準備
「如何なさいましたか?」
どこぞの王子より王子らしい爽やかな笑顔で金髪をさらりと揺らし、オウェンスが上半身ごと覗き込んでくる。
わたしの身長に合わされた視線がばっちりとかち合い、人の良さそうな応答は何とも言えない安心感があった。
「ユリウス先生にお礼がしたいのですけど、先生が喜びそうなものって分かりますか?」
率直に、プレゼントの相談だ。貴重な素材とか言われると困るので、わたしに用意できる範囲でと付け足す。
「そうですね、シェリエル様自身が一番の贈り物だと思いますよ」
目を細めニッコリと笑うオウェンス。魔術の研究が進み、ここのところ機嫌が良いのだと教えてくれたが、本当にそんなことで良いのだろうか。
「ユリウス様は洗礼前より外部の者から隔離されて過ごされて来たのです。こうして誰かと言葉を交わし、食事を共にし、知識を共有する事こそが何より貴重な経験なのですよ」
「色々と連れ回して、迷惑になっていませんか?」
オウェンスはコクリと頷き、「今の話、主には内緒ですよ」と口元に人差し指を添えた。
ディディエと話していたユリウスがこちらに気づき、近づいて来る。柔らかく見える笑顔はどこかひんやりしていた。
「何を話していたのかな?」
「日頃の感謝をお伝えしていたまでですよ。ね、シェリエル様?」
あながち間違いではないのだが、話を合わせろと視線が語る。
「は、はい。いつもお世話になっているお礼を……」
「そう、まあいいけれど。ではシェリエル、杖は次の授業までに作ってこよう。良い夜を」
結局、ユリウスが喜ぶものは分からなかった。とりあえず、保留ということで早めに部屋に戻ることにする。
明日からクローゼットの改造をするため、資料を作っておきたいのだ。設計図とまではいかないが、簡単な見取り図のようなものを用意しておきたかった。
クローゼットと言っても十畳ほどある正方形の部屋なので、ほとんどの荷物は収納できるだろう。今までは部屋が狭かったので、積み上げられるように装飾の殆どないただの木箱に入れていたが、衣装部屋が広いと蓋に丸みのある宝箱のような形のものが主流らしい。
金で細工したり宝石を嵌め込んだりして、見た目にも拘るのだとか。
でもせっかくだから機能性重視にしたいのよね。ただの収納をそんなに飾り立ててもねぇ……
翌日、午前に座学を終えたわたしは、この部屋の内装を手がけた職人を呼んでもらった。城にはお抱えの職人がいて、庭師や針子と同じような扱いで城下に住んでいる。
呼び出されたのは二人の職人。親子のように見えるが、血のつながりはなく、親方と一番弟子だという。二人は真っ青な顔でガタガタと震えながら、開けられた扉の向こうで背を丸めていた。
「どうぞ、お入りになって」
「しししし失礼します!」
ガチガチに固まった手足を必死に動かし、わたしの待つ部屋の中央まで進んでくる。普段やり取りするのは、侍女や補佐官なので緊張しているらしい。
「なにか不手際がございましたでしょうかッ」
ぎゅっと目を瞑り俯いているが、もしかしたらわたしの髪色が怖いのだろうか。とりあえず、クレームだと思われているようなので、さっそく依頼をしよう。
「いいえ、素敵なお部屋をありがとうございます。自分好みに飾れと言われたのだけど、わたしはあまり得意ではないの。それで衣装部屋を改造しようと思うのだけど、手伝ってもらえないかしら」
二人はホッとしたように身体の震えが止まる。「何なりとお申し付けください」と顔を上げた二人に、昨日作成した設計図もどきを見せる。
ババン! と披露したけれど、実際は設計図と呼んでいいのか疑わしい、簡易的なメモ書きだ。正直、酷い出来だった。しかし、言葉で補足する。
「木箱を棚に納めて、引き出せるようにしたいの。レールを付けるのは難しいかもしれないから、滑りが良くなるように磨く必要があるかもしれないわ」
二人は食い入るようにわたしの書いた雑な図を見ている。斜めから見たローチェストは上の段だけ引き出しが出た状態で書いてある。伝わるだろうか。
この世界で引き出しというものを見たことがなかった。宝石も書類も、大事なものは物理か魔法で鍵をかけるので、蓋付きの箱が多いらしい。
「お貴族様の衣装は高価なものばかりです。これでは鍵が出来ませんが、よろしいので?」
「部屋自体に鍵をするから大丈夫よ。それに、優秀な門番もいるしね」
チラッと後ろを見ると、日当たりの良い場所でシエルが丸くなって寝ていた。その様子に再び二人が凍りつく。ああ、ドラゴンに驚いていたのか。一応、無害でかわいい子どものドラゴンだと説明しておいた。
盗みで一番多いのが使用人だというが、衣装部屋が完成するころにはシエルの存在も知れ渡っていることだろう。仮に上手く盗み出せたとしても、バレたらディディエになにをされるか分からないのだ。そこまでするほど価値がある物をわたしは持ってない。
「では、こちらの弓は……」
「これはハンガーと言って、衣装をかけておく道具なの。襟の部分からこの金具を出して、壁際の棒に引っ掛けるとシワにもならないし見やすいでしょう?」
ハンガーもこの世界にはない。普通の平民は布を買い自分で縫ったり、子どもの服は近所で回し合うらしい。服屋は古着屋があるくらいで、商人や比較的裕福な平民も服は全てオーダーメイドだという。そのため、モデルとなる服を何着か着せるトルソーはあるが、既製品の服を外に出しておく習慣がないのだ。
もちろん貴族も全て一から作らせる。そして、夜会や舞踏会、お茶会で着るドレスは一度着たらバラして下げ渡すので保管の必要がないそうだ。
そもそも、パーツを組み合わせるように着付けていくので、あまりハンガーのメリットがない。だが、わたしはまだそこまで複雑な衣装を着ないし、面倒なので大きくなってもそこそこ楽な服を作ってもらうつもりでいる。
「す、すばらしい……」
声をあげたのはダルという若い職人だった。家具作りが得意らしく、わたしが普段座っている長椅子も彼が作ったという。
「高い位置の服は棒で取るようにするの。そうすると、部屋を広く使えるでしょ?」
わたしは多分、この先男性用の服も増えてくる。洗礼も済んだので、いつまでもディディエのお下がりは着ていられないのだ。そちらの手配もしなければと頭が痛くなりつつ、設計図の説明を続ける。実際に衣装部屋となる部屋を見ながら、ここにチェストを置いて、ここに姿見を置いてと設計図の補足をした。
だいたいイメージが伝わったようで、二人は手際よく採寸していく。薄い木の板に詳細な設計図が書き起こされ、次々に数字が書き足されていった。
裏に値段や客の印が記され、見積書のような役割をするらしい。
「すぐに作業に取り掛かります! チェストというものにも装飾は必要ないのですよね?」
「ええ、見苦しくない程度に仕上げてもらえると嬉しいわ」
二人は来た時と別人かと思うほど良い笑顔で帰っていった。
いつもならこのあと剣術の稽古があるのだけど、今日はセルジオが忙しいためお休みだ。リヒトに試作中のチョコレートを味見してもらう約束をしていたので、サラに呼んできてもらう。
「シェリエル様、リヒトはまだ護衛騎士にもなっていないので、部屋に入れることは出来ませんよ?」
「そうだった…… じゃあお庭でお茶会にしようかな。準備をお願いできる?」
「畏まりました」
メアリも出て行ったので、わたしは寝ているシエルの隣りにごろりと横になる。床に寝転べるよう絨毯を敷いてもらった。こちらはライナーに適当なものを選んでもらったので、二日も空けず、今朝届いたのだ。
一応シエルも散歩に誘ってみたが、眠いようで寝息だけが返ってくる。
サラが戻って来ると、すぐあとにメアリも戻って来たので、わたしたちはコートを着て部屋を出る。扉の横でリヒトが壁に背を向け待っていた。
「リヒト、急にごめんなさいね。忙しくなかった?」
「はい、シェリエル様のご用命以上に優先すべきものなどありません」
オドオドと背中を丸め下ばかり見ていたリヒトはもう居ない。戦闘で邪魔にならないよう髪を切り、人の視線を気にすることも減ったように思う。
相変わらず口数は少ないけれど、少しシャイというくらいだ。
若干思想が偏っているのが気になるけれど、騎士たちに揉まれるうちにそれも薄れてくるだろう。
庭の東屋に着くと、暖房の魔法陣に魔力を注ぐ。本来、侍女や補佐官がするのだが、少しでも魔力を消費したいのでわたしがやることになっている。
チョコレートとお茶の準備が出来たら、優雅な午後のティータイムの始まりだ。
「本当に私などがご一緒させていただいてよろしいのでしょうか」
「メアリもサラも付き合ってくれないの。一人じゃ寂しいでしょ?」
「ですが……」
リヒトの言いたいことも分かる。いくら親しくても、配下の者とお茶をするのは洗礼前だったから許されていたことだ。そろそろ怒られそうだが、言い訳は考えてあるので大丈夫だと思う。
「それより、チョコレート食べてみて。かなり美味しくなったの」
改良中のチョコレートを勧めると、リヒトは迷わず口に入れた。途端にポッと頬が染まり、ゆっくりと味わっている様子が見て取れる。わたしは温めてもらったミルクに専用のチョコを溶かす。暖房があるとは言え、移動で冷えた身体を温めるのにちょうど良さそうだ。
「すごいです…… 」
わたしが研究したわけではないが、「ふふふ」と胸を張った。実際、口溶けはまだ改良の余地があるが、前世の市販のチョコよりも美味しい。
カカオの香りが強く、アレンジすれば高級ショコラティエ並みの美味しさになると思う。
「こっちのホットチョコレートも試してみて」
同じようにチョコをミルクに溶かす。一口飲んだリヒトはこちらの方が気に入ったようだ。両手でカップを抱え、大事そうに少しずつ飲んでいた。
甘くなり過ぎた口の中をたまに紅茶でリセットしながら、旅の話をした。ヘルメスの診断のときに少し聞いていたが、知らない土地の風景や人々の生活は衝撃の連続だったという。
ぽつりぽつりと一生懸命言葉を紡ぐリヒトの話を聞いていると、どこからか笛の音が聞こえて来た。
リヒトが即座に反応する。剣を取り出しわたしを庇うように席を立つ姿に、メアリとサラにも緊張が走った。
「シェリエル様、侵入者のようです。すぐに城内に戻るご準備を!」
例の逃亡した囚人だろうか。まさかとは思いつつ、なんとなくそんな予感はあった。「回れ!」「囲め!」と短い単語がだんだん近づいて来ている気がする。
この東屋に結界を張ったほうがいいのか、城内へ逃げた方がいいのか考えていると、剣や人が生垣の向こうに舞っているのが見え始めた。
どんな戦いになっているんだ……
「近いですね。結界を張ります」
わたしはすぐに東屋の周囲を回りながら陣を張っていく。最後の魔法陣を設置し、キンと結界が張られると同時に、生垣を破るように一人の兵が飛んできた。
割れた生垣の向こうでは大きな熊のような男がまっすぐにこちらに歩いて来ている。ボサボサの髪にところどころ破れたズボン。戦闘の影響か、上半身は鎧のような筋肉が剥き出しになっていた。
「シェリエル様、私の後ろに!」
「あの様子じゃ、騎士団じゃないと止められなそう……」
今囚人を相手にしているのは一般兵のようだ。剣で斬りかかっているが、すぐに掴まれ遠くに投げ捨てられている。熊のような男は武器も持たず、ただこちらに真っ直ぐ向かって来ていた。
狙いはわたし?
――ピシュッ!
細い魔力の軌道が囚人に向かう。騎士と魔術士が到着したようだ。しかし、囚人が「ムン!」と胸の筋肉を張ると、そのまま魔法を弾き返した。
いやいや、どんな鍛え方をしたらそんな強靭な身体に……
囲むように遠くから魔法を撃っているが、男はそんな攻撃をものともせず、左右の胸筋を交互に突き出しながら全て弾いている。
魔術士の攻撃は足止めにもならず、騎士が男に斬りかかったときには、すでにわたしたちの近くまで来ていた。
「貴様がセルジオ様の娘か!」
身体がデカいと声もデカい。雷のような怒号が結界をビリビリと揺らす。
一人の騎士が囚人の脚を掬うように剣を滑らせた。しかし、男はその剣を踏みつけ、反対の脚で騎士を蹴り飛ばす。
囚人が剣を拾うと、こちらに向かって斬りかかって来た。





