9.拾い癖
ベリアルド領に入ってすぐの森の中、木と土の匂いでなんとか気持ちを落ち着かせながら、背後で手綱を握るセルジオに声をかける。
「旅行と聞いていたのでてっきり観光を楽しむものだと思っていました」
「そうですよ? だから観光しながら旅を楽しんでいますよね?」
観光と言えば観光なのだろうか。まだ魔術の授業と奴隷関連の記憶しかないのだけど。
わたしたちはとりあえずサラと仮契約を済ませ、野営していたベリアルド領の外れへと戻ることにした。手付金を払えば数日貸し出しのようなシステムがあるらしい。
サラは貴族の娘には珍しく馬に乗れると言うので、セルジオが街で一頭買うと、サラはその場に倒れ込み、その後も何かぶつぶつと呟きながら馬に乗っていた。
野営地に着くと、サラはまたしても落馬しそうになりながら、騎士に支えられて天幕に入る。
「では、改めまして、ベリアルド領の領主をしているセルジオ・ベリアルドです。こっちが長子ディディエで、こっちが貴女の主になるかもしれない次子のシェリエルですよ」
パサリとフードを外し、自己紹介するセルジオにサラはまた貧血でも起こしたのか倒れ込むようにして身を伏した。
平民のように頭を低くし、全身を硬く閉じるように震えている。
「領主様…… 大変なご無礼をどうかお許しください」
「特に無礼を働かれた記憶もないですが、クレイラが潰れてしまっては僕も少し困るんですよね」
「本当に申し訳ございません! どんな処罰も覚悟しています! ですがクレイラにだけは……」
「まあ、まずクレイラの様子を見てからどうするか決めましょうか。連れ戻すわけではありませんから、安心してください」
サラからしてみればいきなり領主が現れ、逃げてきた故郷に連れていかれるとなれば慈悲を乞いたくもなるだろう。だが残念ながらベリアルドに慈悲はないのだ。最悪、昨日保護した子たちの世話係として北部へ連れて行けばいいかなと思い、わたしも特に反対しなかったのだけど。
パッと顔を上げたサラは、わたしと目が合うとまた固まってしまった。パクパクと口を動かすだけで声になっていない。まん丸に見開かれた目はわたしの髪を凝視していた。
「このままどこかに勤めても、気持ちが落ち着かないでしょう? 一度町に戻ってきちんと気持ちの整理を付けて来た方がいいのではないかしら」
「お心遣い感謝致します……」
「こんな髪の主で良ければ、契約を前向きに考えてくれると嬉しいのだけど」
サラは潤んだ瞳から涙を溢すまいと必死に眉間に力を入れている。昨日から女の子の涙を見てばかりでなんだか気が滅入ってきた。夢では能無しの欠陥令嬢だと言われていたけど、これじゃあ人を泣かせてばかりの悪人みたいじゃないか。
いや、ミアは安堵の涙だと信じたい。
「一応わたしのメイドとして仮契約して来たので、メアリに付いて仕事を習って貰います。メアリはサラより下位の貴族だけど、彼女に従える?」
「もちろんです」
良い返事が聞けたので、後はメアリに任せるとしよう。朝食は使用人たちと食べるよう他のメイドに案内させ、わたしたちも朝食の準備をしてもらった。
「で、そのまま連れてきたのかい? 君たちはなんでも拾ってくるね」
「ノアとかユリウスとかね」
「私が拾ったんだよ。ろくに洗礼の儀も出来ない誰かさんたちのせいで泣いていた小さな女の子をね」
「へぇ、僕はどこかの猫ちゃんを拾ったと聞いたけど?」
人払いをした天幕にユリウスを呼ぶと、早速ディディエと軽口をたたき合っている。仲良くなってくれて嬉しい反面、だんだんとユリウスの切れ味が増しているのが心配だ。
「授業の際は他の使用人と一緒に待機してもらうので特に問題無いと思うのですけど、構いませんか?」
「構わないよ。使用人たちにはセルジオから話は伝わっている頃だろうしね」
なんの話か分からずセルジオに視線を向けると、一応聞いていたようで、教師をお願いしたときの話をしてくれた。
「シェリエルとユリウスに関しては他言しないよう言ってあるんですよ。またマルセルが押し掛けて来たら面倒でしょう?」
「たしかに。ではそのうちユリウス先生も自由に城を歩けますね! 今度お散歩しましょう、昼の庭園も綺麗なのですよ」
「シェリエルはユリウスに懐き過ぎじゃない? どこがいいの? 優しくも面白くもないだろ?」
ディディエが不満気にユリウスを睨むと、ユリウスは勝ち誇ったように微かに口角を上げる。どこがと言われても困るけれど……
「最初は人だと思ってなかったからですかね? それに人が綺麗なものに惹かれるのは自然でしょう?」
「アハハッ! やっぱ猫…… というか顔なの!? これだけ良い顔に囲まれててまだ顔なの!?」
「か、顔だけではないですよ。先生は魔術にも詳しいし何でも知ってて、何でも出来るんです。一応面倒見も良いですし、いつもわたしを助けてくれます」
「……ちょっと、ユリウスが固まってるから、勘弁してあげてッ」
自分で言い出した癖に息を吸うのもやっとの様子でディディエが笑い転げる。ユリウスはちぎったパンを手に持ったまま呆然と固まっていた。
「先生、違うのですよ、本当に尊敬しているのです。決して猫ちゃんだからとか、美しいからとかではありません」
「シェリエル、少し黙ろうか」
「はい……」
ユリウスにとても良い顔で微笑まれ、わたしは黙るしかなかった。たしかに、猫又だとテンションが爆上がりしたことは認めよう。でも人型、いやユリウスの姿が人なのか疑わしいほどに美しいのがそもそもの原因なのだ。ディディエの言う通り美形揃いのベリアルド家で生活していても、慣れないほどに神秘的な美しさがある。最近眠そうにしていたり人らしいところも目にするようになり、やっと人だと認めることができた。が、それは黙っていた方が良さそうだ。
「んふふ、ユリウス、シェリエルと婚約でもしておきますか?」
「何を言うのですかお父様!」
「ふふ、私に縁談は不要だよ。それに幼女趣味も無いしね」
「おや、残念。でも貴方もまだ子どもではないですか」
「先生、本当に十五歳だったのですか!」
「また君は……」
以前年齢は聞いていたけれど、猫年齢でお爺ちゃんだと思っていたのもあり、落ち着いた雰囲気からもっと年上だと思っていた。
「でもたしかにユリウス老けてるよね。若々しさがない」
「そうかい? 私は殆ど寝なくて良いから、人の倍生きているようなものかもしれないね」
「え、寝なくて良いってどういうこと?」
「疲労を感じたら自身に治癒をかければいい。ディディエも出来るよ」
「先生! そういう問題ではありません! 寝てください!」
良くあんな食生活でこれほど育ったものだと不思議に思っていたが、魔法でドーピングしているようなものじゃないか。睡眠は大事だ。脳も身体も休ませてあげなければ、自律神経だって狂ってしまう。
いや、この世界の人間に自律神経とかあるんだろうか? 魔法で治癒するなら問題無い?
「時間が出来たら寝てみるよ」
ふわっと笑うユリウスが今にも消えてしまいそうで途端に不安になって来た。闇オークションに誘っている場合では無いのだ。これからはセルジオの思い付きに巻き込むのはやめよう。
柄にもなく大きな声を出して疲れたわたしだったが、食後の時間を利用して剣術の授業を受けることになった。ユリウスとディディエも参加するので少しは楽なはずだ。
「ディディエとユリウスで模擬戦をしてみてください。その間、シェリエルは僕から一本取ってくださいね」
「リヒトは……」
「リヒトはもう騎士の訓練に参加してますよ」
何ということだ…… 一人余れば休めると思っていたのに、結局セルジオのスパルタ訓練が始まってしまった。これが終わればあとは馬車で寝るだけ。そう自分に言い聞かせ、地を蹴った。
「ねぇ、シェリエルちょっと強くなり過ぎじゃない?」
「ふむ、剣術も出来るのか。では魔術の訓練も戦闘向きにした方が良いかな」
「二人とも余所見してないで集中してくださいよ。一本取られた方に罰を用意しましょうかね」
必死で打ち込むわたしを余所に、三人は会話する余裕があるらしい。セルジオが二人に気を取られた隙に、軸足を狙って剣を滑らせる。こちらを見てもいないのに軽々避けられたが、そのまま後ろを向きながら剣を背負い上げセルジオの手元を狙う。
ゴンッ! と柄頭にヒットし、瞬時にセルジオに向き直すとセルジオの手から剣が飛び出していた。やった! と思った瞬間、わたしの剣も器用につま先で蹴り上げられる。
「良いですね! ここからは体術です」
ヒィ…… まだ七歳なのに。
腕や頭に蹴りを入れる為にはまず高く飛ぶ必要がある、しかしそこから蹴りを出しても威力が乗らない。体重もまだ軽いため、頭を挟んで首を折る事も難しい。となれば、上半身に打撃を入れ軸を揺らしてから着地と同時に足元を崩す。
重心を見極めながら、セルジオの両足を揃えるようにスパンと払うと、まったくビクともせずわたしの方が吹っ飛んでしまった。
「いやぁ、本当にシェリエルはセンスがありますね」
「うぐ…… ちょっと肋骨が……」
起き上がり、ググッと左右に伸びをすると、骨がパキパキと音を立てている気がしたが、そのうち痛みも消え違和感もなくなった。ディディエとユリウスは一応真剣にやり合っているようだが、笑みを浮かべたまま何やら挑発しあっているようだ。ディディエは性格を反映したように挑発的でいやらしい攻め方だと思う。そして、剣など似合わないと思っていたユリウスは慣れた様子でそれをいなしていた。
「はぁ、本当に君たち相性が良いのか悪いのか。そこまでです。ユリウス、僕とやりましょう。ディディエは真面目にやらないとシェリエルに負けますよ」
「え、父上シェリエルをどうするつもりですか」
これは休憩かなと思い、ディディエと二人、ユリウスとセルジオの乱取を見学する。ユリウスは先程までの余裕が無いのか、薄い笑みすら消えていた。
「うん、家柄ですかね、とてもお行儀が良い。けれど実戦経験もありますか。ユリウスもまだまだ強くなりますよ」
対するセルジオは楽しそうにユリウスに何度も打撃を入れていた。刃が潰れていなければ今頃血みどろだっただろう。わたしに対しては身体に当てることはしないので、今まで一応考慮されていたのだと知る。
段々と互いの剣の速度が上がってきて、目を強化しなければ追えない程になってきたころ、ようやく、セルジオがユリウスの剣を飛ばし、訓練の終わりを告げた。
「どうです? 僕の訓練それなりに役に立ちそうでしょ?」
「ああ…… 流石はッ、王国一の騎士だね」
ユリウスが息を切らす姿を見たのは初めてだった。インドア派だと勝手に親近感を持っていたが、だいぶ戦闘寄りだったらしい。
ディディエが隣で嫌そうに溜息を吐いていた。
「ねぇ、これ僕もこのレベルまでやらなきゃいけない感じ?」
「妹に負けるのは不本意でしょう?」
「いえ、僕は頭脳派で行くので戦闘はシェリエルに任せようかと」
え、前はあんなに剣術の訓練に反対していたのに突然?
剣術は嫌いではないし、むしろ楽しいけれど、何かを押し付けられた気がしてならない。
「お兄様、わたしさっき肋骨がピキっていいましたよ?」
「シェリエルは自己治癒力も高いだろ? 何かあったとき身を守れるほうが安心だから、きちんと剣術の訓練は受けた方がいいよ」
「そうですよね、人には向き不向きありますし。それなのに、領主までやっている僕って本当に偉いですよね」
ああ、酷い。ディディエは剣術の訓練から逃げる為わたしを生贄に差し出したのだ。
ユリウスを見ると、衣服ごと大胆に洗浄魔法をかけていた。スッキリしたのかいつも通りのサラサラの髪を靡かせ、我関せずと距離を取っている。
「わたしたちも着替えましょう、風邪をひきますよ」
わたしたちが戻ると、既に天幕は片付けられていて、出発の準備が整っていた。着替えも出来る広めの荷台で順番に清めと着替えを済ませ、クレイラへ向けて出発する。





