒している。
リヒトがただの仮名では無いと、その拳が告げていた。
「まさか……」
一度流れを止めていた涙が、濁流のように頬を伝う。「光という意味なんだって」そう話すリヒトの声色には、もう恨みや怒りは含まれていない。
「俺はなんてことをしてしまったんだ…… どう罪を償えば……」
つい先ほどまでの暴挙を思い出したのだろう。別になんてことはない。庭師にだけ謝ってもらえれば。
「ちょうど先生にお礼ができないか考えていたの。お礼になるか迷惑になるかはガルド次第だから、お礼になるよう力を尽くしてくれれば良いわ」
「シェリエル様、それは償いではありません。救いというのです」
「ふふ、わたしは悪魔なのでしょう? きっと大変なお仕事になるわよ」
なんといっても、我が家のユリウス依存が酷いのだ。それに付き合わされる側近たちの苦労は計り知れない。
口籠るガルドに、リヒトが顔を真っ赤にして口を開く。
「と、父さん、も。シェリエル様の為に、働きなよ」
「父と認めてくれるのか」
「悪いこと、してないんでしょ?」
「リヒト……」
生命力の塊のような大男のガルド。今にも折れてしまいそうなほど華奢で影のあるリヒト。見た目は全く正反対だが、こうして一組みの親子が再会を果たした。





