19.北部の森
ピチピチと小鳥がさえずる森の中、冷たい空気を思い切り吸い込む。旅で早起きに慣れたからか、普段ならまだ寝ている時間だというのに朝早くから森を散策していた。
ディディエとヘルメスに案内してもらい、ザクザクと落ち葉を踏みしめる。吐く息は白く、冷たい風に頬をヒリヒリさせながら、耳を澄まして生き物の気配を探る。
「はぁ〜、すごい自然ですね。本物の森に入るのは初めてです」
少しジメっとしていて、朝なのに少し重たい雰囲気だ。気を付けなければ遭難したら死んでしまうだろう。
ディディエは何度か森に入ったことがあるらしく、動物の見つけ方や森の歩き方を教えてくれた。薬草があれば名前や効能を一つひとつ説明しながら、採取している。
「前世では平民だったんだろ? 採取とかしなかったの?」
「食べ物はお店で買うので、自分で取りに行ったりはしませんでしたね。山や川にキャン…… 野営しに行く人はいましたけど、わたしは外に出るのが嫌いだったので、こういう自然は本当に初めてなんです」
前世でもタケノコや山菜を取りに山へ入る人はいた。わたしは普通に出不精だったので、川遊びすらしたことが無かったのだけど、なんとなく懐かしい気もする。前前世では森に入っていたのだろうか。
パキッと枝の折れる音がして振り向くと、野うさぎがちょこんと座りこちらを見ていた。
「シェリエル、うさぎの上だよ、木の枝を見てごらん」
上…… と言われても何もない。そのまま視線を上げて行くと、木の枝に羽の生えた小さなお人形が座っていた。お互い顔を見合わせながら、クスクス笑うように肩を揺らしている。って、生きてる!? もしかして、妖精!?
「これは珍しい。私もこれほど近くで見たのは初めてだ」
「妖精ですよね? この森にはあまり居ないのですか?」
「居るにはいるが、ベリアルド一族は妖精に嫌われるからな。気配を感じても姿まではなかなか見ることが出来ないんだ」
そういえば、そんな話を聞いたことがあるような。妖精は花のつぼみをそのまま逆さにしたようなスカートに、黄色い靴を履いている。グリーンの羽は透けていて、想像通りの姿をしていた。すごい、また有名人に会っちゃった。
「こんにちは」
手を振ると、妖精たちは笑うのをやめ、何か話し合っている。流石に言葉は通じないか……
けれど、二人の妖精はパタパタと蝶のように舞い、目の前まで来るとくるくるその場で飛び始めた。人型なのに手のひらに乗りそうなほど小さいので、本当に人形のようだ。
「な、なんでしょう? 妖精って意外と人馴れしてるんですかね」
「さぁ? 僕も初めて見たからなぁ」
そっと両手のひらを出してみると、二人はそれぞれ左右の手のひらに座った。
「〜〜〜〜〜〜」
口をパクパク開け、何か喋っているらしい。というか、声小さいな…… 耳に魔力を込め少しだけ強化すると、やっと言葉らしきものが聞こえてきた。
「ねぇ、だから、何してんの!」「変わった魔力だよね、ほんとに人間?」
あ、言葉が分かる。声は小さいけど、一応言語は同じらしい。
「お兄様、お爺様、聞こえます? 普通に喋ってますよね?」
「ああ、聞こえているよ」
妖精たちはサッと手で耳を塞ぐと、今度は何やらこちらに向かって怒っている。
「うるさッ! 声デカいんだけど!」「気をつけてよね! わたしたち繊細なんだから!」
「す、すみません、気をつけます……」
結構ふつうに怒ってくるな…… なるべく声を潜め妖精たちに謝ると、フンッと腰に手を当て胸を張った。
「で、アンタ何しに来たの! 答えなさいよ!」「悪魔も連れてくるなんて、なに企んでるの! アンタ、悪いものを運んで来たんでしょ!」
悪魔? 視線はディディエとヘルメスを向いているが、まさか妖精界にまでその呼び名が浸透しているなんて……
たしかにディディエは悪いものに分類されるかもしれないが、わたしたちは精霊を探しに来ただけだ。
「わたしたち精霊を探しに来たの。この森に精霊はいる?」
「精霊? 精霊様がこんな田舎にいるわけないでしょ!」「早くこの森から出てって!」
え、居ないの? ここまでやって来て、いきなり旅の目的が潰えるなんて…… ここは妖精たちにとっては田舎なのか。じゃあ都会?はどこなんだろう。
「そうなんだ…… 残念。あと、この人たちも人間だよ、悪魔じゃないからね?」
「人間なの!? 全然甘い匂いがしないよ?」「うん、こいつも微妙なところだよね、悪いやつは追い出さなきゃ!」
「甘い匂い?」
「そうだよ! 人間の優しい気持ちは甘い匂いがするの!」「でもアンタたちはぜーんぜんだね!」
へぇ、心を匂いで判別するのか。もしかしたら、最初にベリアルドを悪魔と言い出したのは妖精なのかもしれないな。
そういえば、前世で妖精のためにクッキーとミルクを置いておくというお話を聞いたことがある。何か関係があるのだろうか。
「お兄様、メレンゲを持って来ていますよね? 一つこの子たちにあげてみてください」
「メレンゲを? まあ、いいけど……」
手の塞がったわたしの代わりに、ディディエにメレンゲを出してもらい、ころんとひとつ手のひらに乗せてもらった。
「なにこれ!」「きのこじゃない?」
「メレンゲというお菓子なのだけど、妖精はお菓子も食べれるの?」
最初はツンツンと突いて様子を見ていたが、一人が両手で抱えるようにしてメレンゲを齧ると、途端に羽をパタパタと動かし始めた。それを見たもう一方の妖精も、反対から大きく口を開け齧る。
「甘い! すっごく甘い!」「アンタ良い人間ね!」
すごい勢いでメレンゲを平らげ、二人は満足したのか足を投げ出しお腹をさすりながら寛ぎだした。どうやら妖精は甘いものが好きらしい。気づけば普通に会話できるようになっていた。
妖精は魔力を養分としているが、蜂蜜や花の蜜はおやつになるのだとか。栄養にはならないが、嗜好品なのだという。
「蜜の匂いもしないのに!」「なんでこんなに甘いの?」
「お砂糖を使ってるの。食べたことない?」
「お砂糖か! 人の街でたまに貰えるって聞いたことある!」「悪いものじゃなかった!」
こんな森で砂糖を貰えるなんてと大はしゃぎの妖精たちと、もう少し森の奥まで進むことにした。精霊は居ないらしいが、動物はたくさん居るというので案内してもらうことになったのだ。
「妖精も獣ももっと奥にいるよ! わたしたちは変な気配がしたから見に来たの!」
「そうなの、なんかごめんね」
「いいよ! お砂糖食べれたし!」「でも今この森、元気ない。ヌシ元気ないから警戒してる」
何かあったのだろうか。コロコロと話の変わる妖精相手には思うように会話が進まない。
妖精たちは、半透明の羽をキラキラと煌めかせながら森の奥へと進んで行く。しばらく歩くと、池のような水辺に出た。小川の途中に出来た、大きな水溜りのようだ。小鹿や足の長い水鳥、それに猿やオウムまでいる。
「わぁ〜、すごい! たくさん動物がいる!」
「ここは水飲み場だからね! そうだ、さっきの白いのまだある?」
「ええ、少しだけなら」
妖精は二人でコソコソと話し合い、パタパタとどこかへ飛んで行ってしまった。
「何だったんでしょう?」
「さぁ? 仲間でも呼びに行ったんじゃない?」
ディディエの予想は当たり、しばらくしたらわらわらと妖精が姿を見せる。花の妖精以外にも様々な種類の妖精がいるようだ。
「ねぇ! みんなにもさっきの白いのちょーだい!」
「いいけど、足りるかな? 足りなかったらまた焼いてくるね」
「やった! アンタ変わった匂いしてるけど、良い人間だね!」
小袋に入れたメレンゲを広げると、手のひらにたくさんの妖精が集まって来た。食べやすいように小さく砕いてやると、それぞれカケラを持って美味しそうに食べてくれる。小鳥の餌付けみたいだ。
「あまーーい! 本当に白くて甘いのね!」「サクサクで美味しい〜!」
「気に入った? 森の大きな泉のそばにお屋敷があるでしょう? そこにお爺様が住んでいるから、たまに焼いてもらうといいよ」
「本当? ならわたしたちもお礼しないとだよね!」「そうだ、お礼しないと!」
「じゃあ、森に知らない人が入って来たり、変わったことがあったら教えてくれる?」
「いいよ! 爺さん、ちゃんと白いの用意してよね?」
勝手に取引をしてしまったが、ヘルメスは笑いながら了承してくれた。監視塔はほとんど機能していないので、普段はヘルメスが気配を察知するまで森の異変には気づかないそうだ。
「これでわたしも研究に集中が出来る。妖精たちと共存するなど、長生きしてみるものだな」
「お爺様はここでグリちゃんと出会ったのでしょう? 本当に妖精は見たこと無かったのですか?」
「ああ、気配はたまに感じるが、言葉を交わしたのは初めてだ」
精霊には会えなかったが、妖精と仲良くなれたので大満足だ。シエルと一緒に寝ていれば、しばらく石化も大丈夫だろう。普段起きているときは常に魔力が動いているのでそれほど危険はない。寝ているときに溢れ続ける魔力が問題だったのだ。
「そうだ、うちに妖精を呼ぶ植木鉢があるの。ここから離れた場所だけど、今度遊びに来てね。お菓子も用意しておくから」
「ああ、僕があげたやつか。あれ、魔力を注がなきゃいけないから、花を咲かせるのは大変だよ?」
「そんなに珍しい植物だったのですか。帰ったらちゃんと世話しないと!」
妖精たちは、すっかりメレンゲを気に入ったようで、他にもお菓子があるのかと詰め寄ってくる。帰ったらチョコレートの研究も進める予定なので、妖精たちにも味見してもらおう。
チリチリとあたりにはたくさん妖精が飛び回り、本当に異世界なんだなと改めて実感する。水辺に集まる動物たちもだんだん増えてきていた。
「ねぇ! ヌシこれ食べたら元気になるかも!」
「そうだね! 持っていってあげよう!」
妖精たちがそれぞれカケラを持ち、くるくると飛び回りながら相談している。
「ヌシ元気ないと森も元気ない!」「早く持っていこ!」
「人間、ヌシに会わせてあげる! これ作ったから褒められるかも!」
もう少し奥にそのヌシとやらがいるらしい。今は元気がなく水飲み場にも来れないようだ。口々に話す妖精たちの言葉から分かるのはこれくらいだった。
言われるまま、更に森の奥へと進むと、後ろからぞろぞろ動物たちも付いて来る。途中から次々と動物たちが加わるので、いつの間にか大行列になっていた。
急に、その行列が動きを止める。それ以上は進めないというふうに、その場に留まりこちらをジッと見ていた。
「ほら、もうすぐだよ!」
大木の根が洞窟のような穴を作り、小さな家のようになっている。その中にヌシがいるのだとか。
「ヌシ〜! 人間来たよ!」「甘いのもらった!」
妖精たちがカケラを持って穴の中へと入っていくと、少しして白い木の枝のようなものが穴から見えた。角……?
穴から出てきたのは立派な角の大きな鹿だった。たぶん、鹿だと思う。ヘラジカに近いだろうか。角も身体も真っ白で森の主らしい荘厳な佇まいに、雄大な魔力も感じる。
後ろを振り向くと、控えていた動物たちは、皆身体を低くして王に謁見するかのように伏せていた。
「白の魔獣か…… まさかこの森に……!」
「やはり珍しいのです?」
「珍しいなんてものじゃない。存在しないと言われてたんだぞ? シェリエルも含め、白の生き物は」
そうだった、わたし存在しない色って言われてたんだっけ。でもまぁ、いるでしょ。白いウサギや鳥なんかは普通だったし。
「森の主ってことか。精霊の代わりにこの森を治めてるんじゃないかな。それより、何か嫌な感じがする……」
「嫌な感じですか? それより、あの子たちあんな小さなカケラを渡しても仕方ないでしょうに……」
目の前までやってきた真っ白な森の主は確かに少し元気がなさそうだ。後ろ足を引きずっているように見える。怪我はしていないようだが、泥のようなものが膝から下を固めていて、足が動かないらしい。妖精たちは次々にメレンゲのカケラを差し出すが、森の主は首を振っている。
「森の主さん? 初めまして」
あまりにも背が高く、見上げる首が痛い。森の主は足を折りその場に座り込むと、泥のついた右後ろ足だけ投げ出すように寝そべった。
「(こんにちは、白のお嬢さん、こんな姿で申し訳ないね)」
「わ! しゃべった!」
「え? 何か聞こえた?」
ディディエとヘルメスは首を傾げていて、声が聞こえてないようだ。この内に響くような声は覚えがある。わたしの頭に直接話しかけてるのだ。
「具合が悪いのにお邪魔してしまってごめんなさい」
「(いいんだよ、白は珍しい。ワタシも久しぶりに同胞に会えた)」
わたしの言葉はそのまま伝わるようで、きちんと会話が出来た。人間同士でも国が違えば言葉が通じないのに、動物と話せるなんて不思議だ。
森の主は目に力が無く、本当に弱っている様子だった。
「あの、その足ですか? 具合が悪いのって」
「(ああ、少し穢れをもらってしまった。すぐにワタシの代わりに主が誕生するから、森は問題ないよ)」
穢れ? たしかに汚い泥のようだが、潔癖症なのだろうか。森の主は後ろで控える動物たちを見つめ、静かにわたしの頭に声を響かせた。
「(同胞よ、ワタシの頼みを聞いてくれないか?)」
「なんでしょう」
「(ワタシを殺してほしい。ワタシはもうすぐ死ぬ。ただ死ぬだけなら問題ないが、魔物になると皆に迷惑をかける。だから、その前に……)」
えぇ…… 森のお散歩が突然重い話になってしまった。
いきなり殺せと言われても…… ねぇ?





