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眠れる森の悪魔  作者: 鹿条シキ
第三章 旅と魔法

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17.邂逅と解読


 部屋中に白い羽が飛び散り、寝台の上ではボロボロになったシーツから綿が飛び出している。カーテンも破れ、長椅子に置かれていたクッションも無惨な姿になっていた。


「シエル! どこにいるの!」


 もぞもぞと寝台が蠢き、破れたシーツの隙間から、「キュイ」と小さく鳴きながらシエルが顔を出した。


「シエル…… 置いていかれて寂しかったの? 退屈だった? でもこんなことしちゃダメよ?」

「ギィ?」


 首を傾げるシエルはまったく悪びれた様子もなく、頭に綿を乗せたままこちらへヨチヨチ歩いてくる。うーん、可愛いから許す。お部屋の修繕費はわたしが負担しよう。

 もう! とシエルを叱ってみるが、まったく伝わっていない。都合の悪いことは聞かない主義らしい。スッと、馴染みのある気配がして振り向くと、窓辺にノアが座っていた。


「ギイィイィ!」


 突然、シエルがパニックになったように走り出し、家具にぶつかりながら寝台の綿の中に潜って行ってしまった。もしかして、ノアに怯えてこの惨状が……?

 猫に怯えるドラゴンなど聞いたことがない。


「シエル、ノアにビックリしちゃったの? あんな大きな黒竜にも向かって行ってたじゃない。大丈夫よ、出ておいで」

「シェリエル様、ノア様は精霊でございますので、竜種より上位の存在です」


 メアリの言葉でやっと理解する。見た目が猫なので忘れがちだが、ノアは精霊だった。大人の竜ならまだしも、シエルはまだ小さいので未知の上位種に思えたのかもしれない。


「ノア、ドラゴンの赤ちゃんなのだけど、仲良くしてくれる?」


 ノアは「ァーオ」と返事をし、シエルの隠れた方を見つめている。威嚇する様子もないし、たぶん大丈夫だろう。シエルに声をかけながら、綿の隙間から引っ張り出す。


「シエル、ほら出ておいで。怖くないよ、優しい猫ちゃんだよ」

「ギィ……」


 尻尾を丸めて翼も硬く閉じたままプルプルと震えている。抱っこして膝に乗せ、頭を撫でていると、少しずつ震えが治ってきた。濡れた瞳で見上げられると、少し可哀想になってしまった。


「ごめんね、先に紹介しておけば良かったね。ほら、ノアが来てくれたよ。挨拶しよ?」


 シエルは縋るようにわたしに手をかけるが、頭だけはノアに向けたまま動かない。ゆっくりと近づいてきたノアがついにシエルの前で立ち止まり、ツンと鼻を突き合わせた。パチパチと瞬きするシエルが「キュイ?」と鳴くと、ノアも「ナァー」と応える。

 シエルはそろそろとノアに向き直し、翼を広げて頭を下げた。ドラゴンなりの挨拶なのだろうか。


「ドラゴンと精霊って話せるのかな?」

「何だか通じ合ったような雰囲気ですね」


 仲良くなってくれたと安心したその時、ノアがバシッとシエルを横殴りにした。華麗な猫パンチでわたしの膝から転げ落ちたシエルを横目に、ノアが膝で丸くなる。


「意地悪しないの!」


 フン、と澄ました顔のノアはシエルに目もくれず丸くなったまま毛繕いをしている。最初に上下関係をハッキリさせておきたいのだろうか。わたしはちょうどノアに頼みがあったので、そっと持ち上げて膝から下ろす。


「ノア、もう一度ユリウス先生を呼んでくれる?」


 ノアはパチパチと瞬きし、少ししてユリウスと入れ替わった。


「何かあったのかい? 今日は授業の予定はないだろう」

「度々すみません。クレイラと城を転移門で繋ぎたいのですけど、お願い出来ませんか? 授業にも関係ないので、報酬も別途用意させていただきます」


 ユリウスは腕を組み、何かを考えているようだ。


「いいだろう。ただし、私が関わったことは内密にしてくれるかな?」

「はい、先生がそれで良いのなら…… 」

「報酬は、君に私の手伝いを頼もうかな」

「そんなことで良いのですか?」


 ユリウスの手伝いなら大歓迎だ。わたしが手伝えることといえば雑用や魔力の提供くらいだが、魔術の実験台でも何でもやりましょう。すでに並の働きでは返せないくらい借りが出来てしまっているのだから。


「ではセルジオに話を聞いてくるよ。城に直接繋ぐわけにもいかないしね」


 ユリウスはひらひらと手を振りながら扉から出て行った。クレイラ子爵とも面識がないのに、いきなり屋敷を歩き回って大丈夫だろうか。

 ノアが帰ってこないので、ユリウスに道案内しているのかもしれない。一仕事終えた気分で膝の上のシエルを撫でていると頭がボーっとしてきた。

 今日も早起きしたせいか、ボロボロの寝台の上でコクリコクリと船を漕ぐ。メアリに声をかけられたときにはすっかり荷造りも終わっていた。


「そろそろ出発されるそうですよ」


 のそのそと立ち上がり、シエルを抱えたまま階下へと降りる。ノアは姿を消したままだが、また馬車へ乗り込む際には戻ってくるだろう。

 他の使用人たちも朝から準備をしていたのか、すでに準備は整っていた。整列し、見送ってくれるクレイラの貴族たちと挨拶を交わす。


「クレイラ子爵、お世話になりました。これからもよろしくお願いします」


 子爵は膝を付き、片手を上げる。右手を出すと、子爵は軽くその手を取り、額を当てた。


「家族を…… 町を救ってくださり、心より感謝申し上げます。この御恩を生涯忘れることなく、必ず報いたいと思います」

「これから町を救うのは子爵です。サラとカイル、お預かりしますね」


 屋敷中の人に見送られ、わたしたちはクレイラを出発した。一泊しかしていないのに、ずいぶんと長居したような気がするのは、たくさんの出会いがあったからだろうか。


「お父様、転移門は設置出来たのです? お任せしてしまって申し訳ありませんでした」

「いえいえ、いいんですよ。ユリウスがしっかりやってくれました」


 荷馬車も転移できる立派な転移門が出来たとセルジオはご満悦だった。


「そういえば、なぜ北部には転移門がないのですか? お爺様もいらっしゃるのに」

「他領との境界なので、侵略されたときにすぐ城に攻め込まれてしまうからですよ」


 ベリアルドを侵略するなんていう無謀な領地があるのか……

 膝に乗っていたノアがそろそろと隣に降りたかと思うと、ユリウスと入れ替わった。噂をすればなんとやら?


「先生、転移門の設置ありがとうございました」

「ああ、簡易的なものだけどね。それより、魔法陣の解読がどうなったか聞かせてくれるかな」


 そういえば、バタバタしていてすっかり忘れていた。二割くらいは記号の意味がわかったというだけで、他はさっぱりだ。文章として並んでいないので、読み方の法則が分からない。これ以上解読は難しいかもしれないとユリウスに伝えると、パッと現れた空間の穴から、大きな筒状の紙を取り出した。


「先生、それは?」

「転移門の魔法陣だよ。神級だから魔術書に載っているものよりは情報量が多いはずだ」


 パサりと開いた紙にはぎっちりと幾何学模様が広がっている。洗礼の魔法陣よりは簡素だけれど、他の魔法陣と共通の記号がほとんどだ。なるほど、洗礼の魔法陣は魔術の中でもかなり特殊な部類なのか。

 

「凄いですね、これを完璧に描き写したんですか?」

「君もディディエも出来るんじゃないかな。図案が頭に入っていればそう難しいことじゃない」


 ディディエを見ると、隅から隅までじっくりと眺めていた。ユリウスもディディエと同様にきっちり丸暗記できるらしい。わたしは語学や史学なんかは理解しないと頭に入らないし、魔法陣は保存してあるものを再生しているだけなので、少し違う気がする。

 本当に二人のスペックの高さには嫌になる。こういうチートは転生の醍醐味ではないのだろうか。


「へぇ〜、かなり複雑だね。描き写すだけなら出来そうだけど、さすがにこの規模の魔法陣は発動できないな」

「魔力を流すだけではないのですか?」

「それで済まないから神級なんだよ。で? ユリウスはシェリエルに何をさせたいの?」


 ユリウスはスッと整った微笑みを浮かべた。わたしはこの無機質な笑顔があまり好きじゃない。


「改変したい魔法陣があるんだ」

「あ、わたしのお手伝いってそれですか?」


 返事の代わりに笑みを深める。悪いことじゃないなら良いけれど……

 わたしの膝にはシエルが、ユリウスの膝にはノアが陣取り、それぞれ身体を丸めて寝息を立て始めた。


「それで、どうやって解読している?」

「語学と同じですよ。共通の記号を抜き出していくんです。洗礼の魔法陣で属性というか神々の記号は分かったので、それを起点にして読もうと思ったのですけど、読む順番が分からないのでまだ全然です」

「ふむ、では洗浄魔法と水を出すだけの魔法、二つを比べてみようか」


 するすると紙を仕舞い、別の小さな紙を取り出した。ユリウスはそこに二つの陣を描いていく。

 一つはシンプルな水魔法。そしてもう一つは三種類の円が重なった魔法陣だった。


「あ、分かりやすいですね。洗浄には火の属性とあとこれは無属性でしょうか。あ、分かった! これで水を消すんだ」


 似た魔術を比較していけば良かったんだ。基本中の基本なのに、なまじスペックを上げた自身の脳を過信していたらしい。わたしは他の魔法陣も似た動きをするもので分類し、サクサクと相違点をピックアップしていく。パズルみたいで楽しい。

 一通りデータが揃うと、今まで見えなかったものが見えるようになった。錯視絵のように、同じ模様なのにぼんやりと別の線が浮かんでくるような感覚。


「先生、さっきの転移門の魔法陣を見せてください」


 再び広げられた大きな紙には先ほどと同じ幾何学模様が広がっているはずなのに、やはり違って見える。陣と陣を繋ぐ線が何を意味するのか、どう記号が作用するのか、次々に法則を示し始める。


「天元に坐す皇神等の前に空の御言申し受く 乞い願わくは空の神 我がため不二術示し給へ 青き空より出たる盃 囲い繋ぎ我らを運ばん」

「待て、シェリエル!」


 バッとユリウスの手がわたしの口を覆い、わたしはそれ以上読むのをやめた。両手でユリウスの手を下ろすと、皆が焦った様子でわたしを見ている。何だろう、別に禁術とかではないはずなのに。


「なぜ祝詞を?」

「祝詞、ですか? たしかに似ていますね。ん? これ祝詞なのです?」

「は? 君は今、祝詞を詠唱していただろう?」

「いえ? 魔法陣を読んでいたのです」

「…………」


 しばしカタカタと馬車の揺れる音だけが響き、全員の動きが止まる。息をするのも躊躇われるような空気を、ユリウスが破った。


「いや、ちょっと待て、なぜ魔法陣を読んで、祝詞になるんだ」

「どうしてですかね。現代語にしても良かったのですけど、現代には無い言葉があるので古語の方がしっくり来たのです。でも、たぶんわたしの知る古語にもない言葉があるので、祝詞は最古の言葉なのかもしれませんね」

「待て待て、今は言語の話はしていない。いや、言語なのか?」


 こんなに慌てたユリウスを見るのは初めてだ。ふと、人の心の揺れが面白いというディディエの気持ちが分かったような気がして、慌てて気を引き締める。悪趣味、ダメ、絶対!

 しかし、当のディディエ本人は、ユリウスと同様に酷く焦った様子で腕を組んだままブツブツと何かを呟いていた。


「……いやいや、ダメだろう。流石にこれは」

「お兄様、何がダメなのです?」


 ディディエは一度ユリウスを見て、頷き合った二人は何かを確認したようだ。またわたしだけ仲間外れにされている。と、思ったらセルジオも戦線離脱していた。ポケッと外を眺めている。


「神級魔法には魔法陣を生成する祝詞は存在しないんだ。でもいま、シェリエルが祝詞を唱え始めたとき、魔法陣の一部が出来かけてた。それってつまり……」

「ああ、祝詞は魔法陣を生成する鍵ではなく、魔法陣そのものということなのかもしれない。しかし、詠唱が終わる前に発現するなどあり得ない」


 うん? そういうものだと思って解読していたのだけれど……

 

 

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 今っ更な疑問です。ここで転移門を翻訳した時に、詠唱が終わる前に魔法陣が出現しかけたのは何故ですか? 一語一語意識しながら唱えるとこうなるんですかね?
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