21.魔物討伐
朝食をとり、翌日の討伐について話を聞く。
ベリアルド領内の魔物討伐はベリアルド一族と領所属の騎士団によって隊が編成されるそうだ。
「騎士は足りるのですか?」
「ええ、どうせ戦うのは僕だけですし」
「どういうことです?」
一応援護として加勢はしても、穢れに耐性のない普通の人は、いくら騎士であっても足手まといになるらしい。王国所属の騎士団や魔術士団はそれでも討伐に向かうそうだが、セルジオにとってはどちらも迷惑なのだとか。
ただ、討伐は魔物を倒すだけでは終わらない。祓いの儀をして穢れを浄化する必要があるので、最低限の魔術士や騎士を連れて行くという。
「シェリエルも参加します? 穢れに耐性があるなら、それほど危険もありませんし」
「んん…… どうしましょう。あまり興味は無いんですけど、主様と約束してしまいましたしね」
森の主に別れ際、また明日と言ってしまった。なぜかあの場では自分も参加するのが当然だと思っていたのだ。
「祓いの儀はベリアルドなら絶対に出来なければいけませんから、経験しておいて損はないですよ」
家の決まりなら仕方ない。その日は妖精たちへのお土産に多めに菓子を作ってもらい、午後はお茶をしたりとゆっくり過ごした。討伐の準備のため、剣術の訓練もお休みになったので、のんびり過ごせるのだ。
森はシエルにとっても居心地が良いのか、泉の近くに散歩に出れば、ふよふよと飛び回っていた。
「シエルは少しここで待っててね」
屋敷のそばにあるロッジのような木造りの建物に、闇オークションで保護した子どもたちが休んでいるので、ヘルメスと一緒に様子を見に行く。
「お爺様、この子たちどれくらいで治りますか?」
「そうだな、薬抜きは二週間ほどで済むだろう。一月あれば、自我も戻るはずだ」
「良かったね、ミア。一月で元気になるって」
ミアは安心したのか、キュッとレオに抱きつき、ヘルメスにお礼を言っていた。
「この感情を奪う薬はどういうものなのですか?」
「魔力を持つ薬草で作られた特別な薬だ。悲しみや苦しみも消え、使い過ぎればだんだん自分のことすら分からなくなって行く。元は、戦場で穢れを溜めるほど心に傷を負った兵に応急処置として使っていた薬だ」
「それだと薬自体を規制することは難しそうですね」
本来の目的以外に使うことを禁止しても良さそうなものだけど、結果的に穢れを生まないので禁止されていないらしい。どこまで行っても穢れ基準なのはどうかと思う。
勝手に連れてきてしまったけれど、ヘルメスは快く子どもたちを受け入れてくれ、しばらく治療してくれることになった。その後元気になればクレイラへも送り届けてくれるそうだ。
翌日、また朝早くに起こされたわたしは、ノアにユリウスを呼んでもらう。
「おはようございます、ユリウス先生。度々申し訳ありません」
「本当に君は問題を引き寄せる才能があるようだね」
「これは不可抗力です。それに魔物がいるなら放っておくより良いでしょう?」
やれやれと言いたげに眉を寄せたユリウスは、既に集まっていた騎士たちを一瞥してため息を吐いた。
「今日は馬で行くそうです。先生に乗せて貰えと言われたのですけど、先生は馬に乗れますか?」
「ああ、問題ないよ。相性の良い子が居ればね」
ユリウスはあまり動物に好かれるタイプでは無いらしく、荷馬車を引いてきた馬も含め先に選ぶことになった。
たしかに並んだ馬の前を順に歩いていくと、耳を後ろに伏せ怯えたような目でユリウスを凝視していたり、立ち上がり逃げようとする馬までいた。ユリウスはその反応に慣れているのか、特に気にした様子もなく、一頭の馬の前で立ち止まると、スッと馬の頬を撫でていた。
「この子にしようか。肝の据わった良い馬だ」
選ばれた馬は得意そうに鼻を鳴らし、後ろ足を蹴っている。やる気は充分のようだ。
準備が整い、昨日森の主と出会ったところへと馬を走らせる。途中から猿や鳥たちが先導するように森を駆け、騎士たちは落ち着かないのかあたりをキョロキョロと見回していた。
「ああ、これは本当に酷い穢れだ。なぜ君たちは昨日気づかなかったのかな」
背後から呆れたような声が降ってくるが、正直何も感じない。
「わかるのですか?」
「背筋を這うような悪寒と、足元から纏わりつくようなじっとりとした重苦しい気配だ。感じないのかい?」
「はい、ベリアルド家は穢れに耐性があるからかもしれませんね」
そういうことか、とユリウスが納得する。しばらく走ると昨日の大木までやってきた。わたしたちに気づいたのか、大穴から森の主が顔を出す。
「これはこれは。森の主は流石の貫禄だね」
「ですよね! 大きくて綺麗でかっこいいですよね」
森の主は馬に乗ったわたしたちよりも大きく、ユリウスと二人、立派な角を見上げた。
「(良く来た人間たちよ。黒も居るとは心強いな)」
「先生、お知り合いですか?」
「いや? 全属性は魔獣にも少ない。それだけのことだろう」
セルジオが前に出て、森の主と挨拶を交わしている。不思議そうに見つめる騎士たちには、セルジオが魔獣に一方的に話しかけているように見えるのだろう。これから討伐に向かうと言うと、主が自ら案内してくれることになった。
「(お前たちにはあの邪悪な気配が分からんのか)」
「そうなんですよね〜。ちょっと嫌な感じはしますけど、方向とかも分からないので一人で討伐に行くことも出来ないんです」
「(魔獣に案内させれば良かろう)」
「たしかに!」
セルジオは古い友人のような気安さで、何故か森の主と打ち解けていた。馬の何倍もある森の主も速度を合わせセルジオと隣り合って歩いている。
「お父様、なんだか人とお話しする時より楽しそうですね」
「アレは人間相手だといつでも斬る理由を探しているからな。森の主は対象外とみなしたようだね」
えぇ…… お父様、物騒過ぎやしませんか?
嫌なことを知ってしまった。だが、それを感じさせないセルジオの擬態能力は素晴らしいと思う。ディディエは天才だが、人に対する興味はわたしにも分かるほど顔に出やすい。流石、領主を務めるだけはあると、変に感心してしまった。
「そろそろだね。酷い悪臭だ、騎士たちには厳しいんじゃないかな」
ユリウスの言葉に後ろを振り返ると、苦しそうな表情で震える騎士たちの姿が目に入る。リヒトも顔色が悪く、付いてくるのがやっとのようだ。
「お父様、皆の様子が!」
「ええ、魔物が近いらしいですね。騎士たちはいつものことなので、気にしなくても大丈夫ですよ」
そんな薄情な…… ユリウスは平気な顔をしているが、うっすらと額が汗ばんでいる。
ディディエは特に変わった様子はないので、これが穢れへの耐性ということなのだろう。
突然、セルジオの馬が前脚を上げ立ち止まる。それ以上前に進みたくないようだ。
「じゃあ主様はここで待っていてくださいね。サクッと殺ってきます」
セルジオは目にも留まらぬ速さで跳ぶように森の奥へと駆けて行った。魔物の気配も分からないのに、大丈夫だろうか……
「私たちも追おうか。セルジオだけでは祓えないだろう」
ユリウスは馬を降り、ディディエにも声をかける。わたしはユリウスの小脇に抱えられ、猛スピードでセルジオの後を追った。
もう少し、運び方は何とかならないものか……
「セルジオそっちじゃない、少し右だ!」
ユリウスが声をかけると、即座にセルジオが木を蹴り方向を変える。本当にどこに向かって走っていたんだろう。少し走ったところで、ユリウスが木の枝に飛び乗った。
「アレだね。随分穢れを溜めたものだ」
ユリウスの視線の先にはドロドロと汚泥に塗れた巨大な何かが居た。上から見るに、本体だけでも六畳くらいあるだろうか。丸餅のような本体を無数の脚が取り囲んでいるが、目も鼻も口も無い。
あたりに砂のようなモヤモヤとしたものが満ちていた。
「あれが魔物…… 元は何だったのでしょう」
「さぁね。ここまで穢れを溜めると元の姿は分からなくなることが多い」
穢れに堕ち、魔物になるとその時点で命は失う。すでに生き物の形を無くしたソレは、ただ魔力と穢れを求めて彷徨う怪物と成り果てていた。
「セルジオ、先に祓おうか」
「そうですね、ユリウスお願い出来ます?」
ユリウスはわたしを残して下に降りると、魔物の頭上に大きな杖を向けて祝詞を詠唱しはじめた。ユリウスの詠唱に合わせ、ディディエも魔法陣に向かって杖を出し、声を重ねる。
「六神降し依さし奉られよ 種種の罪事 天つ罪 國つ罪ーー」
「ーー祓へ給ひ清め給ふ事を」
詠唱が終わると魔物の上空に巨大な魔法陣が浮かび上がる。
カッ! っと魔法陣から強い光が降り注ぎ、魔物が苦しむように暴れ出した。光の消失と共に、周りの砂も、ドロドロと魔物の全身を覆っていた汚泥も消え、本体が姿を現す。
いや、皆には元々この姿しか見えていなかったのかもしれない。あの汚泥は、わたしにしか見えない穢れそのものなのだろう。
汚泥が消えても魔物は動物の原型を留めていなかった。茶色のぶよぶよとした丸い身体は溶けた皮膚のようで、顔もないのでどちらが前なのかも分からない。
が、次の瞬間、中央にギョロりと一つの目玉のようなものが現れた。
「お父様、上に! 真ん中に目のようなものが!」
「よくやりました、シェリエル」
セルジオはガサガサと動く足を薙ぎ払うように切り落とし、一度高く飛び上がると中央に現れた目玉に剣を突き刺す。口も無いのに、どこからともなく金属を引っ掻くような悲鳴が聞こえてきて、思わず耳を塞いだ。
セルジオはブシャッと剣を引き抜き、近くの枝に飛び移ると、下で祓いの儀をしていた二人を呼ぶ。
「いやぁ、ユリウスが居て助かりました。流石に僕もあのままでは突っ込めなかったですから」
「今まで良く無事だったと感心したよ」
「アハッ! そろそろ騎士たちがやって来るので、もう一度祓いをお願いしても?」
ディディエは魔力を使い過ぎたのか顔色が悪い。わたしの隣に飛び移ると、魔物の討伐について説明してくれた。
「はぁ〜、疲れた! 穢れの濃い魔物はさっきみたいに一度祓わないと核が見つからないんだ。今シェリエルが見つけたのが核だよ」
「核って何なんです?」
「何だろうね? 魔力の源みたいなものじゃない?」
源か…… なんとなく分かる気がする。わたしの身体の中にも、魔力の溢れてくる泉のようなものがある。きっとそれだと納得していると、わらわらと騎士たちがやってきた。
「ヒッ…… これほどだとは……」
「セルジオ様! どちらにいらっしゃるのです!」
「はーい、ここですよ」
ひらひらと木の上から手を振るセルジオに気づいたのか、騎士たちがこちらを見上げ、真っ青な顔で立ちすくんでいた。
「おや、これは何人か穢れに触れそうですね」
セルジオが下に降りると、騎士たちは一斉に魔物を取り囲むように陣取る。またセルジオが残った足のようなものを切り取っていた。しかし、一度消えたと思った汚泥のようなものが、また中央の目玉から溢れだし、全体を覆って行く。
「ちょうど僕たちが来て良かったよね。これ放っておくと厄災になったんじゃないかな」
「そんなに酷いのですか」
「うん、普通は大きくても森の主くらいの大きさだし、さっきの一撃で核も完全に破壊出来たと思うよ。僕ももう魔力がカラカラだ」
どうやら大物に当たってしまったらしく、騎士たちの顔色の悪さに合点がいく。セルジオは元気に魔物の周りを跳び回りながら、着々と本体を削っていた。
「リヒトはまだ見習いですよね? 大丈夫でしょうか?」
「自分の身を守るくらいは出来るでしょ。でも、やっぱ外からの穢れにもそこそこ耐性があるみたいだ。面白いね」
呑気に観察している場合じゃないだろうに。しかし、リヒトは正規の騎士たちと遜色ないほど良く動けていると思う。まだ訓練を始めたばかりだというのに、驚くべき成長の速さだ。
「最後の祓いを! ユリウスもお願いしますよ」
ユリウスは下に降り、わたしたちは皆が魔物を取り囲んで詠唱するのを眺めていた。まだ暴れる魔物の足を避けながら、片手で剣を振り、もう片方の手で魔物の上へと杖を向ける。
祝詞が半分を過ぎた。もう少し、と思った瞬間、何人かがバタバタと倒れ出した。近くの者が助けようにも、自分のことで精一杯のようだ。魔物の足が一人の騎士に襲いかかる。
ーーダメだ、間に合わない。
わたしは咄嗟に飛び出していた。同時に剣を取り出し、潰れた刃で魔物の足を止める。間一髪…… と言いたいところだけど、止めただけでは意味がない。
騎士の持つ剣を奪い、全身を回転させるように足を切り落とす。サラサラと砂のように消えていった足を見送り、魔物の上を見ると、途中で詠唱が乱れたからか、魔法陣は完成していなかった。
騎士たちの手足は震え、杖を上げることさえままならないようだ。
「全員引け! シェリエル、詠唱を!」
セルジオの指示に一拍遅れて騎士が動き始めた。わたしはユリウスと目が合うと、瞬時に何をすれば良いのか理解する。
「六神降し依さし奉られよーー」
先ほど聞いた祝詞は頭に入っている。杖がないので片手のひらを魔物の上に向け、魔力を込めた。
まだ意識のある騎士たちの震える声が聞こえて来る。
「そんな…… 無理だ……」
「あんな魔物を二人で祓えるはずがない」
最初の祓いでも一時凌ぎだったのだ。少し魔力は多めの方がいいかもしれない。
詠唱が終わり魔法陣が完成した時、不謹慎にも美しいと思ってしまった。
緻密に配された記号の数々。古い言葉を意味するそれらが、神への祈りを表している。心を揺らすような物語を読んでいる気分だ。
「シェリエル、このまま維持しなさい。もう一つ陣を重ねよう」
ユリウスは不敵に笑うと、別の詠唱を始めた。二つ同時に魔法を使うなんて、わたしはまだ習っていないのに!
一回り小さな陣が重なった時、合わせるようにセルジオがもう一度中央に向かって跳んだ。今度は大きな身体ごと真っ二つにしてしまう。
「さあ、仕上げだ」
わたしがギリギリ使っても良いとされている魔力を放つと、ユリウスがそれに合わせてくれるのが分かった。
ーードンッ!!
大きな炎が落ち、ボッと魔物が燃え上がると、その上に洗礼のような強い光の柱が降り、眩しさの余り目を瞑る。
「ふぅ〜、難儀な魔物でしたねぇ」
セルジオの間の抜けた声に目を開けると、そこには何も無かった。泥も砂も、魔物のカケラさえも消えていて、ただ、あたりに騎士が倒れていただけだった。
「良くできたね、シェリエル。良い祓いだったよ」
「ありがとうございます……」
面と向かって褒められると気恥ずかしく、視線が定まらない。降りてきたディディエも褒めてくれたので、わたしの初討伐は成功したのだと実感する。
「跡形も無く消えるのですね」
「ああ、魔物になると魂すらも朽ち果て、最後はカケラも残らないと言われている。だから皆、穢れを厭うんだよ」
わたしは転生した身なので、余計に魂の消失は恐ろしく感じる。次が無いのだ。どうせ記憶が無いにしても、来世に期待出来ないのは救いが無いように思えた。





