10.クレイラ
早朝から馬に乗り、奴隷市を見てまわったあとに剣術の訓練をすれば、さすがに馬車で起きていることなどできなかった。ノアを膝に乗せぐっすりと眠っていたわたしは、ディディエの声に起こされる。
「シェリエル、着いたよ。クレイラの町だ」
「おあ、おはようございます……」
徐々に意識が覚醒してくると、窓の外には赤いレンガの小さな家が見えた。サラから聞いた通り人の気配は無く、村に近いような気もする。反対側の窓からは、岩山の上に建つお屋敷が見えていた。
「本当に岩山ばかりなのですね」
「ええ、あの先に見える山々がドラゴンの巣と言われているんですよ」
小さな岩山から大きな山まで、見渡す限り土色だった。ところどころ草木の生えている箇所も見えるが、本当に微々たるものだ。
「この町の人たちは本当に援助金だけで暮らしているのですか?」
「若者は出稼ぎに行ったりもしているようですけど、一定数は残っていないといけないので、ほとんどが家で内職をする程度でしょうね」
竜の守人として暮らすクレイラの人々は、ドラゴンを祀ったり崇めたりしているわけではないらしい。ただ、ドラゴンが現れると討伐隊が来るまでの時間稼ぎとして、ドラゴンを惹きつける役割があるそうだ。
「ねぇ、クレイラの民がどうやってドラゴンの気を惹くか知ってる?」
ディディエが楽しそうにクレイラの町を眺めている。何か嫌な予感がしつつも、「いえ」と答えると、ディディエは恍惚と目を細めた。
「年寄りから順に、身体を切りつけ血を流しながら馬で走るんだって。一人喰われたら、次の人がまた同じように馬で走る。だからクレイラの民はみんな馬に乗れるし速く走れるんだ。どんな気持ちで走るのかな……」
「お兄様、屋敷に着いても絶対にその話はしないでくださいね? いくら悪気がなくても気分を害しますよ」
「でも彼らそれを誇りに思ってるんじゃないの?」
「本音と建前というものがあるでしょう? まだ人心の授業が足りてないのですか?」
ディディエは不服そうにぶつぶつと漏らしているが、我々のために命を掛けてくれている人に、不要な発言をしてほしくない。これは、目を光らせておかなければ。
「お父様、こんな生贄みたいなことをずっと続けているのですか?」
「そうですね。でもここのドラゴンが人の町に降りるのは史実に残っているものでも数回程度ですよ。だいたいそのまま悪魔の森の方へ飛んで行きますし」
意外にも少なかった。まだ人の歴史は千年程度なので、数百年に一度くらいの割合か。彼らが居なければ討伐隊が間に合わず被害が拡大するというのも理解はできるが、その数回に当たった人を思うと後味の悪い話だ。
「生贄といえば、ベリアルド領自体が国の生贄みたいなものですからね。悪魔の森から魔物や魔獣が降りてくると習ったでしょう」
そう言われると…… たしかに。この世界のパワースポットとでも言うのだろうか。悪魔の森は魔力が濃く、人の害になるような魔獣も育ってしまうらしい。そんな場所を穢れに強いベリアルド一族が治めるというのは、当然といえば当然なのだ。国として、そういった考え方が根付いているのかもしれない。
坂を登り、屋敷に到着すると、先に馬で走っていた補佐官が出て来た。先触れなしの突然の訪問なので出迎えに少し時間がかかるそうだ。わたしは使用人の荷馬車から降りて来たメアリとサラに声をかける。
サラは泣いていたのか目がパンパンに腫れていた。逃げ出した故郷への思いをわたしが知ることはないが、ディディエの言葉が引っかかる。
『もう少ししたら危ないんじゃないかな』
それは狂い、穢れに落ちるということだ。もしそれほどの絶望と罪悪感を乗り越えることが出来たなら、サラはベリアルドの城で働く者の「強い心」を認められる。一度関わってしまった以上、城で働くにしても、奴隷市に戻るにしても、サラの憂いを取り除くことはベリアルド一族として当然の行為であるはずだ。
「サラ、わたしの魔法の練習台になってもらってもいいかしら?」
「は、はい。もちろんです」
「では、少し屈んでくれる?」
わたしの目線の高さまで膝を折るサラに、治癒魔法をかける。両目に手を当て、簡単な初級魔法を使うと、手を離したときにはすっかり目の腫れも引いていた。わたしに出来ることは今のところ、これくらいしかない。
「これは……」
「ふふ、わたしも前にお兄様にしてもらったの。上手く出来たかしら」
サラは何度もパチパチと瞬きし、腫れの引いた瞼をたしかめているようだ。ふと、サラの肩や腕に砂が積もっていることに気付いた。奴隷市の生活はそれほど悪いものでは無さそうだったけれど、移動中に汚れたのだろうか。パッと払ってやると、サラは真っ青になって謝罪を始めてしまった。
つい目に入って手を出してしまったが、今度からはきちんと断りを入れた方が良さそうだ。振る舞いについてはディディエに偉そうなことは言えないなと反省する。
屋敷の主とあと数人、貴族がぞろぞろと出てきた。どう見ても困惑しているし、夫人などは今にも倒れそうなほど顔色が悪い。
お父様は喜ばれると言っていたけど、やはり迷惑だったんじゃ……
「領主様、この度はわざわざご足労いただき、まことに光栄にございます」
「突然の訪問で驚いたでしょう。娘のシェリエルがドラゴンに会いたいと聞かないもので」
わたしのせいにするなんて酷いじゃないか。たしかにわたしはドラゴンに会いたかったが、クレイラ訪問はディディエとセルジオが強引に進めたことだ。
サラの存在には触れず、挨拶を交わすと屋敷に案内された。当主はクレイラ子爵のはずなので、彼がサラの父親だろう。
「それで、最近何か困ったことはありません? 例えば物資が購入できないとか、娘の居所が分からないとか。あ、娘の方は解決しましたね」
「な、なぜ……」
言葉を詰まらせた子爵は途端にうろうろと視線が泳ぎ始める。そして、子爵はやっとサラを直視した。
「今朝お隣りの領地で買い物中に拾いまして。でももう手付金も払っているので一応我が家のものです。だからご安心を」
含みを持ったセルジオの言葉に、子爵は状況を理解したようだ。力なく背を丸め、謝罪を繰り返していた。ずいぶん探したのだろう、疲れの滲んだ子爵の様子に、サラもぎゅっと目を瞑っている。
再度、セルジオが「なにか困ったことは?」と問うと、子爵はグッと拳を握りしめ、言葉を探しているようだった。顔をあげた子爵は、当主らしい落ち着きを持って、しっかりとした声で答える。
「町は特に変わりありません。領主様のお力で何不自由なく暮らしております。 ……しかし、我が家の大事な家族が一人、ゲルニカ伯爵のお屋敷に投獄されておりまして、それだけが気がかりにございます」
「ふむ、娘ではなく?」
「ゲルニカって隣の都市を治めてる伯爵だよね?」
わたしが寝ている間、ディディエは一通りのことをセルジオから聞いたらしい。それより家族が投獄?
サラからは何も聞いていない。クレイラの貴族は三家が一緒に暮らしていると言っていたので、その中の誰かだろうか。わざわざセルジオに訴えたのだ、サラの震える様子からも、その人がサラの気がかりなのではと思い至った。
「サラの大事な人かしら? 罪状は?」
「サラの…… 婚約者にございます。罪は、ゲルニカ伯爵への傷害罪でして……」
なるほど。子爵が婚約者だと言いきり、サラが血が滲むほど唇を噛んでいる。サラの逃亡を助けた恋人なのだろう。サラの指には婚約の印が無かったので、ゲルニカとも囚われの彼とも正式には婚約していない。それでも子爵がサラの婚約者だと言うくらいだ。サラの所有を宣言したセルジオに救って欲しいという思いが伝わってくる。わたしは念の為、サラの気持ちを確かめる。
「サラ、貴女はどうしたい? サラの気持ちを整理しに来たのだから、心残りは良くないわ」
サラは俯き、ジッと何かを考えている。そして、強い意思を持った瞳でわたしを真っ直ぐに見た。
「わたしも、彼と共に、罪を償いたいと存じます。しかし、許されるならば、ゲルニカ伯爵ではなく、領主様に裁いていただきたく」
サラは助けて欲しいとは言わなかった。罪だと認め、それでもゲルニカの元へは行きたくないという強い願い。どんな罪であれ、ベリアルド領内であればセルジオに裁く権利がある。というより、領主が裁ききれない地方の問題を、その土地を治める貴族に任せているだけなのだ。代わりに裁くくらい、何の問題もない。
「お父様構いませんか?」
「ええ、いいですよ。僕斬首がとても得意なので皆数秒は首が落ちたと気付かないんです、凄いでしょう?」
どうしてこの流れで斬首の腕自慢を始めるのか…… 子爵など卒倒してしまったじゃないか。まったく空気の読めない父は放っておいて、わたしたちはゲルニカ伯爵がいる隣の街へ行ってみることにした。
馬で走ればすぐのところにあるらしい。クレイラに来る途中通ったらしいのだが、わたしは眠っていたのでまったく気づかなかった。セルジオの馬に乗せてもらい、護衛騎士も付けず、四人だけで馬を走らせる。
途中、ゲルニカの事前情報を簡単に教えられ、わたしはつい眉を顰めてしまった。昨日から人間の醜いところばかり見ている気がする。これなら城の方がよっぽど平和だった。
「ほらほら貴族の笑みを忘れてはいけませんよ。そろそろ着きますからね」
セルジオの言葉通り、本当にすぐ大きな街に着いてしまった。
そろそろ日が暮れ始めるころだというのに、街には人が賑わっている。サラの案内で馬の走れる道を走り抜け、中心にあるゲルニカの屋敷に到着した。
今度こそ直前の先触れすらない突然の訪問。サラが顔見知りらしい門番に何か言うと、一人は屋敷へと走り、一人は中へと通してくれた。慌てた様子の使用人に出迎えられ、正面口から屋敷の中へと進んでいく。
「サラ、大丈夫?」
「はい、申し、わけありません」
細く不安定に震える声は、この屋敷に対する嫌悪と恐怖を物語っていた。その理由の一端を、案内された部屋で知ることとなる。





