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眠れる森の悪魔  作者: 鹿条シキ
第三章 旅と魔法

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23.帰る場所


 城を出てから十日が過ぎていた。北部の森はそろそろ雪が降るらしい。

 シエルの散歩がてら泉の近くを歩いたり、剣術の訓練でボコボコにされたりしていると、あっという間に時間が過ぎて行く。



「シェリエル、少しリヒトの診察に付き合ってくれるか」


 城でも定期的に診察していたが、わたしが同席するのは最初に話を聞いて以来だった。

 診察用の部屋は落ち着いた大人の書斎という雰囲気で、城のヘルメスの部屋に似た造りだ。リヒトは既に中で待っていたが、わたしが来ることを知らされていなかったようで、目が合うなり驚かれた。

 低めの丸机を挟み、リヒトと対面するようにヘルメスと長椅子に座ると、今回の旅行の話になった。


「リヒト、ここ数日慣れない旅で大変だっただろう。初めての外の世界はどうだった?」


 そうか、リヒトも神殿と城以外の世界を知らなかったんだ。それなのに、旅の途中ではちゃんと話す機会もなく、何のフォローも出来なかったことが悔やまれる。


「驚きの連続で、そして、少し怖いと思いました」

「何が怖いと思った?」

「私は何も知らないのだと、そう実感するたびに、これからどう生きていけば良いのか不安になるのです」


 不安だと口にしたリヒトは、数ヶ月前に自身を罪人だと告白した時よりも落ち着いて見えた。


「まだあの夢は見るか?」

「夢…… はしばらく見ていないと思います。忘れているだけかもしれませんが」

「では、神殿での生活を思い出すことは?」


 ヘルメスはゆっくりと落ち着いた口調で質問を重ね、リヒトもそれに淡々と答えていく。リヒトはこの数ヶ月、ずっと自己に向き合い続けて来たようだ。


「ふむ、では少し腹を借りるぞ」


 ヘルメスがリヒトの鳩尾に手を当てる。先日言っていた穢れの確認なのだろう。


「もう大丈夫そうだな。溜まりかけていた穢れも消えている。先日の討伐で魔物を見てどう思った?」

「少し、可哀想に…… 思いました。もう生きていなくて、姿も気配も悍ましくて、嫌なものを寄せ集めたような存在が、自分と重なってしまって。私は救われたのに、魔物はもう救われることはないのかと思うと、申し訳なく思います」


 あの討伐で、リヒトは最後まで立っていた。先輩の騎士たちが倒れる中、負の感情に飲まれず耐え抜いたのは凄いと思う。


「シェリエルはどうだ?」


 突然話を振られ、何も答えを用意していなかったので、ただ思うままに言葉にする。


「討伐中は特に何も考えていなかったと思います。ただ、魂が消失すると聞いて、救いが無いなと思いました。祓いの魔法陣があれほど美しいのは、消え逝く魂への弔いなのかもしれませんね」

「魔法陣が?」


 そうか、ヘルメスは祓いの儀で生成される魔法陣を知らないのか。目を強化して魔力を見ようとしなければ、ただ光が降るだけにしか見えないのだろう。

 わたしはあの荘厳な魔法陣を思い出す。


「罪となってしまった魂を神々の元へと還せずに申し訳ない、けれどこの魂は今苦しみから解放されるのだ、と。憎しみも嫌悪も無い、悲しくて美しい物語のようでした」

「物語か。……シェリエルはこれからも問題なく魔物を祓えそうだな。リヒトはどうだ? ベリアルドの騎士になると、討伐は避けられない。過去の自分と重ね、それでも斬れるか?」


 リヒトは一度わたしを見て、それからコクリと頷いた。


「はい。魂の最後に立ち会うのですよね。そう考えると、自分もそれに相応しい人間にならなければと思います。穢れの苦しみも、少しは理解出来るので」


 リヒトは神殿で穢れを溜めなかったが、城で生活するようになって少し反動があった。不眠や唐突な放心、皿の割れる音で錯乱したりと、神殿で持つはずだった感情が遅れてやって来たような状態だった。その為こうしてヘルメスが診察を続けていたのだ。


「思ったよりも早かったな。セルジオの言った通り、騎士が向いていたのかもしれん」

「ヘルメス様…… では私は……」

「ああ、こちらに残る必要はない。そのままシェリエルたちと一緒に城へ帰り、騎士の訓練を続けても大丈夫だろう」


 リヒトはこのまま北部に残る予定になっていたらしい。もう少しヘルメスの側に居た方が良いのではと思ったが、リヒトは喜んでいるようなので黙っておく。


「リヒトの感じる不安は、自由を受け入れた証拠だ。鳥も、降り立つ大地が無ければ、広い空へ飛び立てはしまい。リヒトはすでに帰る場所がある。少しずつで良いから自分の思うまま飛んでみなさい」

「はい…… ありがとうございます」


 今後も定期的に診察することを約束し、ヘルメスは一枚の書類を取り出した。


「来期から貴族学院に通ってみないか? 一年遅れにはなるがね」

「私などが本当によろしいのですか?」


 躊躇いつつも、キラキラと瞳が輝いている。

 リヒトは奴隷としてではあるが、貴族の登録が済んでいる。神殿でも教育制度があったようなので、入学には問題ないそうだ。

 勉強は苦手だと言っていたけれど、学院に通えることは嬉しいらしい。わたしの入学時にもギリギリ最終学年として在学することになるので、心強い。


「では、入学まで教師を付けよう。騎士の訓練と並行することになるが、学院でも同じような生活になる。早めに慣れておいた方が良いだろう」

「本当に、ありがとうございます」


 キュッと胸の前で手を組み、祈るようにヘルメスに感謝を伝える。

 話が終わるとヘルメスは書き物があるというので、リヒトと二人で部屋を出た。


「リヒトは勉強が嫌じゃないの? お兄様はいつも辞めたいと騒いでいるのに」

「ディディエ様は優秀でいらっしゃいますから。それに、学院のことは神殿でもよく耳にしておりました。私どもからすると、憧れや嫉妬の対象なのです」

「神殿でもお勉強するのよね?」

「はい。教育係の神官が子どもたちを集めて史学や神学を教えてくれました。語学は古語が多く、外国語は習ったことがありません」


 神学は神話経典を読みながら、神々や世界の成り立ちについて習ったくらいだが、神殿ではもう少し突っ込んだ話をするのだろうか。

 今度魔術の研究をするときにリヒトも誘ってみよう。



 それから二日ゆっくりと過ごし、わたしたちは城へ戻ることになった。本当にあっという間だったので、夏にまた遊びに来たい。

 荷造りが終わり、皆の集まる食堂へ入ると、セルジオとユリウスが何やら話していた。


「ね? それくらいして貰ってもいいでしょう?」

「別に私は気にしていないが?」

「そこは気にしてくださいよ。やはり、シェリエルにも……」


 またセルジオが無茶なお願いをしているんだろうと思ったら、わたしの名前が出てきて嫌な予感がする。何でもわたしに押し付けるのはやめてほしい。


「お父様! あまり先生を困らせないでください、先生に見捨てられたらどうするのですか」

「ちょっとしたお願いですよ。一度きりの転移門を設置できないかなと。また数日かけて帰るなんて面倒でしょう?」


 やはりお願いは魔法関連だった。たしかに、転移門で帰れるなら嬉しい。ここに来れたのは嬉しいけれど、移動が楽しいわけではない。


「こんな大人数を転移させることなど出来るのですか?」

「何度かに分ければ可能だよ。君が手伝ってくれるならね」

「お手伝いしたいです!」


 結局いつものように魔術の手伝いに釣られてセルジオの無茶振りを後押しする形となってしまった。

 屋敷にも祭壇のような場所があり、そこに転移陣を描いてもらう。


「先生の杖は何を素材にしているのです?」

「これは無属性の神木だよ。効率は悪いが、属性が偏るよりはマシなんだ」

 

 先生でも自分の属性の素材を見つけられないのか。じゃあやっぱり森の主の角を貰えたのって凄い幸運だったんだな。


「先生も主様の角で杖を作るのですか?」

「いや、同じ全属性でも少し違うようだ。どうせなら、汎用的な魔導具にでもしようと思う」


 先生は魔導具も作れちゃうのか。

 そんな話をしているうちに、転移の魔法陣が出来上がった。荷馬車も送れる大きな魔法陣は全員を送り終えたら処分するらしい。もったいないとは思うが、セキュリティ対策をする時間がないので仕方がない。


 ユリウスと二人で魔法陣に魔力を込め、使用人や荷馬車を次々に送って行く。


「魔力はまだ大丈夫そうか?」

「はい、残量は分からないのですけど、特に体調も変化はありません」


 使う魔力の量は身体でその量を実感できるが、源泉にあるという元の魔力がどれくらいなのかどうやって確認しているんだろう。


「やはり、魔力量が増えているようだね。七割くらいになると、なんとなく分かってくるよ」


 ということは、まだ三割も使っていないのか。洗礼の儀では魔力の感覚に慣れていなかったのでどれほど使っていたのか分からない。とりあえず、わたしは一度の使用量だけを気にしていれば良いみたいだ。


 最後にセルジオとディディエ、それにわたしをユリウスに送ってもらう。


「では、陣を処分したら私もそちらへ向かおう。ノアを近くに置いておくようにね」

「はい! ありがとうございました!」


 足元から浮かび上がる魔法陣の光に包まれ、ユリウスの姿が揺れたかと思うと、次の瞬間には見慣れた城が目の前にあった。

 庭の祭壇に繋いだらしく、先に送った荷馬車や使用人がそれぞれ動き回っている。


「なんだかあっという間でしたね」

「片道だったしね。でもこんな日数をかけて旅行するなんて滅多にないから僕にとっては長旅だったよ」


 ググッと伸びをしながらディディエが使用人を集めると、わたしたちは揃って城へと歩き出した。

 そのまま談話室へと直行すると、珍しくディオールが部屋の中を行ったり来たり、忙しなく歩き回っていた。


「ただいま戻りました、お母様」

「おかえりなさい、無事で何よりよ。それより、セルジオ様はどこかしら?」

「お父様ならもうすぐ……」


 言い終える前にディオールがわたしたちの後ろに何かを見つけ、ズンズンと歩いて行く。

 振り向くと、両手を広げたセルジオが満面の笑みで立っていた。


「ああ、寂しかったですよ、ディオール! ただいま戻りました!」

「どういうことですの!? わたくし聞いておりませんが!」

「な、なんのことです……?」


 またセルジオが何かやらかしたようだ。わたしとしては思い当たることがあり過ぎて、ディオールがどれに怒っているのか見当もつかない。


「王宮に何か余計なことでもしたのでしょう!? 貴族の囚人が一人逃亡し、こちらに向かっているようです。あの塔から脱獄など誰かの助けがなくては不可能でしょうに。きっと王宮が差し向けたに違いありませんわ!」

「ふむ、婚約の話を断ったからでしょうか?」

「婚約の件は鬱陶しい文書が届いていますが、それだけで罪人を送るわけないでしょう。あなたが何か余計なことをしたのではなくて?」


 あ、やっぱり鬱陶しいことにはなってたんだ…… でも罪人が一人逃げたくらいで大袈裟では?

 その報せが届いたのは、わたしたちが出発してすぐ後のことだったらしい。空白の祝祭の間に脱獄したとかで、捜査や連絡が遅れてしまったそうだ。


「うーん、王宮には何もしていないはずですけど、祝祭の間ということは闇オークションは関係ないですし、ゲルニカの後援というわけでもないですよね。何でしょう…… あ、神殿関係かもしれませんね」


 ディオールは深く息を吐きながら額を押さえていた。納得はしたようだが、それでも問題の解決にはなっていない。


「囚人の逃亡がそれほど大きな問題なのですか?」

「あの塔は特別なのよ。貴族のなかでも穢れない犯罪者が隔離されている牢獄なの。わたくしたちと違うのは完全に狂っていて会話もままならない異常者というところかしら」

「でもすぐ捕まえられるのでしょう?」

「王都からこちらに向かっているとなると、いくつも領を越えることになります。転移門は使えないでしょうから、徒歩や馬を使っての領地越えは、捜査の範囲が広すぎるんですよ」


 領地間での連携も容易ではないらしく、騎士団と魔術士団が合同で隊を編成し、地道に捜査しながらベリアルド侯爵領に向かっているという。その話に、急にセルジオまで深刻な顔をして腕を組む。


「不味いですね…… で、誰が逃げたんです? なぜベリアルドに向かっていると?」

「それが分からないのです。何度問い合わせても、囚人の名やこちらに向かっている理由は混乱を招くため教えられないと返ってくるので、それもあって王宮の差金かと疑ったのです」


 なんだかきな臭い話になってきた。ベリアルド家なので、どこで恨みをかっていてもおかしくはないが。


「何か裏がありそうですね。何も知らない状態でそいつを始末しろと言われているようなものですから。少し気になるので生捕にしましょうかね。それより、問題は魔術士団が来てしまうことですよ。アレが来る前に解決出来れば良いんですが……」

「まったくだわ! 絶対にベリアルド領内には入れないでくださいまし!」


 セルジオの困り顔と、ディオールの怒気から、誰ですかと聞ける雰囲気ではなかった。二人は囚人が連れてくる、魔術士団の誰かを警戒しているようだ。

 あ、団長さんかしら? わたしの髪に興味を持っていたから、その対応をするのが面倒なのは分かる気がする。

 他にも個人的な恨みを感じるが、本当に藪蛇になりそうなので、全力でスルーする。

 囚人も、流石に城に侵入することは無いだろう。わたしには関係のない話だと、ディディエと二人で長椅子に腰をおろした。


  

 

ここまでお読みいただきありがとうございます!

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