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眠れる森の悪魔  作者: 鹿条シキ
第四章 事業

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引っ越し


 城に戻って数日、逃亡した囚人は見つからないままだが、平穏な日々を過ごしていた。セルジオは領の境界あたりまで兵を出したり、城を空けがちになったけれど、それ以外は至って平和な日常だった。


 サラとカイルはそれぞれ宿舎に入り、見習いとして仕事を覚えたり訓練に参加している。

 わたしは泥の研究や、しばらく休みになっていた座学の復習で大忙しだ。

 旅行前から変わったことと言えば、一部の騎士たちの視線が以前より柔らかくなった気がする。城内で会えば挨拶をしてくれたり、「訓練場でお待ちしています!」と元気よく声を掛けてくれた若い騎士までいる。

 あまりそっち方面に期待されても困るのだけど……


 チョコレートの試作もいくつか出来上がっていて、配合の違いや熟成期間別にみんなで試食会もした。ミルクチョコレートとして熟成させたものを、再度溶かして生クリームを混ぜたものが一番食べやすかった。

 年末に何度か思いつきや、前世の記憶を頼りに断片的なアドバイスをしただけなのに、テンパリングまで再現してしまったので、本当に良く研究してくれたと思う。


 そして、一番の変化は……


「お父様って本当にサプライズがお好きなのですね……」

「さぷらい……?」


 帰ってきて一週間ほど、やけにメアリが疲れているなと思ったら、突然、本館のある部屋に連れていかれた。わたしの新しい部屋らしい。

 だが、以前に見せて貰った部屋とは違っていた。 執務用の机や、お茶会が出来そうな長椅子とローテーブルのセット、シエルのことを考えてか、ゆとりのある家具の配置となっている。


「どうです? 本当は帰還した日に見せたかったんですけど、この子が増えてしまいましたから少し手直ししてたんですよ」


 そう言ってセルジオはシエルをコツンと指で突いた。ふるふると頭を振るシエルは、旅の間に人の住む家に慣れたからか、もぞもぞと腕から抜け出し、一番乗りを果たしていた。


「ありがとうございます、お父様。とても広くて素敵なお部屋ですね」

「装飾は最低限にしていますから、自分好みに変えてください。あまり適当にしていると、ディオールに怒られますよ」


 軽く片目で笑うセルジオに、つい引き攣った笑みを返してしまう。

 お手本のような落ち着いた内装を、自分好みにアレンジしろと言われてもプレッシャーしか感じない。

 そんなこんなで、高級ホテルのスイートルームのような部屋にお引越しすることとなった。


 早速中を見て回ると、わたし専用の浴室にトイレ、それに寝室まで分かれていた。これまでワンルームのような間取りだったので、慣れるまで時間がかかりそうなほどに広い。

 倉庫のような部屋もあり、服や靴の入った木箱が積み上げられている。ここは衣装部屋らしい。

 そういえば、いままで木箱をただ積んでいただけなので、メアリの腰が心配だった。家具やカーテンの趣味はよく分からないので、とりあえずウォークインクローゼットへの改造から始めてみようと思う。


 引っ越しの翌日、わたしは試作で余ったチョコを食べながら、ディディエ用に新しい魔術の祝詞を書き出していた。

 氷を出すもの、凍らせるもの、全く別の祝詞になった。ある程度言葉が違っても意味が通れば発動するので、詠唱を間違えないようになるべく離れた言葉を使ったのだ。

 一度習得すれば陣ごと保存してしまうだろうけれど、元エンジニアとしてヒューマンエラーの温床は潰しておきたいという気持ちがある。

 コンコンと扉を叩く音がすれば、メアリが呼び主を迎え入れてくれた。


「シェリエル様、ユリウス様がいらっしゃいました」


 ユリウスをこの部屋に招くのは初めてだが、ノアが案内してくれたらしい。


「先生、どうです! 素敵なお部屋でしょう!」

「ああ、寝台が目に入らないのはとても良い」


 そこなの? たしかに、一応わたしも女の子なので? 自室に男性を招いているという意識はあったのだけど?

 七歳児が猫ちゃん相手に何か思うわけもなく、そのままズルズル自室で授業を受けていた。洗礼も受け、貴族の仲間入りをしたので外聞も気にしなければならないようだ。


「王都から囚人が逃げ出したという話は聞きましたか? それで、騎士団や魔術士団の方々もこちらに向かっているようなので、しばらく外には出ない方が良いかもしれません」

「そのようだね。騎士団はまだしも、魔術士団は面倒なことになりそうだ」


 わたしはどこまで隠れる必要があるだろう。これから他領の令嬢とも交流が始まるので、いつまでも逃げ隠れするわけにもいかないのだけど、セルジオとディオールが露骨に嫌がるので、なんとなく距離を置いた方が良いのではと思っている。


「これが新しい祝詞か。ディディエに渡すまえに、私も試して良いかな?」

「もちろんです! 先生に試してもらうために急いで書いたのですから」


 ユリウスは祝詞に目を通し、短い杖を取り出した。これまでわたしに合わせて初級や中級の魔法は杖なしで使っていたので、二種類もあることに驚いた。

 ユリウスは祝詞を口ずさむと、机の上にあったチョコレートを凍らせた。


「先生! 凍らせるものを考えてください! せっかくのわたしのおやつが……」

「おや、すまない。カップが割れては困るかと思ってね」


 周囲の空気ごと凍らせる魔法を試したせいで、がっちりとお皿まで凍りついていた。しばらくそのチョコレートは食べれそうにないので、お茶と新しいチョコレートを用意してもらう。


「しかし、良い陣だね。簡潔で美しい」

「本当ですか! わたしもそこは気を使ったのです」


 ふふん、と鼻息が漏れてしまう。言葉選びや組み立てによって同じ魔力量でも効果に差があった。これは魔法陣に割かれる魔力分で効率が変わるのだと思う。


「それで、既存の魔術もかなり無駄があるので実装、いえ組み立て直せないかなと思いまして他にも組み直してみたのです。そしたら思った通りパフォーマンスが上がったのですよ。しかも呪文になっている中級のものは元の祝詞が煩雑なものが多くてですねもしか」

「少し落ち着こうか?」


 物凄く早口になっていた…… だって、早く誰かに話したかったんだもの……

 効率の違いを発見してから、時間を見つけてはあらゆる呪文を再構築した。その感動をいち早くユリウスに伝えたかったのだ。


「素晴らしい発見だと思う。だが、一人で魔術の研究はしないように言っていたはずだが?」


 ヒッ…… 霜の降りそうな冷たい声に、思わず背中が縮こまる。わたしが普段使って良いのは初級の生活魔法だけと言われていた。最初は書き出す祝詞の確認にといくつか試していたら、ついエスカレートしてしまったのだ。下手な言い訳はしまいと、素直にごめんなさいと謝ったが、ユリウスは一つため息を吐いただけだった。呆れられただろうか。


「本当に反省しています。もうしませんから……」

「まあ今後は気を付けるようにね。特に君は元の魔力量が多いのだから、下手をすると城ごと吹き飛ばすよ。何か試したいときは私を呼びなさい」


 なんて優しいんだ…… わたしの思いつきや趣味にここまで付き合ってくれるなんて!

 一度仕切り直し、わたしは思いついたこと、試してわかったことを実践を交えてユリウスに説明した。ユリウスははじめ難しい顔をしていたが、全て話し終えると壊れたように笑いだした。


「……フッ、アハハハ! 君は本当にすごいな。私の予想を軽々超えてくる。本当に、君って…… フハハ!」

「ど、どうしたんです? わたし、褒められていますよね?」

「ククッ、すまない。とても嬉しかったんだ。私の求めていたものは、君にありそうだよ」


 天使のような慈愛に満ちた微笑みを向けられ、つい顔に熱が籠る。誇らしいような、気恥ずかしいような。前世の記憶があってこそだけれど、レシピや製法を褒められるのとはまた違う。わたし自身の能力が認められたようで、血が沸騰するような高揚感に揺さぶられた。


「先生の…… 役に立ちそうですか?」

「ああ、とてもね」


 なんだろう、わたしは夢のシェリエルと違って無能だとか欠陥品だとか蔑まれたりしていない。なのに、先生に褒められたいと思っているみたい。でも、生徒だから当たり前か。マルゴット先生やジーモン先生に褒められても嬉しいものね。

 特に、普段怒られてばかりのマルゴットに褒められたときのことを思い出し、変な考えは頭の隅に追いやった。


 今日は初めての魔法陣の授業だ。特殊なインクを使い、石板に初級魔法の陣を描く。記号も線も少ない、シジルのような簡単なものだ。


「えっと、綺麗に丸が描けません……」


 いや、普通に不思議だったのだ。なぜそんなに綺麗な円が描けるのか。魔力補正でピャッと綺麗な丸になるのかとおもっていた。

 しかし、フリーハンドでコンパスを使ったような綺麗な円が描けるわけないだろう。


「ペンの持ち方が悪い。文字を書く時とはちがい、上から包むように持って手首を回すんだよ」

「う…… ガタガタになってしまいます」

「小さな陣は逆に難しいかな? 少し大きめの陣にしてみるといい」


 洗浄魔法で洗い流しながら、何度も練習を重ね、やっとそれっぽく円が描けるようになってきた。まさかこんなところで躓くとは……

 だが、魔力を込め発動してみても、詠唱で生成した魔法陣より効率が落ちる。


「洗礼の儀のような大きな陣はどうやって描くのです? 綺麗に描ける気がしません」

「長杖を使うのはその為だよ。自身を軸とするから大きな陣の方が簡単かもしれないね」


 そういえば、転移の陣を描くとき、不思議な動きと手順で描き上げていた気がする。


「普通のインクであれば魔法は発動しないのですよね? 一人で練習しても良いですか?」


 ユリウスは歪なわたしの陣を見ながら、声を漏らすように笑った。


「ふふっ…… たしかに、これは練習した方が良さそうだ」


 酷い、笑わなくてもいいのに……!

 その後もユリウスがわたしの書き出した祝詞を一つひとつ確認し習得していく間、ひたすら円を描き続けた。腱鞘炎になりそうだ。


「あの、魔法陣を描く必要ありますかね? 全て祝詞に起こせば描かなくても良いのでは……?」

「学院では陣を使う授業があるんじゃないかな。それに、上級の陣はまだ解読出来てないのだろう?」


 そうだった……

 それに、陣を生成する祝詞が存在しない洗礼の儀や転移門は自力で描かなければならない。大人しく練習するしか無さそうだ。

 

「では、わたしも先生と同じくらい長い杖にします」

「長杖は身体が成長し切ってから作った方がいいよ。あまり大き過ぎると扱いづらい」

「先生もまだ成長期でしょう?」

「私は毎年作り直している」


 そこらへんにある神木と言っていたけれど、杖って簡単に作れるものなのだろうか?

 手を動かしながら、杖の作り方を聞くと、ただ木を折って削って自身の魔力で染めるだけだという。だが、本来は魔術士団に杖を作成する部門があり、そこで作ってもらうらしい。


「ただ、あの角は魔術士団の者が人を殺してでも欲しがるような素材だから、預けるのはやめておいた方が良いね。私が加工しようか」

「ありがとうございます! って、そんなに貴重なものだったのですか」

「全という属性自体がまだ知られていないんだ。私や君、あの森の主なんかは、彼らにとって御伽話にも出てこない未知の生き物というわけだね」


 そういうものか。初めてみたドラゴンが黒竜だったし、そのあとすぐに森の主も会ったので、それほど珍しい存在という感覚がない。類は友を呼ぶというやつだろうか。

 そうか、色としてはわたしはすでに知られているけれど、属性のことはまだ知られていないんだった。

 今でこそ、城内を普通に歩くユリウスだが、極端に人を避けるのは、これまで危ない目に遭ってきた経験があるからかもしれない。「人を殺してでも欲しがる」という希少価値が、今後わたしにも付くならば……


「もしかして、先生もわたしを実験台にする為に先生になってくれたのですか?」

「ん? 最初にそう言わなかったか?」

「聞いたような気もします」


 良かった、先生は先生だ。ディディエだってわたしを実験台にしていたし、興味の延長ってことよね?


「杖に魔法石を埋め込むと多少魔力を補填してくれるが、空石でも入れておくかい? 君の魔力量ならば微々たる差だけどね」

「空石…… というのは、魔力を溜めることができる石でしたっけ? 主様の角はそのままでも美しいので、石は入れないでおきます」


 ユリウスは収納用の魔法で作った空間から、いくつか杖を取り出し、わたしが持ちやすいものを選ばせてくれた。わたしも主様の角を取り出し、枝分かれした角の端をユリウスに切り取ってもらう。


「そんなに簡単に切れるのですね。強度は大丈夫でしょうか」

「これは特殊なナイフを私の魔力で満たしている。色々試したが、普通の刃物では削ることすら出来なかったから安心するといい」


 試しに切ってみるかと言われ、剣術の訓練で使う刃の潰れた剣で切りつけてみたが、本当に傷一つ付かなかった。

 次の授業までに作って来てくれるらしい。何から何までお世話になりっぱなしなので、何かお礼がしたいのだけど、ユリウスが喜ぶものが魔術以外に思い浮かばない。

 解読が途中になっている上級の魔法陣を解読すれば、少しは喜んでくれるだろうか。

 まだ時間がかかりそうなので、夕食の際にでもオウェンスに探りを入れてみることにする。


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